シリーズ100年をつくる会社(11): 1970(昭和45)年3月から9月まで、大阪千里丘陵で開催された日本万国博覧会は昭和39年の東京オリンピックに匹敵する国家的大行事であり、開催地周辺ではオリンピック時の東京に勝るとも劣らぬ工事ラッシュが起こった。当社は敷地造成工事から、日本政府館・住友館・インドネシア館などの諸施設を施工した。 日本万国博覧会 住友館(大阪) 三菱重工業香焼100万tドック(長崎)1970(昭和45)年〜1972(昭和47)年 当時国内最大の100万tドック。このあと100万t修繕ドックも建造 国内交通ネットワークの整備も着々と進行し、山陽新幹線新大阪―岡山間は1972(昭和47)年に、岡山―博多間は1975(昭和50)年に開通した。 最高裁判所(東京)1971(昭和46)年〜1974(昭和49)年 設計コンペで当社設計部・岡田新一グループの作品が最優秀賞に選ばれた しかし、1973(昭和48)年10月の第4次中東戦争勃発を契機としていわゆるオイルショックが発生し、その後内外経済の長期にわたる沈滞が続いた。不況の浸透と共に民間設備投資は停滞し、右肩上がりの成長を続けていた当社の受注高もついに減少を余儀なくされたのである。 新宿副都心では,1971(昭和46)年の京王プラザホテル(左から3番目)に続き,1974(昭和49)年,新宿住友ビル(左端),KDDビル(右端),新宿三井ビル(左から2番目)が相次ぎ完成した |