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世界の橋なみ 第10回 シンガポール――再開発を象徴する橋梁群

写真:上:へリックス橋(2010年完成)、下:へリックス橋(左)とベイエリアの交通を担うマリーナベイフロント橋(2009年完成)

上:へリックス橋(2010年完成):4ヵ所のバルコニーからはマリーナベイの風景が一望できる。
らせんの外側には色が変わるLEDのイルミネーションが付けられている。奥に見えるのが複合リゾート施設・マリーナベイサンズ
下:へリックス橋(左)とベイエリアの交通を担うマリーナベイフロント橋(2009年完成)

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昼夜ともに賑わうマリーナベイ

シンガポール川の河口から東側一帯では広大な埋立地と水面が生み出され,野心的な都市開発が進められている。そこに北側のマリーナ公園と南側の複合リゾート施設・マリーナベイサンズを結ぶ歩道橋,へリックス橋が2010年に完成した。

へリックス橋の上部工は名前の通り,左・右回りの2つのらせん構造(Helix)を結び付けた,非常に斬新な構造である。そのデザインはDNAの分子構造からイメージを得たと説明されている。ほとんどの部材にステンレススチールが使われているのも珍しい。

マリーナベイ地区では水辺をネットワークするプロムナードの整備も進んでおり,へリックス橋は昼夜を分かたずシンガポールのベイエリア観光の節点になっていくだろう。

再開発のシンボルとしての橋

ベイエリアの中心部の交通路を強化するため,最下流部にエスプラネード橋が1997年に新しく架けられた。橋長は約260m,7径間のコンクリートアーチの側面が斜めの壁のようになっていて,微妙な陰影を生み出している。

同時期にシンガポール川の上流部にも3つの歩道橋が新しく架けられた。ジャックキム橋とロバートソン橋はともにユニークな形状のアーチ橋である。またアルカフ橋は,アーチを逆さにして両側の支柱で支えた特異な構造になっている。形状もさることながら,極彩色の塗装が人目を引く。商業施設などと住宅地の複合を目指した,この地域の再開発を象徴した芸術作品とも言えよう。

写真:エスプラネード橋(1997年完成)

エスプラネード橋(1997年完成):橋の上にはブーゲンビリアの花が咲き,歩行者の目を楽しませている。東側の歩道からはマーライオンが近くに見える

写真:ジャックキム橋(1999年完成)

ジャックキム橋(1999年完成):アーチ構面が倒れているのが特徴

写真:ロバートソン橋(2000年完成)

ロバートソン橋(2000年完成):非対称なアーチ形が特徴

写真:アルカフ橋(1999年完成)

アルカフ橋(1999年完成):カラーリングはフィリピンの女性アーティスト,パシタ・アバドに任され,2004年に塗装が完了した

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都市計画の軸となった橋

シンガポールの都市としての歴史は,イギリスの東インド会社の一行がシンガポール川の河口部に上陸した1819年から始まったとされる。

自由貿易港としての整備を目指し,シンガポール川の河口付近に計画的な街づくりが実施された。当時マレー人の小さな漁村があっただけのシンガポールには周辺各地からさまざまな民族が移り住み,今日の多民族国家の基がつくられた。シンガポール川を挟んで,北側に植民地政府の官庁街とヨーロッパ人居住区を,南側には商業地区を設定,それらの周辺に各民族別の居住区が指定され,特徴ある街が生まれた。

街の発展にともなって両岸を行き来する交通手段が必要になる。現在のエルギン橋のあたりに木製の跳ね橋が1822年に架けられたのが最初のようである。エルギン橋の通りは,北側が「ノース・ブリッジ通り」,南側が「サウス・ブリッジ通り」と呼ばれているが,この通りが古い都市計画の軸として設定されていたことを示している。

なおエルギン橋が現在の姿になったのは1929年のことで,端部の台座に埋め込まれたブロンズの飾り板にはシンガポールを象徴するヤシの木を背景に立つライオンの浮彫がある。

写真:エルギン橋端の台座の飾り板。ヤシの木の前に立つライオン

写真:エルギン橋(1929年完成)

エルギン橋(1929年完成):橋長はおよそ46m,3列のコンクリートアーチで支えられた白い橋の姿が川の風景になじんでいる

都市の拡大と架橋の増加

19世紀後半になると,シンガポールの自由貿易港としての意義が高まり,都市開発も大いに進展する。

1869年には河口部にカベナ橋が架けられた。この橋が原型を留めているシンガポール最古の橋である。外観上は吊橋に見えるが,斜張橋の形態を併せ持った構造になっている。

橋を保護するために,およそ150kgを超える車や牛馬の通行が制限されたが,それを通告する標識が現在も橋の両側に立っている。

川をさかのぼった流域の開発も進む。湿地帯や蛇行した流路を埋め立て,河道を整備して船着場が整備されると,沿岸には倉庫や工場などが建てられていった。

同時に道路整備にともなって新しい橋も次々と架けられた。1886年にはオード橋,1889年にはリード橋,1890年にはプラウ・サイゴン橋が,いずれも鉄橋で完成している。幹線道路が整備され,1920年にはクレメンソー橋が新しく架けられた。

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写真:カベナ橋(1869年完成)

カベナ橋(1869年完成):ケーブルで支えられた桁のスパンは約61m。高欄部にはめ込まれた銘板からイギリス・グラスゴーで1868年に製作されたことがわかる

写真:アンダーソン橋(1910年完成)

アンダーソン橋(1910年完成):カベナ橋の耐荷力不足と交通への容量不足を解消するために架けられた。橋長は約70m,主構造は曲弦トラス3列よりなっている

写真:オード橋(1886年完成)

オード橋(1886年完成):当時イギリスの海峡植民地の知事であったS.オードにちなんで名付けられた。橋の形式は下路式のトラス橋。現在は歩行者専用の橋となり,保存対象になっている

写真:クレメンソー橋(1920年完成)

クレメンソー橋(1920年完成):コンクリートの桁橋で,簡素なデザイン。完成時,この地を訪問していたフランスの首相から名前をもらって通りと橋の名前が付けられた

シンガポール川のクリーンアップ作戦

政府の強い指導によってシンガポール川とカラン湾のクリーンアップ作戦が1977年に開始され,無秩序に開発が進んでいた沿岸の環境は約10年で一変した。この計画では,単に川の水質を改善させるだけではなく,川沿いの波止場の全面移転,工場の移転,スラムの解消,無秩序な露店の集約化,下水の整備と水門による水位と水質のコントロールなどが総合的に行われた。

こうして川の沿岸は新しい商業ゾーン,文化観光施設,清潔な住宅地などに変身を遂げることになった。

再開発が進められているシンガポール川では,19世紀後半から20世紀初めに架けられた橋が保存活用される一方,1990年代以降に架けられた斬新なデザインの橋が共存し,水辺空間を彩っている。

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写真:ヘンダーソン・ウェーブ(2008年完成)

ヘンダーソン・ウェーブ(2008年完成):ベイエリアを見渡せる尾根筋を結ぶサザン・リッジ遊歩道の一環。高さ36m,長さは274m。大きくうねる飾りの下にはベンチが設けられている

写真:タンジョン・ルー吊橋(1998年完成)

タンジョン・ルー吊橋(1998年完成):カラン湾北岸のスポーツ施設と南岸の新しい住宅地を結ぶ。橋長130m,幅員4m,3径間の吊橋。両側の塔が外側へ傾いているのが特徴

地図:シンガポール川の主な橋

松村 博 Hiroshi Matsumura
元大阪市都市工学情報センター理事長。1944年生まれ。京都大学大学院修了(土木工学専攻)。大阪市役所勤務,橋梁課での設計担当に神崎橋,川崎橋,此花大橋など。著書に『日本百名橋』『論考 江戸の橋』(鹿島出版会),『京の橋ものがたり』『大阪の橋』(松籟社)など。

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