初めてバルセロナを訪れたのは,1989年。ちょうど学生が卒業旅行で海外をまわりやすくなった頃で,ヨーロッパの鉄道乗り放題の周遊券ユーレイルパスで,トーマス・クックの時刻表とにらめっこをしながら,1ヵ月弱の弾丸ツアーを決行し,ガウディの建築群(カサ・ミラやカサ・バトリョなど)を目的に立ち寄ったからだ。すでにサグラダ・ファミリア教会は有名だったが,これを含めて,ふらっと足を運べば,すぐに見学できた。ところが2017年に再訪すると,グローバリズムの影響か,世界中から観光客が集中し,予約しなければすごい行列を並ばないといけない状況に変化している。グエル公園にいたっては,昔は自由に入れたが,有料ゾーンの予約がだいぶ先まで埋まり,時間指定のテーマパークになっていた。またアジアからの観光客といえば,かつてはほとんど日本人だったが,今や中国人や韓国人の方が目立つ。 もちろん,サグラダ・ファミリアは,その個性的な造形ゆえに一目見たら忘れられないインパクトをもつが,着工から140年経っても完成していないことでも有名になった。建設は困難だったが,やはり都市のランドマークとして定着したシドニー・オペラハウスでさえ,十数年で完成したわけだから,近代という時間の中では異例の長期的なプロジェクトである。もっとも,中世の大聖堂を想起すれば,100年くらいの工事は当たり前で,ケルンやミラノなどは数百年もかかっている。それゆえ,バルセロナを歩くと,教会が完成する前から都市のランドマークになる中世というのはこんな感じだったのだろうかと思う。ただし,大きく異なるのは,バルセロナの整然としたグリッドの街区による都市計画は,中世的なものではなく,むしろ19世紀後半のイルデフォンソ・セルダによる近代的なデザインにもとづく。 サグラダ・ファミリアも,グリッドの一区画を敷地としている。建設の途中,バルセロナは1929年の万博や1992年のオリンピックを経験し,現代都市に変貌した。近年は歩行者優先のエリアを設けるスーパー・ブロックの施策を推進している。そしてサグラダ・ファミリアはガウディが全体の図面を完成させないまま,事故で亡くなったため,死後に解釈を試みながら建設を続行したり,デジタル技術が導入されるようになった。こうした経緯は,中世の大聖堂でも起きていたことで,低層部はロマネスクだが,上部はゴシックになり,最頂部はもっと激しいフランボワイヤン様式を採用するなど,時代の変化を反映している。経済優先のビルや計画的に予算が執行される公共施設ではなく,宗教建築だからこそ,サグラダ・ファミリアは日常の時間を超えた建設が可能だった。しかし,いよいよ完成を迎えるという。 風景とともに変化していた建築が,成長を止め,これからは街を見守ることになる。第1回 風景との対峙写真 ― 鈴木久雄文 ― 五十嵐太郎   世界を見渡せば︑有名無名の建築の数々がわれわれの住む都市や街に存在している︒都市を活気づける迫力ある現代建築から︑自然に溶け込むかのような構造物まで︑建築と風景との関係を考察する新連載︒                 一瞬の時間を記録する﹁風景のなかの建築﹂の様相を実感する︑12回の旅16KAJIMA202404

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 1988年,サグラダ・ファミリア生誕の門。AvenidaGaudí(ガウディ大通り)より望む 2024年,建設進むサグラダ・ファミリアとバルセロナの街18KAJIMA202404

鈴木久雄 すずき・ひさお建築写真家。1957年生まれ。バルセロナ在住。1986年から現在まで,世界的な建築雑誌『ElCroquis(エル・クロッキー)』の専属カメラマンとして活躍。日本では1988年,鹿島出版会の雑誌『SD』「ガウディとその子弟たち」の撮影を行って以来,世界の著名建築家を撮影し続けている。ほかに『a+u』「ラ・ルース・マヒカ―写真家,鈴木久雄」504号,2012年,「スーパーモデル―鈴木久雄が写す建築模型」522号,2014年など。五十嵐太郎 いがらし・たろう建築史家,建築批評家。1967年生まれ。東北大学大学院教授。近現代建築・都市・建築デザイン,アートやサブカルチャーにも造詣が深く,多彩な評論・キュレーション活動,展覧会監修で知られる。これまでヴェネチアビエンナーレ国際建築展2008日本館コミッショナー,あいちトリエンナーレ2013芸術監督などを歴任。著書に『被災地を歩きながら考えたこと』『建築の東京』『現代日本建築家列伝』,編著『レム・コールハースは何を変えたのか』など多数。デザイン―江川拓未(鹿島出版会)19KAJIMA202404