| 1590年 | 江戸を居城と定めた徳川家康は近世城下町の建設を開始した。 |
| 1603年 | 江戸に徳川幕府誕生。起伏に富んだ地形に柔軟に対応した開発が行なわれた。基本的な土地利用形態は近代以降の東京にも継承されている。 |
| 1657年 | 2日間にわたり中心部を焼きつくした明暦の大火をきっかけに都市改造、再編。一部の都市機能の郊外移転、武家の下屋敷のための百姓地買得などによりスプロール化。 |
| 17世紀以降 | スプロールによる都市拡張と徒歩中心の交通手段が矛盾を引き起こし、近郊の百姓地の武士による買収、下民層の中心部への流入などにより一気に高密化。 |
| 1872年 | 明治の大火をきっかけに都市の不燃化、欧化。 |
| 1889-1916年 | 「市区改正」。皇居周辺、日本橋近辺の道路整備、市街鉄道の敷設、上水道整備などにより近代都市としての構造基盤を得る。 |
| 1923年 | 関東大震災復興。後藤新平による震災復興都市改造計画。 |
| 1945年 | 第二次大戦復興。 |
| 1960年 | 東京オリンピック計画。 |
| 1960年 | 1930年以降着手された旧東京市街(山手線環外)の都市計画の一環として新宿副都心計画。65年着工。 |
| 80年代 | 都庁移転。 |
【東京都市モデルとしての震災復興計画】
1924年−1930年
1923年9月1日の関東大震災、震災後発生した火災は東京、横浜市街の大半を焼き尽くした。これを受けて後藤新平は翌日、内務大臣として東京復興の基本方針を練り上げた。後藤めざしたものは復旧ではなく、都市構造を抜本的に改造する復興計画であった。この帝都復興事業は日本初の大々的な都市計画の実施であり、区画整理、公園などの都市インフラ整備に関する土木、建築、造園技術が形成され、職能として確立した。1930年宮城外苑で帝都復興完成記念式典が開かれた。
【東京都市モデルとしての戦災復興計画】
1945年−1948年
1945年8月14日無条件降伏に、15日終戦。東京は総面積の3割が焼け野原となった。食料と職をもとめての人口流入、世相の混乱と犯罪の増加による都市の荒廃。終戦直前から計画された復興計画は1945年春までに基本方針の骨格がつくられた。終戦とほぼ同時に防空計画から復興計画への切り替え。1948年ドッジラインによる公共事業削減を受けて戦災復興事業費も削減され、東京の戦災復興事業は事実上中止され、既存の市街地改正へと路線変更された。
【東京都市モデルとしての東京オリンピック計画】
1960年-1964年
第18回オリンピック東京大会のための計画はオリンピックというイベントの枠に留まらず、新しい技術による都市像を表現し、現代都市東京へ向けた60年代アーバニズムの投企という役割を担っていた。オリンピックを契機に主に交通網の整備による大規模な都市・国家改造が断行される。東海道新幹線、名神高速道路、首都高速道路の整備である。また丹下健三による国立屋内総合競技場の建築である。1960年代半ば、東京都心の交通事情は一時期大いに改善されたのだが、一方で景観設計への配慮に欠け、緑地プロムナードは消滅した。