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ダムの「今」を訪ねて

ダムの鹿島——。当社は,1921年,日本初の発電用コンクリート高堰堤である宇治川電気大峯ダム(京都府)着工に始まり,五十里ダム(いかりダム,栃木県),上椎葉ダム(かみしいばダム,宮崎県),玉川ダム(秋田県)など,これまでに国内外で約200基を超えるダムの施工に携わってきた。重力式やアーチ式のコンクリートダム,ロックフィルダムなど,立地条件に合わせてさまざまなダムを造る。また,RCD工法や大型機械による省力化工法,コンピュータ活用による情報化施工などの技術発展にも貢献してきた。今年に入って,殿ダム(鳥取県)や嘉瀬川ダム(佐賀県),湯西川ダム(栃木県)といった大規模ダムが相次いで竣工。今なお再開発(リニューアル)工事を含め国内9ヵ所で施工中だ。

すでに完成から10年以上が経ち,観光地として賑わいをみせる宮ヶ瀬ダム(神奈川県),国内最大級のロックフィルダムとして施工中の胆沢ダム(いさわダム,岩手県),既設ダムを高機能にリニューアルする鶴田ダム(つるだダム,鹿児島県)の現場を訪ねた。

関東・宮ヶ瀬ダム

地図

宮ヶ瀬ダム

場所:
神奈川県相模原市,愛甲郡愛川町・清川村
発注者:
建設省 関東地方建設局(当時)
設計:
建設省 関東地方建設局(当時)
規模:
重力式コンクリートダム 堤高156m 堤頂長375m 堤体積約200万m3 総貯水容量1億9,300万m3

1998年3月竣工(横浜支店JV施工)

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賑わいを生む「21世紀への贈り物」

丹沢山系に佇む宮ヶ瀬ダム——。都市開発が進む相模川水系流域を洪水から守り,横浜,川崎はじめ15市9町の水道用水の確保や発電などを目的として,1969年にダム建設の計画がスタートした。その後工事に向けた調査が始まり,道路の付替や仮排水路のトンネルなどの工事を経て,1987年に当社JVがダム本体建設工事に着手。大型ダンプ直載型のインクライン,RCD工法の本格採用など技術の粋を集めて,2001年に宮ヶ瀬ダムは完成した。

小田急線本厚木駅からバスで約50分。かつて秘境だった中津川渓谷は,ダムの完成で宮ヶ瀬湖を中心とする観光地に生まれ変わっていた。取材で訪れた5月の週末は,ちょうどダムの観光放流が行われる日。迫力ある光景を一目見ようと,家族連れなどの行楽客で賑わっていた。高さ150mを超えるダム堤体の上下をつなぐケーブルカーは,建設時のインクラインを改造したもの。子どもたちの歓声が絶えず,かつて大工事が行われた面影はない。宮ヶ瀬湖周辺は,年間180万人の観光客が訪れる首都圏のオアシスとなっていた。

写真:毎秒30tの迫力ある観光放流(お問合せ先:宮ヶ瀬ダム 水とエネルギー館 電話046-281-5171)

毎秒30tの迫力ある観光放流
(お問合せ先:宮ヶ瀬ダム 水とエネルギー館 電話046-281-5171)

写真:賑わう宮ヶ瀬湖周辺地区の観光施設(県立あいかわ公園)

賑わう宮ヶ瀬湖周辺地区の観光施設(県立あいかわ公園)

宮ヶ瀬湖は,相模原市,愛川町,清川村の3市町村にまたがっている。この地域の活性化を支援する公益財団法人宮ヶ瀬ダム周辺振興財団の加藤義久企画振興課長は,「湖畔に面する3地区の自治体,それぞれの自主性を尊重しながら,宮ヶ瀬湖一帯の集客で相乗効果が出るようにイベントなどを調整しています」と語る。「ダム建設当時から,自然環境の保全に徹してもらったことが大きいですね。今も毎月の環境保全イベントのほか,宮ヶ瀬ダム周辺の魅力を引き出す企画を考えています」。近くを通る圏央道の開通予定に合わせ,更なる観光活性化を図る。

ダムサイトの記念碑には,当時建設に携わった関係者の名前が刻まれている。宮ヶ瀬ダムは,彼らが子孫に誇る「21世紀への贈り物」。このキャッチフレーズは現実のものとなった。

写真:加藤義久企画振興課長

加藤義久企画振興課長

写真:ダムサイト脇に建つ記念碑

ダムサイト脇に建つ記念碑

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東北・胆沢ダム

地図

胆沢ダム堤体盛立工事

場所:
岩手県奥州市
発注者:
国土交通省 東北地方整備局
設計:
国土交通省 東北地方整備局
規模:
ロックフィルダム(中央コア型) 堤高132m 堤頂長723m
堤体積約1,350万m3 総貯水容量1億4,300万m3
工期(全3期):
2004年10月〜2014年3月完成予定

(東北支店JV施工)

地図

受け継がれる造り手の思い

宮沢賢治の文学の舞台となった岩手県北上川——。総延長,流域面積ともに東北最大を誇る大河は,過去に何度となく洪水被害を引き起こしてきた。1941年,この状況を解消すべく「北上川五大ダム計画」が政府によって策定され,1953年には北上川水系胆沢川に石淵ダムが建設された。日本初のロックフィルダムである。やがて農業を中心に北上川流域の社会経済が発展し,水や電力の増強の必要性が生じ,石淵ダムの再開発事業として胆沢ダムの建設が計画された。

写真:胆沢ダム全景

胆沢ダム全景

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建設地は,岩手県奥州市に広がる国内最大級・約2万haの胆沢扇状地の要にある。弥生時代の稲作を物語る遺跡があり, 500年ほど前に開削された全長1.8kmの用水堰も1992年に発掘された。地区内には扇状地の歴史と風土,水文化やダムの役割についてジオラマや映像などで学べる胆沢ダム学習館が,2000年にオープンしている。館長の千葉嘉彦さんは「肥沃で県下有数の穀倉地です。まさに水とともに歴史を積み重ねてきました。胆沢ダムの建設は水に対する地域の願いの結実なのです」と語ってくれた。

2004年,当社JVは胆沢ダム堤体盛立工事に着手した。冬場は1〜2mの積雪となるため堤体盛立は休止し,放流管の設置をはじめとするトンネル内部などの工事に限定される。幾多の厳しい冬を乗り越え,2010年に堤体盛立工事は完了した。現在は,取水や放流を行う設備の設置工事が行われている。今年12月には湛水試験の開始が予定されており,堤体積約1,350万m3,国内最大級のロックフィルダムは,洪水調節やかんがい,水道,発電などを担う多目的ダムとなる。

工事を担当する品川敬所長は,着工時から乗り込んだ一人。岩手県の山王海ダムなどを手掛けたフィルダム建設のエキスパートだ。GPS,3Dナビのほか最新IT技術を駆使し,合理化施工システムを確立した。「最盛期には90tダンプ18台を制御して,一気に施工しました。昔と比べ技術の進歩は著しい。地域に恩恵を与えてくれるダムを丹精込めて造ることに変わりはありません。諸先輩から学んできた造り手の大切な思いです」と品川所長は話す。

造り手の思いの継承は,若手にも芽生え始めていた。現場を案内してくれた4年目の遠藤奈津子さんは,トンネル内の導水管をコンクリートで巻き立てる工事を担当している。狭いスペースの施工計画は非常に複雑で,場所毎に収まりが全く違う。「施工はまさに手造りで,作業員と互いに意見を交わしながら造り上げる醍醐味を日々味わっています」という。「もともとつくることが好きで,土木を学びました。そんな時に施工中の胆沢ダムを見学する機会があり,スケールの大きさに圧倒されてぜひ生活を豊かにしてくれるダムの仕事がしたいと希望しました」。

この春にも,土木系の女性新入社員が現場に新たに配属された。次の世代のダム造りの担い手が育まれていく。

写真:胆沢扇状地。国道397号沿いの桜並木が美しい

胆沢扇状地。国道397号沿いの桜並木が美しい

写真:胆沢ダム学習館の千葉嘉彦館長

胆沢ダム学習館の
千葉嘉彦館長

写真:品川敬所長

品川敬所長

写真:遠藤奈津子土木係

遠藤奈津子土木係

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写真:堤体盛立の施工風景(2008年9月)[photo:西山芳一]

堤体盛立の施工風景(2008年9月)[photo:西山芳一]

写真:冬期間,盛立工事は休止となる

冬期間,盛立工事は休止となる

写真:巨大な90tダンプで1,000万m3盛立てを祝う

巨大な90tダンプで1,000万m3盛立てを祝う

column 二度の大地震を乗り越えて

この現場は,二度の大地震を経験している。2008年6月14日に発生した,岩手県南を震源とする岩手・宮城内陸地震(M7.2)は,まさに現場を直撃。地震発生時,堤体盛立は高さで6割強まで,体積で約66%に達していた。堤体盛立面のクラック発生をはじめ場内各所で被害にあった。被災の状況を目の当たりにして「当時の高田悦久工事長陣頭指揮のもと, 1ヵ月以内の工事再開を目標に,全員一丸となって震災復旧工事に取り組みました」と品川所長は振り返る。ほぼ1ヵ月後の7月16日に盛立工事は無事再開した。

そして2011年3月11日,再び巨大地震・東日本大震災が襲う。地震の被害は極めて小さく,安全性や施工に影響する損害はなかったという。地理的に三陸沿岸への資機材供給拠点として適していたため,東北の復旧と復興を支援してきた。

写真:周囲に残る地震の爪あと

周囲に残る地震の爪あと

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九州・鶴田ダム

地図

地図

鶴田ダム施設改造工事

場所:
鹿児島県薩摩郡さつま町
発注者:
国土交通省 九州地方整備局
設計:
国土交通省 九州地方整備局
規模(既設):
重力式コンクリートダム 堤高117.5m 堤頂長450m
堤体積約111万9,000m3 総貯水容量1億2,300万m3
工事内容:
土工,法面工,新設洪水吐減勢工,新設放流管工,
新設取水設備工,上流締切台座工,仮設備工
工期:
2011年2月〜2015年3月完成予定

(九州支店JV施工)

大切なインフラを使い続けるための再開発

2006年7月19日から23日にかけて,発達した梅雨前線の影響で,九州地方南西部を中心に集中豪雨が襲い,川内川(せんだいがわ)流域にある西ノ野観測所では1,165mmに及ぶ記録的な降水量となった。5日間で年間降水量の半分が降った,いわゆる「平成18年7月豪雨」。これにより流域3市2町で,浸水面積約2,777ha,浸水家屋2,347戸に及ぶ甚大な被害が発生した。

鶴田ダムは,1966年に完成した重力式コンクリートダムで,多目的ダムとして半世紀近く川内川流域を洪水から守り,地域産業に電力を供給する発電などを行う役割を担ってきた。2006年の豪雨被害を受けて,国は川内川の河川激甚災害対策特別緊急事業を採択。これに合せて鶴田ダムの洪水調節容量の増量を図り,流域の洪水被害を軽減する再開発事業(リニューアル)に2007年より着手した。堤体を貫く放流管の位置を下げるダム改造により,夏場の洪水調節容量を現在の7,500万m3から最大9,800万m3へ1.3倍に増量するものだ。

写真:「平成18年7月豪雨」時の鶴田ダム

「平成18年7月豪雨」時の鶴田ダム

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鶴田ダム施設改造工事の現場を統括する滝口紀夫所長は,神奈川県の三保ダムや宮ヶ瀬ダムなどの新設のほか,栃木県の五十里ダム,川俣ダムといった既設ダムのリニューアルも手掛けたベテラン所長だ。「既存のダム施設を発電などで使いながら改造する工事は,新設と違って作業スペースもほとんどないうえに,稼働施設への影響を十分配慮しなければなりません」と,施工の難しさを説く。「ダム湖の上流にはかつて地域の基幹産業を支えた発電所の遺構があり,大切に保存されています。ダムに対する愛着とともに洪水対策となる再開発への期待という地元の思いを感じています」。

工事は,新たな放流管を設置する工事を中心に7つの工種などが8ヵ所で行われる。既存の発電事業用にダムの水を溜めたまま堤体に孔を開けるため,孔開け作業中に水が流れ込まないようダム堤体周囲を湖底まで止水壁で区切る締切工が別途施工される。「締切工をしっかり固定するための基礎コンクリートを,水中で構築しなければなりません。水中作業は最大で水深65mとなるため,〈飽和潜水〉という特別な作業方法を採用しています」と,滝口所長は特殊性を強調する。最初に取りかかったのは,水中での特殊作業に精通するエキスパートをスタッフに呼び寄せることだった。

写真:滝口紀夫所長

滝口紀夫所長

写真:曽木発電所遺構。大鶴湖上流にあり,満水時には水没する

曽木発電所遺構。大鶴湖上流にあり,満水時には水没する

写真:工事イメージ図。7つの工種などが8ヵ所に分散している

工事イメージ図。7つの工種などが8ヵ所に分散している

写真:仮設構台。移動式クレーンなどの作業スペースを確保

仮設構台。移動式クレーンなどの作業スペースを確保

鎌田俊彦副所長は,羽田空港D滑走路の施工などを担当してきた臨海土木工事の第一人者だ。「水がある状態で工事をするのは,確かにダムというよりは臨海土木に近い。しかし東京湾での工事はせいぜい水深20m程度で, 65mという深さは未知の領域です」。深度の深い潜水作業では,潜水時間の制限や減圧時間の増大,呼吸ガスの管理などの制約条件が更に厳しくなる。これらの制約を克服して水中作業の効率と安全性を高める方法が飽和潜水システムで,国内でこの技術を保有する海洋工事会社は1社のみ。機材は全てシンガポールより取り寄せた。大水深で作業する飽和潜水ダイバーは,1ヵ月毎に区切られた作業期間中その水深と同じ高気圧の丸いチャンバー内で生活する。作業期間が終わると減圧して大気圧に戻され,チャンバー外に出ることができる。

写真:鎌田俊彦副所長

鎌田俊彦副所長

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写真:上流締切台座工の作業イメージ

上流締切台座工の作業イメージ。堤体の孔開け箇所を止水壁で区切る締切工(別途工事)の台座を構築するため,ダム湖水面上の台船から資機材を下して水中で作業を行う

写真:飽和潜水システム

飽和潜水システム。ダイバーが水中に降下するためのチャンバー(中央)と作業期間中ダイバーの居住場所となるチャンバー(右奥)などから構成される

写真:チャンバーコントロール室

チャンバーコントロール室。各チャンバー内の気圧・温度・酸素濃度などの環境を24時間モニターして管理する

工事は始まったばかりで,堤体削孔などが本格化するのはこれから。現役ダムの役割を果たしながら,機能を更新・増強する。「機械設備も含め,この現場で得た経験を今後のダム再開発工事のノウハウとして蓄積していくのです」と語る鎌田副所長。ダムを長く利用するための挑戦は続く。

From Indonesia 海外への技術展開〜インドネシア・カレベダム

カレベダムは,日本の南方約5,000km,インドネシアのスラウェシ島中央部に位置する。現場までは空路と陸路を伝い東京から丸2日の行程となる遠隔地だ。

発注者のヴァーレ・インコ社は,カナダのニッケル生産企業で生産量世界第2位を誇る。インドネシアでニッケル採取を続ける同社が工場へ電力供給するための水力発電のコンクリートダム建設工事は,ダム堤体工事と発電所構築工事からなる。ディーゼル発電の油脂コスト削減のため,早期完成が求められた。工事にあたり資機材運搬の船便は,国内調達で最低1ヵ月,海外調達では3ヵ月を要する。一度歯車が狂えば長期に工程が遅延する恐れがあり,施工計画は慎重かつ綿密に立てられた。

最盛期には,鹿島社員15名,JV所員250名,さらに地元作業員約1,500名の大組織で直庸体制の施工は,作業員の育成・指導が鍵となった。止水シートを堤体上流面全面に施工するなど,海外ならではの試みが随所に施され,いくつものリスクを乗り越えて,カレベダムは2011年8月の発電開始を迎えた。こうした海外での施工実績の積み重ねで,「水の世紀」を担う技術が蓄積されていく。

写真:カレベダム

カレベダム
規模:重力式コンクリートダム
堤高80m 堤頂長215m
堤体積約28万8,500m3
2011年11月竣工(海外土木支店JV施工)

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