特集:鹿島赤坂別館

第1話 鹿島赤坂別館の誕生
 1962年(昭和37年)1月,鹿島守之助,卯女夫妻は約1ヶ月半にわたる南北アメリカ,ヨーロッパの視察を終えて帰国した。その旅行を振り返って,守之助会長は『道はるか』(鹿島卯女著)に寄稿して,こう記している。
 《ワシントンのブルッキング研究所は,私の旅行中見た研究所の中で最も整っている。・・・この研究所は外交問題のほかに経済,財政,教育の問題まで取り扱っている。建物は新しく,初めから研究所用に建てられたものである。・・・私は日本の研究所建物の不備を痛感するとともに,いずれは理想的なわれわれの事業に最適な建物を建てねばならないと思った》

 守之助会長は,直ちに理想の建物の実現を決意する。日本版ブルッキング研究所の建設である。そして,その建築を鹿島昭一副社長(現最高相談役)に任せた。昭一副社長はアメリカ・ハーバード大学大学院建築科(GSD)で,最先端の建築デザインを学び,マスター・イン・アーキテクチュアの学位を取得して戻ったところだった。
 昭一副社長の下で設計を担当したのが中島隆さん(現鹿島学術財団専務理事)である。東京工業大学建築学科を卒業後,谷口吉郎研究室を経て,1961年に鹿島に入社したばかりだった。昭一副社長と中島さんは当時30歳代半ば。少壮気鋭の建築家コンビの誕生だった。
 「最高相談役の指導の下で設計は進められた。素材も工法も建築先進国アメリカの,しかも最先端を行くものばかりでした」と,中島さんは振り返る。
 独特の質感を持つ白いセラストーンの柱,グレーぺンの一枚ガラスの外装,ガラスを挟んで内外をフラットに収めたディテール,空中階段を思わせる大胆な吹き抜け階段,スペースを十分に取った内部空間,採光や照明への細かな配慮・・・。

 デザインの多くが昭一副社長の考えとコンセプトに従って,建築は着々と進行していった。近代的合理性のビルで,日本庭園を配する洋和の融合,そして端整で柔らかな表情の外観は,来訪者に快適な印象を与える新鮮な設計だった。
 清冽な工夫は素材やディテールの隅々までに行き渡り,工事関係者や職人たちの技量の結果として実現した。それが赤坂別館だった。
 「最高相談役はアメリカにおけるインターナショナルスタイルの全盛期を体験し,研究してこられた。私は言われることに懸命に従って図面にしたまでなのです」と中島さんはいう。

 1964年8月,東京都港区赤坂氷川町(現赤坂6丁目)の高台に,白と黒を基調とした格調高いビルが竣工した。鹿島赤坂別館である。鉄筋コンクリート造,地上5階,地下2階,延べ6,688m2。鹿島守之助会長が描いた理想のビル「日本版ブルッキング研究所」だった。
 1階には,広いデラックスな感じのロビーがある。2階は中央部が1階からの吹き抜けで,役員室,応接室が並ぶ。3階には役員室,会議室,事務室,書庫など。書庫には,業務研究に活用される和洋約3万冊の書籍が収蔵された。4,5階は一般事務室。地下1階は録音,映写設備を整えた大会議場のほか,特別食堂,社員食堂などがあり,食堂前庭には美しい庭園が回らされた。
 赤坂別館には当社役員室,秘書課,渉外部などが入った。会議場,集会所,国内・海外の賓客応接のための施設として使用される一方,鹿島研究所(1966年財団法人鹿島平和研究所),鹿島研究所出版会(現鹿島出版会),日本技術映画社(現カジマビジョン)が入居。研究所,迎賓館とともに,鹿島建設の文化センターとしての役割を担うことになった。
鹿島赤坂別館
竣工時の赤坂別館・外観南東面
空撮 外観南西面 地階中庭
工事概要
(表記は竣工当時)

[建築]
名称:
鹿島建設赤坂別館新築工事
所在地:
東京都港区赤坂氷川町9番地
工期:
自昭和38年7月30日
至昭和39年8月31日
設計:
鹿島建設 設計部
施工:
鹿島建設 建築部
構造:
鉄筋コンクリート造
地下2階,地上5階
面積:
敷地面積 1954.68m2
建築面積 698.315m2
延面積 6687.75m2
高さ:
軒高 16.91m 
内容:
会長室,役員室,
特別会議室,大会議室,
各会議室,談話室,ロビー,
大小食堂,一般事務室等
外装:
柱梁型・セラストーン
サッシュ・アミル・カルカラー
ガラス・グレーペン
軒天井・アルミ・パタンシート
内装:
天井・コルクペンキ吹付
ミネラートン,布張等
壁・ポリウレタン塗装
アルミカルカラー
練付,布張等
床・ラバタイル,ビニタイル
絨毯等
[電気]
受電:
3.3KV 50c/s
契約電力 349KW
電圧モーター:
3.3KV 190KW 冷凍機用
変圧器:
3.3KV/210V
75KVA×3 動力用
3.3KV/210V〜105V
50KVA×3 電灯用
自家発電:
210V 80KVA
ディーゼルエンジン 発電機
バッテリー:
100V 80AH アルカリ焼結式
照明:
直接,間接,半間接,蛍光灯,
白熱灯 SCR一調光装置
電話:
局線20/内線80〜120
クロスバー自動式
音響:
会議室デスク型,ワイヤレス
2チャンネル ラジオ,ステレオ,
テープレコーダー
自動火災:
消防署直通 M−M式
電気管スポット 1級20窓
避雷針:

[機械]
空気調整設備:
ターボ冷凍機(17M30)190
US−TON 190KW 1基
セクショナルボイラー
(2009−0)常用 
365,000Kcal/H 2基
空調第一系統
(低速ダクト方式)地下1階
空調第二系統
(高速ダクト方式)地下1階〜
地上5階 内周及一般室
空調第三系統
(誘引ユニット高速ダクト方式) 
2〜5階 外周部
給水設備:
揚水ポンプ2台,高架タンク1基
消火設備:
消化ポンプ1台
屋内消火栓,地下2階3ヵ所
地下1階〜地上5階 各2ヵ所
排水設備:
排水ポンプ4台
昇降設備:
エレベータ定員13名/台
速度90m/Min 2台
鹿島建設赤坂別館新築工事 鹿島建設赤坂別館新築工事
鹿島建設赤坂別館新築工事 鹿島建設赤坂別館新築工事
設計時の模型
鹿島赤坂別館
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中島隆さん 中島隆さんの記録の設計図は,今のCADと違って手書きだった。その際につくった模型も残っている。
 中島さんは,その後約15年間建築設計本部長を務め,鹿島設計部門発展の推進力になった。専務取締役設計・エンジニアリング総事業本部長,代表取締役副社長などを歴任している。
 イリア顧問の乕屋(とらや)正さんは,入社4年目の1969年,アメリカの建築技術を視察した。そして赤坂別館が「インテリジェント・オフィスの雰囲気を取り込んだ超近代的建物なのだ」と改めて実感したという。
 乕屋さんは,1階から2階に上る階段の構造を,KIビル(1989年竣工)アトリウムの階段デザインに展開した。赤坂別館が構築した鹿島の理念はここにも受け継がれている。

 赤坂別館の完成披露パーティは,守之助会長が著した『わが経営を語る』などの出版記念を兼ねて,1964年9月25日に同館地下1階大会議室で催された。来賓・出席者は,佐藤栄作氏,オペラ歌手の藤原義江氏ら各界の名士約500人に及び,経済評論家の三鬼陽之助氏らが祝辞を述べた。
完成披露パーティ。各界の名士約500人が出席した



第1話 鹿島赤坂別館の誕生
第2話 鹿島文化の発信基地
第3話 鹿島平和賞授賞の舞台
第4話 赤坂別館が遺したもの