亀山本徳寺沿革






左から本堂、大広間、庫裡の大屋根を望む



亀山本徳寺本堂正面

 亀山本徳寺は、本願寺第八世法主蓮如上人(れんにょしょうにん)を開基 とする、浄土真宗本願寺派の由緒寺で、兵庫県姫路市亀山324番地にある。
 文明七年(1475)頃、蓮如上人の意向を体して、側近下間空善(しもつま くうぜん)が西国方面布教の際、播州英賀(あが)城の城下の一隅に設けた 布教道場がその前身である。 明応二年(1493)ここに本願寺から本尊(阿弥陀如来像)が下付され、以後 本願寺の直轄寺として本徳寺と号し、500余年を経て今日に至っている。

 永正十二年(1515)本徳寺はここに本格的な本堂(英賀御堂(みどう) と呼ばれた)を建立し、 播州の真宗信仰の中心的役割を果たしてきたが、豊臣秀吉が中国平定の際、英 賀城を攻略した折は、本徳寺も存亡の危機に直面した。幸いにも、秀吉は浄土真 宗の保護政策をとり、天正八年(1580)本徳寺に寺領三百石と共に亀山の地 (現在地)を寄進したため、英賀本徳寺は御堂その他の伽藍建物を解体して 亀山に移築し、以来「亀山本徳寺」としてその役割を存続することになった。
 その後、慶長七年(1602)徳川家康の政策によって京都本願寺が東、西二派 に分割されたとき、亀山本徳寺は西派に属し、300年の幕藩体制のもとに 「西国総録所(さいごくそうろくしょ)」をつとめ、本願寺派においては傘下380余 ヶ寺院を抱え、中本山の格式をもって宗門行政の重要な役割を果たしてきた。

 明治に入って、本願寺教団の行政改革が行われた結果、亀山本徳寺は「別格 別院」となり、以来、今次大戦前まで播州の念佛の中心道場として、その役割 を担ってきた。戦後は宗教法人法の制定によって、独立法人となり、宗門内で は浄土真宗本願寺派の「由緒寺」と規定され、今日に至っている。
 伽藍(がらん)はだいたい江戸時代に整えられたものであるが、英賀から移 築したものも残っている。なお、本堂は明治初年に火災に遭い、播州近郷に適 当な建材がなかったため、京都本願寺より北集会所(きたしゅえしょ)の建物 を貰い受けて移築したものであるが、この北集会所は幕末、新撰組が壬生 (みぶ)に移るまで屯所(とんしょ)として使用したもので、いまも柱に古い 刀キズが残っている。
 建造物19棟が、昭和五十九年(1984)姫路市重要文化財の指定を受け、そのう ち、本堂、経堂(きょうどう)、大広間、庫裡(くり)の建物4棟は現在兵庫県の重要 文化財に指定されている。


(真宗文化研究会)


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