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幸せの建築術 人類の叡智を再考する 第1回 ブータン 凛とした築200年のエコハウス

GNP(国民総生産)からGNH(Gross National Happiness)へ。

「国民総幸福量」は豊かさを示す古くて新しい指標として,2011年に国連で採択された。たとえば経済富裕国ブルネイの首都で,水上集落での伝統的な暮らしを選ぶ人々が多くいるように,経済志向とは異なる価値観が見直されている。

この連載では,100ヵ国以上を旅してきた建築家・古市徹雄さんが,先人の知恵が生かされた世界の建築やまちづくりの術(すべ)を紹介しながら,幸せの意味を再考していく。幕開けはGNHの宗主国,ブータンである。

図版:地図

写真:ブータン西部のチュバ集落。環境に調和した家並みがひろがる

ブータン西部のチュバ集落。環境に調和した家並みがひろがる

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チュバ集落の建築と暮らし

地球環境の危機が叫ばれるなか,自然にやさしく経済的な伝統建築がヒマラヤの南に位置するブータンにある。

写真はブータン西部のチュバ集落。1970年代まで鎖国が続いたブータンは,20世紀の科学技術の進歩から取り残された。そのため建築技術も素材もその土地で得られるものに限られた“地産地消”。否が応でも同じ建築の集合体となり,環境に調和した美しい景観を生み出す。家々は互いに風の流れを遮らないようにゆずりあいながら配置されている。

住宅の基本スタイルは,2層の土を突き固めた版築(はんちく)の上に木造が載る3階建て。1階は家畜小屋,2階は穀物倉庫,3階が住居,その上部は農作業のための屋上空間で,屋根に覆われている。

ブータンは標高が2,500mと高いため日差しは強烈だ。だから日本のように太陽光を取り込む南向きの窓はなく,むしろ遮っている。屋根の庇(ひさし)は大きくゆったりとしていて,雨も吹き込まないから版築が守られ,木も腐りにくく,傷んできたら壊れた部分だけをリフォームするため,築200年,300年は当たり前。エアコンなどはなく,風を巧みに取り入れた究極の「エコロジー・ハウス」であり,「エコノミー・ハウス」でもあるのだ。

その外観は,素材や工法が統一されているというばかりでなく,デザイン的な視点から見てもブータン独自の造形の美しさを備えている。3階の木造部は白い真壁で,柱,梁の組み合わせや,窓の木格子がくっきりと現れる。上部の垂木には造形が施され,下部の版築の土壁と見事な対比を生み出している。また,背高のプロポーションの建築に載せられた,日本の蔵の置き屋根を思い起こさせる浮いた屋根群がリズミカルに連続するさまは,限りなく美しい。それらのたたずまいは凛として上品だ。

しかし,ブータンにも近代化の波は押し寄せている。インドの建設業者が入り,首都ティンプーにはコンクリートの建物が建ちはじめ,ブータン政府は危機感を持っている。私たち調査団はブータン政府の依頼によって伝統住居の保存方法を提案した。版築壁の耐震補強は世界的な構造エンジニアの川口衞先生にも参加いただいて検討を加え,水回りはユニットを取り入れ現代的な生活を営めるようにした。インテリアも外観を壊さない範囲で自由に変えられるものとして,若者にも受け入れてもらえるように考えた。その美しい景観を守るために。

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図版:住宅の基本スタイル(断面図)

敬虔なチベット仏教徒の国

ブータンは自国をドゥク・ユルと呼ぶように,チベット仏教の宗派ドゥク派を国教としている。多くの人々が敬虔なドゥク派の信者で,どこの街にも巨大なゾン(僧院)が見られる。集落の入り口や街道沿いには,お堂に守られた円筒形のマニ車(ぐるま)(転経器:チベット仏教で用いられる仏具で,中にロール状の経文が入っている)があり,そこに座って長時間,マニを回し続ける光景をよく目にする。時には水車でマニを回し,一周するたびに鐘がチーンと美しい音色を辺りに届ける。常に祈り続けていたい人々の思いを表している。

私たち調査団が有名な寺院を訪れたときのこと。見よう見まねで五体投地(腹ばいで全身を大地に委ねる行為)をしながら祈りを捧げていると,高僧が微笑みかけてきた。「何をお祈りされているのですか?」僕らが「お金が欲しい。彼女が欲しい」などと祈っていたのはとうにお見通しで,やさしく諭される。「何をお祈りしても構いませんが,まず世界の人々の幸福をお祈りしなさい。世界が平和になれば皆さんは幸福になれます」。宗教心が薄い我々日本人には,その言葉はにわかには信じられなかったが,ブータンの人々に聞くと「当たり前じゃないか」と返ってくる。すれっからしのわが日本人の心の貧しさを一同知ることになった。

民家の調査では,どの家も仏間を測量するのが楽しみになる。仏間は仏壇を収めた仏室と前面の祈りの空間の2室からなり,他の部屋がどんなに貧しくても豪華につくられているからだ。早朝から2〜3時間,夜寝る前にも長く祈るので,仏間にいる時間はかなり長い。

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写真:巨大なゾン(僧院)

巨大なゾン(僧院)

写真:お堂に守られたマニ車

お堂に守られたマニ車

独自のGNH政策が生み出すもの

ブータンは,GNP(国民総生産)に代わるGNH(国民総幸福量)という独自の政策を打ち出し,ユニークな国として近年世界から注目されている。モノの生産量が豊かさを表すという20世紀の資本主義の考え方に異を唱えたものだ。

GNHの大きなテーマのひとつが環境保護である。主要産業は豊富なヒマラヤの雪解け水を利用した水力発電。普通だとこのような山岳地帯ではダムがつくられるが,ブータンでは山の急斜面の地中にパイプを通し,そこに水を流して発電を行う。だからコンクリートのダムはどこにも姿を現さない。日本からもこの方法を視察にくると聞いた。

また,GNHの基本の考え方のもうひとつに富の競争をさせないということがある。ブータンでは,会社や学校,また僧院を訪れるときも民族衣装の着用が義務づけられている。これは子どもにいい服を着せて競争をあおるようなことを防ぐ意味と,自分たちの伝統に誇りを持たせる意味もあり,一石二鳥なのである。しかも,ブータンの子どもたちはみな民族衣装が実によく似合う。きりりとしていて,それが道徳心をしっかり植えつける役割を果たしている。

写真:民族衣装を着て通学する子ども

民族衣装を着て
通学する子ども

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古市流 地球の歩きかた

ブータン王国
(Kingdom of Bhutan)

面積: 38,394km2
人口: 約75.3万人(九州と同等)
首都: ティンプー

ブータンはヒマラヤ山脈の南麓に位置する小さな国。国土の7割を森林が占め,水資源も豊富。
電力は100%水力発電でまかなわれ,それらは隣国のインドにも輸出され貴重な外貨獲得に貢献している。

ブータンへ行くには

空路ではバンコク経由かデリー経由の2通りがある。お勧めはバンコク経由。ブータンのパロ空港へはヒマラヤの強い風が吹き出す前に着かなければならないため,バンコクを出るのは早朝になる。雲海の向こうにヒマラヤの山々が見えてくると,やがて雲の中に機体は突っ込んでいく。あっという間に山並みが現れ,右に左に旋回しながら山肌をこするように降りていき,右に急旋回したかと思うとドスンと着陸。刺激的でスリリングな遊覧飛行である。

とにかく辛いブータン料理

ブータン料理は世界一辛いといわれるが誇張ではない。ブータン国内を移動していると屋根の上に真っ赤な唐辛子が干されているのをよく見かける。ブータンの代表料理「エマ・ダツィ」も,唐辛子とチーズを混ぜたもの。どんな料理にも唐辛子をかけるのがブータン流である。

高い入国税で観光客を線引き

ブータン政府は1日あたりの最低滞在料金を,春と秋は最低250ドル~,夏と冬は200ドルと決めている。これにはホテルの宿泊料金や国内移動費,ガイド代,食事代などすべて含まれる。バックパッカーなどが麻薬などの悪しき西洋の風習を持ち込み,ブータンの若者に悪影響を与えないための国策といわれる。

写真:とにかく辛いブータン料理

古市徹雄(ふるいち・てつお)
建築家,都市計画家,元千葉工業大学教授。1948年生まれ。早稲田大学大学院修了後,丹下健三・都市・建築設計研究所に11年勤務。ナイジェリア新首都計画をはじめ,多くの海外作品や東京都庁舎を担当。1988年古市徹雄都市建築研究所設立後,公共建築を中心に設計活動を展開。2001~13年千葉工業大学教授を務め,ブータン,シリア調査などを行う。著書に『風・光・水・地・神のデザイン―世界の風土に叡知を求めて』(彰国社,2004年)『世界遺産の建築を見よう』(岩波ジュニア新書,2007年)ほか。

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