「ヨーロッパの大学が今日私たちがキャンパスと呼んでいるような形態をとるに至るのは今世紀に入ってからであり、中世都市の中で誕生した大学は、その700年にわたる歴史のほとんどの時期を都市空間の中で展開してきた。そこで形成されていたのは、都市の中で生まれた『大学』の原型的な姿とも呼べるものであった」。(野上恵子「都市と大学のダイナミックな関係」『SD』1996年2月号別冊、鹿島出版会)
大学はその成立時から、都市の中にあって、都市とともに発展し、成長した。とはいえ、常に共存共栄の穏やかな関係にあったわけではない。その「知」のありようが、しばしば都市を治める力と敵対的な関係となることもあった。にもかかわらず、大学は都市の中にとどまってこそ、時代の流れと並行して自らを更新しつづけ、活力を失わないでいることができることは歴史のあかすところである。その良き範例がパリのカルチェ・ラタンである。
13世紀に始まる長い歴史をもつこの地区だが、19世紀になって大学施設の大幅拡充がなされ、より高密な街区となり、ほぼ現在見られる姿になった。そこでは大学の施設が街区のほかの建物とまったく区別されず、共存している。「都市の中で大学はほとんど見えなくなって」しまっているのだ。
他の国と同様にフランスでも、60年代以降、大学がより広い土地を求めて都市を離れる動きがあった。近代的なプランニングによる新しいキャンパスがつくられたのだ。だが、その結果として大学の孤立化、生活空間の希薄化が問題となり、大学は再び都市へと回帰するか、あるいはキャンパス自体の構成を、より都市的にする方向が模索されている。
つまり、「カルチェ・ラタンはフランスの伝統的な大学のイメージを示すだけでなく、(現代においても)大学の空間構成における一般性を有したひとつのモデルである。そこでは、界隈を形成する空間的な距離感は、普遍性のあるヒューマンスケールに基づいている」のである。
図版:『SD』1996年2月号別冊、鹿島出版会
学寮の散在するカルチェ・ラタン。1675年
ナポレオン時代のカルチェ・ラタン。19世紀初頭