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大解剖 社長 押味至一を知る

押味至一社長,66歳。
入社以来一貫し,建築畑で物づくりと
向き合ってきた,現場一筋の人物である。
押味社長が目指す「現場第一主義」は,
建設会社の利益の源泉である現場を主役に,
全社員が一丸となり現場を支援していくことだ。

「社長は現場の一番の応援団でありたい」
と話す押味社長。
“チーム鹿島”の一員として,
我々も押味スピリットをもっと知ろう。

写真:大解剖 社長 押味至一を知る

photo:HARUKI

プロフィール(横浜支店報より)

プロフィール

2005年横浜支店長就任時に支店報に掲載されたプロフィール。10年後の変化はいかに?
現在の趣味はゴルフ,座右の銘は「人間万事塞翁が馬」(2005年8月横浜支店web支店報より抜粋)

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有言実行の男

6月25日,定時株主総会を経て,押味至一社長が就任した。現場所長と支店長を歴任し,当社の最前線を率いてきた社長の誕生となった。

2月24日に行われた社長内定の記者会見では,「現場第一主義のもと,土木・建築の現場力をさらに強化して,皆様により信頼される会社を目指したい」と決意を語った。マスコミ各誌のインタビューでは,「中期経営計画初年度目標の必須達成」,「現場第一主義の徹底」,「品質・安全の絶対厳守」,「10年,20年後の海外事業方針」などを明言している。

現場所長時代には,生産性向上・コスト低減を図るため,斬新な施工法の開発や運営手法の改善に取り組んだ“有言実行の男”として知られる。今後,様々なかたちで発信される押味社長の言動に,我々は目が離せない。

写真:2月24日の記者会見の様子

2月24日の記者会見の様子

写真:2月24日の記者会見の様子

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苦学生時代の経験

中学2年生の時,父親が病に倒れ寝たきりの生活に。中学時代は新聞配達,高校時代には港で船積みの仕事をして家計を支えた。「高度成長期の渦中とはいえ,まだまだ貧しい時代。周りにも沢山の苦学生がいたので,特別辛いと思ったことはありません」と,押味社長は当時を振り返る。少年時代から,労働に対する感謝の気持ちが身についてきた。

大学時代のエピソードを教えてくれた。「サッカー部に入部したのですが,レギュラーにならないと,毎日雑務に駆り出されてしまう。バイトの時間が削られては困るので,どうしたと思いますか?皆が敬遠するキーパーを志願して,1年生からレギュラー入りを果たしました。平日は1日1件,日曜日は3件,週4日・計7件の家庭教師をこなし,サッカー部は皆勤でした」。時間を有効に使う技は,こうして身についたのか?ちなみに,ご夫人は家庭教師の教え子だそう。

映画『超高層のあけぼの』が運命を決める

押味社長は二度大学の門をたたいている。最初は,機械工学科へ入学。特に目的もなく入った大学は,学園紛争の渦中で閉鎖が続き,船積みのバイトに明け暮れる日々だった。そんな生活が1年以上続いたある日,伊勢佐木町の映画館の前で『超高層のあけぼの』の文字を目にする。当社グループ・Kプロビジョンの前身「日本技術映画社」が製作した日本初の超高層「霞が関ビル」の建設を主題とした映画だ。「これからの時代は超高層だ!心の中で叫びましたね。映画館を出る時には,建築をやろうと決めていた。東工大の建築学科に入り直し,念願の鹿島建設に入社することができたのです」(押味社長)。偶然から生まれた鹿島建設と押味社長の縁である。

写真:映画『超高層のあけぼの』の当時のポスター

映画『超高層のあけぼの』の
当時のポスター

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体に叩き込んだ建築屋魂

横浜支店の西川俊秀技師長は,良きライバルとして切磋琢磨した同期の建築屋仲間だ。入社当時の押味社長の印象は,「いつも何か考えていて,うわの空な人だった」と笑う。常に問題意識をもって,新しいアイデアを模索する行動は,この頃すでに始まっていたそうだ。

入社後,2人は「産業貿易センター新築工事」に配属される。「当時は職人の技量もまちまちで,我々現場監督も,配筋や型枠,コンクリート打設など,彼らの仕事を手伝っていました。鉄筋担当だった押味さんは,作業着に穴が開くほど鉄筋を担いでいました。体力と食欲は当時から人一倍でしたよ」。

「現場には2人のお客様がいる。ひとりは発注者,もうひとりは協力会社の人たち」。押味社長が口癖のように言う言葉だ。現場を訪れると,いつも作業員の人たちに頭を下げ,感謝の気持ちを伝える。「僕らの時代は,職人たちと一緒に汗を流して,現場の仕事の辛さと楽しさ,大切さを共有してきた。押味社長の現場第一主義の原点は,こうした経験にあるのだと思います」。

写真:左写真/産業貿易センターの現場で行った慰安旅行。私服がないと三つ揃いのスーツで登場した押味所員(当時・写真右端)。写真左端が西川さん 右写真/現場で草野球チームをつくったことも(写真右端)

左写真/産業貿易センターの現場で行った慰安旅行。私服がないと三つ揃いのスーツで登場した押味所員(当時・写真右端)。写真左端が西川さん
右写真/現場で草野球チームをつくったことも(写真右端)

写真:横浜支店 西川俊秀 技師長

横浜支店 
西川俊秀 技師長

写真:現在の産業貿易センタービル

現在の産業貿易センタービル

“何かやってやろう”と,いつも考えている所長だった

アイデアマンで有名な押味社長。所長時代は,施工法や資機材の開発に,マンションの家具・備品の商品開発までも考案した。「“何かやってやろう”と,いつも考えている所長でした。所長の楽しい背中を見せずに,部下に物づくりの醍醐味は伝わりません」(押味社長)。

思い出深い現場のひとつが,初めて所長を担当した「三洋証券藤沢支店」の工事。ここでは〈コールビジョン〉と呼ばれるシステムを考案した。一人現場で事務所を空けられず,現場を頻繁に巡回できないため,作業用エレベータにテレビ電話を設置し事務所とつなぎ,作業員からの質問をリアルタイムに受け付けた。「皆,新しいシステムに興味津々で,好評でした。協力会社とのコミュニケーションツールになりました」。

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押味イズムを受け継ぐ後輩たち

横浜支店在籍中の35年の間に,「アクトシティ浜松」や当社初の免震マンション「大森パークホームズベイサイドコート」をはじめ,支店を代表する数々のプロジェクトを手掛けた。中でも,「ヨコハマポートサイドF-1街区」は,42階建てのツインタワーマンションをメインとする再開発事業で,支店でも類をみない超高層マンション建設プロジェクトだった。熱血所長に押味イズムを叩き込まれた後輩たちが,メッセージを寄せてくれた。

写真:ヨコハマポートサイドF-1街区全景(2004年9月月報KAJIMA掲載写真)

ヨコハマポートサイドF-1街区全景(2004年9月月報KAJIMA掲載写真)

写真:ヨコハマポートサイドF-1街区の工事事務所メンバー

ヨコハマポートサイドF-1街区の工事事務所メンバー

写真:横浜支店 安全環境部 羽喰賢一 部長

横浜支店 安全環境部
羽喰賢一 部長

「方針がぶれず指示の明確な所長。厳しい要望ばかりでしたが,所長の人望は厚く,団結力の強い現場でした。事務屋も教育を受けてマンションの内装・設備検査を行うなど,職種を超えた作業で施工部隊を支援し,少ない人員で一大プロジェクトを完成させました。健康に留意され,益々のご活躍を期待しております」。

写真:横浜支店 あけぼの病院 町田工事事務所 松岡忠義 所長

横浜支店 あけぼの病院
町田工事事務所
松岡忠義 所長

「“演出家になれ”という言葉が印象的でした。仮囲いの装飾,安全性・使用性を考えた現場動線など,現場は演出家次第で決まる。F-1の現場では,朝礼後,JV社員が現場外周の清掃を行いました。これも,近隣の方々へ鹿島の姿勢を伝える演出です。私も所長職に就き,こうした現場の工夫を楽しむよう心掛けています。現場が大好きな押味新社長の下,社員・協力会社の皆で一致団結し,現場力の向上を図っていきます」。

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横浜ご当地グルメ 一押

お酒は乾杯のビール1杯のみ。揚げ物,カレーライスにラーメンと,重量感のある食べ物を好む。なかでも,横浜支店のそばにある名店「丸和」のとんかつが大好物。横浜支店長時代は,残業食にピザやラーメンを出前して,部下にふるまうことも。ただし,考え事のスイッチが入ると待機時間は40~50分は当たり前。ラーメンは汁なし麺に…。

写真:「丸和」のロースカツ定食

「丸和」のロースカツ定食

関西支店大改革

押味社長は建築管理本部を経て,2013年4月に関西支店長に就任。2年間で支店の大改革を実施した。支店人員のダウンサイジングやコンプライアンスの徹底,経費削減など厳しい内容に取り組む一方,“みんなで楽しいことを考えよう”と提案。ジャンルを問わないアイデアを募集した結果,556件の応募が寄せられた。押味支店長は,すべての提案書に目を通し,コメントを書いて実現性を検討した。

女性活躍を推進するため「現場サポート室」が,2014年4月,支店建築部内に開設された。丁寧で緻密な女性の気質を活かし,繁忙を極める建築現場の配筋検査や竣工前の内装検査などの現場支援を行う。現在,7名の女性社員が各地の現場を飛び回り,奮闘中だ。今後,現場サポート室が全支店に展開されると,現場も明るくなるのでは?

写真:アイデアコンペのファイルに記された押味支店長のメモ書き

アイデアコンペのファイルに記された押味支店長のメモ書き

写真:配筋の検査を行う「現場サポート室」のメンバー

配筋の検査を行う「現場サポート室」のメンバー

『鹿島スピリッツ』編纂

2年間,押味支店長のもとで秘書兼企画を務めた関西支店管理部の阪本博次長。支店長の置き土産として知られる冊子,通称『鹿島スピリッツ』の陰の編纂者だ。手帳サイズの2冊組の冊子には,押味支店長が好んだ歴代経営者の言葉や,鹿島ブランドなどについて記載されている。「短期間で社史を読みあさり,支店長と相談を重ねて作った冊子です。白紙ページには,押味社長が発信していく新たなメッセージを刻んでいこうと思います」。

写真:『鹿島スピリッツ』を手にする関西支店 管理部 阪本博 次長

『鹿島スピリッツ』を手にする
関西支店 管理部 阪本博 次長

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所長の育成と任命は支店長の責務

社員教育にも力を入れてきた。横浜,関西の両支店で実施してきたのが「土曜講座」だ。所長になるために必要な知識や資質を養う目的で,土木・建築の次席級を対象に,毎月第2土曜日に開講。毎回,押味支店長も出席し,講義をはじめレポートにも目を通して,所長に相応しい人材への育成に努めた。「所長の育成と任命は支店長の責務です。各支店,全力で取り組んでください」。

写真:土曜講座では講師も務める

土曜講座では講師も務める

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