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シリーズ 東日本大震災から5年 東北の春2016 東北日記・・・岩手

岩手各地で復興支援業務に携わる社員が,
この5年の想いを綴った。

宮古市田老地区の日の出

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写真:東北支店 岩手県立療育センター及び盛岡となん支援学校(仮称)新築JV工事事務所 副所長  野中 恒

東北支店
岩手県立療育センター及び
盛岡となん支援学校(仮称)
新築JV工事事務所

副所長 野中 恒

岩手県久慈市にある久慈地下水族科学館「もぐらんぴあ」の災害復旧工事を担当してきました。同水族館は,東日本大震災の津波により壊滅的な被害を受け完全にその機能を失いました。そのような絶望的な状況のなか奇跡的に20匹の生物達が救出され,現在は近隣の水族館で避難生活を送っています。

2013年に水族館の復興計画が始動し,2015年2月に復旧工事が開始されました。日本で唯一の地下水族館である施工環境並びに現状復旧という制約により,施工において通常の工事とは異なる数々の苦労や課題に直面する場面がありましたが,関係者皆様の協力により困難を乗り超え2016年2月無事故無災害にて竣工を迎えることができました。

残すは避難生活を続けている水族館の『主』達の帰りを待つのみとなりました。4月末に再オープンする水族館に多くの子供達が集まり,震災の最中たくましく生き延びた生物達とふれあうことで勇気と元気を取り戻して欲しいと願っております。

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写真:復旧工事で新設された大型水槽。海女の素潜りの実演が予定されている

復旧工事で新設された大型水槽。海女の素潜りの実演が予定されている

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写真:東北支店 閉伊川災害復旧水門JV工事事務所 次長 工藤匡貴

東北支店
閉伊川災害復旧水門JV工事事務所

次長 工藤匡貴

経験したことのない強い揺れから40分後,閉伊川を逆流する大津波が既存の防潮堤を越えて宮古市街地を襲いました。今回造る「閉伊川水門」は,海岸沿いに整備される防潮堤と一体となり,津波から市街地を守る防潮水門として新設されるものです。関東支店から赴任して2年が経ちました。三陸沿岸特有の起伏が激しい岩盤に悩まされつつ,これから最盛期を迎える周辺の復興関連事業と調整を図りながら一歩ずつ工事を進めています。乗り込み当初は,まちづくり計画との関係で事務所用地が確保できず,苦労したことが思い出されます。閉伊川は鮭や鮎が遡上する清流であり,漁船が往来する航路や荷揚場があるなど,地元の生業と密接しています。また,この水門は景観設計を取り入れた大型の重要構造物ということで,復興のシンボルに位置付けられています。様々な課題を克服しつつ,「胸を張って説明できる仕事をしよう―原理・原則で―」を合言葉に,完工に向けて邁進したいと思います。

写真:建設中の仮締切。この中に高さ39.5mの堰柱2基と高さ31.5mの堰柱1基を施工する

建設中の仮締切。この中に高さ39.5mの堰柱2基と高さ31.5mの堰柱1基を施工する

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写真:東北支店 唐丹第3トンネル工事事務所 所長 新岡尚幸

東北支店
唐丹第3トンネル工事事務所

所長 新岡尚幸

東日本大震災からの早期復興を目指して工事が進められている三陸縦貫自動車道は復興道路の一部を構成しています。当社は,このうち吉浜釜石道路の一区間を担い,釜石市内で施工を行っている唐丹第3トンネル工事も施工の最盛期を迎えています。主要工事としては,延長2,998mのトンネル構造物と約130万m3の大規模盛土で構成される(仮称)釜石南I.Cの構築です。

私は約15年前にも釜石で工事に携わり,家族で釜石の沿岸からは離れている松倉に居住していたので,休みの日には水海公園,釜石大観音,根浜海岸などによく行きました。とにかく海が鮮やかにきれいだった印象を強く持っています。

震災から数ヵ月後に釜石を訪れる機会があったのですが,軒を連ねるようにひしめきあっていた大渡町や大町の町並みを覚えているだけに,惨状を目の当たりにした衝撃を今も忘れることができません。ご縁があって地元の方が待ち望んでいる“命の道”の一角を担う工事に参加することができました。土木技術者としての誇りと使命感を持ってこの工事の早期完成に向けて邁進していきます。

写真:当社特許の「TAF工法」により,覆工コンクリートの長時間養生を実施

当社特許の「TAF工法」により,覆工コンクリートの長時間養生を実施

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写真:東北支店 長部高架橋上部工工事事務所 次長 戸張正利

東北支店
長部高架橋上部工工事事務所

次長 戸張正利

東日本大震災から5年が経ちました。私は,当時 被災地から遠く離れた中部地方の橋梁工事に従事しておりましたが,感じたことのない大きく長い横揺れに非常に驚かされたことを記憶しています。震災から3年後の2014年3月,三陸沿岸道路の一部である長部高架橋工事(陸前高田市)に着任しました。すでに津波による瓦礫等の撤去が完了しており,眼下にある広大な更地が,以前には居住エリアであったことなど想像に難く,自然の猛威に対する人の無力さを痛感しました。着任から2年が過ぎ,周辺では高台移転に伴う住宅の新築工事や土地の嵩上げ工事,高田松原の防潮堤工事などの復興事業が盛んに行われており,地域全体が活性化してきました。また,我々が鋭意施工している長部高架橋も,現在ピークを迎えています。三陸沿岸道路は,復興における緊急輸送路としての効果も期待されており,早期供用が迅速な復旧・再建には欠かせません。早期完成を実現させ,さらなる復興の足掛かりとさせるとともに,地域のランドマークになることを切に願います。

写真:P3張出架設の施工完了状況

P3張出架設の施工完了状況

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写真:東北支店 陸前高田地区海岸災害復旧JV工事事務所 石畑 陽太郎

東北支店
陸前高田地区
海岸災害復旧JV工事事務所

石畑 陽太郎

東日本大震災発生当時,私は就職活動の真っ只中でした。津波に飲まれていく町々の映像をただ茫然と眺めることしかできない無力感。復興に寄与したい一心で鹿島に入社を決めました。

希望が叶い配属された岩手県陸前高田市は特に大きな被害を受けた自治体の一つで,死者・行方不明者は県内自治体最多の1,800人以上に上ります。津波により流失した白砂青松の高田松原は,かつて県内外の来訪者の憩いの場であり,まさに陸前高田市の象徴とも言える存在でした。その場所に長さ約2kmの二つの防潮堤を再整備することが当工事の主目的です。

工事着手当初は海の中にあったこの場所も,3年が経過した現在,ようやく完成形に近づいてきました。地元の方の工事竣工を祈る思い,労いの言葉が何よりも励みになります。陸前高田市が1日でも早く「安心・安全な普通の暮らし」を取り戻せるよう,今年12月の竣工に向けて,微力ながらもその一助となるべく奮励努力して参ります。

写真:再整備が進む二つの防潮堤は,年内に完成する予定

再整備が進む二つの防潮堤は,年内に完成する予定

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