特集:代官山再開発・インタビュー

「愚直ゆえに得たもの」

鹿島・代官山開発事務所 次長
(代官山再開発組合事務局次長) 税所靖夫

税所次長  私は昭和60年11月に組合事務局へ派遣されました。以来500名近くの地権者に対応しながら,約15年この代官山再開発とともにあったといえます。

   派遣された当時,当社には開発事業として大規模再開発に取組むという大きな方針がありました。その方針のもと,代官山とか石神井(東京都練馬区)とかの大型再開発物件に取組み,これがやっと14年たって着工し花開こうとしているわけです。ここに大きな意味があるのではないかと思います。再開発事業は,事業費(工事費)の大きさ,社会的インパクト,などやり方次第ではメリットも大きい。これからの市場性も多くあります。それに取組むという方針があるなら,まとめてあげていくスキルを持つプロフェッショナルを育成していくべきでしょう。一朝一夕には育成できません。具体的プロジェクトを種まきして,その中でOJTというか,人事教育を組織の中で考えていかないと,この分野は伸びていかないのではないかと思います。

 ずっと感じていたことですが,再開発の現行制度の中では,ゼネコンは工事発注されるまで立場が非常に弱く,実際の役割との間に大きな矛盾があると思います。企画や設計の段階でもノウハウや独自技術をもっと有効に使えたら,より安価でいいものができるはずです。総合力を持っているゼネコンがもっと活躍する場を認めてもらわないと,これからの大規模再開発はなかなかうまくいかないではないでしょうか。実際,金と時間と労力をかけて一番汗を流すのはゼネコンですから。その方が絶対いいものができると信じています。

 私は地元で15年権利者対応をしてきた珍しい存在かもしれません。この中で一番印象に残っているのは,権利変換計画で住宅の位置決めがきまったときでした。これでできるな,と思いました。やはりみんな南側を求めるんです。500戸のうち半数が権利者住宅です。権利変換で同意を得ないと先に進めない。希望を聞いて権利者がいいとこだけ取って残りの保留床をデベに,ということになると売れ残る可能性もある。私も鹿島の人間ですから保留床もなるべくいいところを抑えたい。これらをパズルのように当てはめていくのが大変で一番苦しかったかもしれません。権利者同志もはじめは10人くらい重なっている。このままだと抽選になるから,と説得してだんだん分散を図っていきました。こうしてやっとこぎつけた解体のときは,本当に感慨深いものがあって涙がでてきました。

 もう1つ大切なことがありました。谷口理事長というリーダーをつなぎ留めておくことでした。自分の仕事もなかば放り出して頑張ってくれる人を地権者代表として失ったら,組合は空中分解することにもなったかもしれません。何度も「もう俺はやめる,デベは本当にやる気あるのか,付き合いきれん」と言われ,その度に鹿島は真剣だから必ずやるから,といって説得しました。よく辛抱してここまでつきあってくれたと思います。

 私は人から愚直だと言われますが,この15年でとても大きなものを得た気がしています。




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