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土木が創った文化「ダム」~時代の要請の応えて~

写真:鬼怒川上流に造られた五十里ダムは,堤高100mを超えた国内最初のダムで,その後のダム建設のモデルとなった。1.2km離れた川治ダムをトンネルで繋いで,水をやりとりしている

鬼怒川上流に造られた五十里ダムは,堤高100mを超えた国内最初のダムで,その後のダム建設のモデルとなった。
1.2km離れた川治ダムをトンネルで繋いで,水をやりとりしている

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『無名碑』『湖水誕生』『ダム・サイト』『黄金峡』『砦に拠る』『金環蝕』『女の橋』『満ちて来る潮』『水の葬列』『沈める瀧』…。いずれもダム建設を舞台にした小説である。ダム建設に挑む技術者たちの人間性を追求したもの,ダム建設に対する争議などに対峙したもの,技術者と女性との愛を描いたものなど内容は様々で, この他にも数多くある。

なぜダム建設が文学に登場しやすいのか。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)で,30年近くにわたりダム建設に携わった古賀邦雄さんはこういう。「ダムには,壮大な舞台設定とともに,そこに関わる人たちのいわば人間味が出てくるからだと思う」。

古賀さんは,福岡県久留米市郊外にある私設図書館「古賀河川図書館」の館長を務める。ダムをはじめ水や河川関連の書物が約8,500冊。仕事の傍ら収集を続け,リタイア後に開設した。ダムに関わる小説の数々も,古賀さんに教えていただいた。

収蔵された書籍などから,ダムの歴史や水の社会現象が浮かんでくる。農業用水の確保に始まったダムは,明治から戦後にかけて水力発電全盛時代を迎え,旺盛なエネルギー需要に応えた。高度成長期には工業・水道用水などの水資源開発が加わり,防災を含めた多目的ダム建設が国の重点施策とされた。やがて河川環境という新しい問題が提起され,ダム建設も自然や環境への配慮が増す。

「こうした流れをみると,ダムは時代の要請だったと改めて感じますね」と古賀さん。「水は限りある資源。これからはダムも含めて,いろいろな形での総合治水が必要になるでしょう。ダム建設の技術継承とともに,改修する技術,壊す技術も求められると思う」と,新しい時代のダムを話してくれた。

写真:古賀河川図書館は文学,歴史,経済,工事誌から児童書まで河川に関する図書を所蔵。「きれいな水の守り手となる子供たちにも利用して欲しい」と館長の古賀邦雄さん。蔵書はインターネット(http://koga.mymy.jp)でも検索できる。

古賀河川図書館は文学,歴史,経済,工事誌から児童書まで河川に関する図書を所蔵。「きれいな水の守り手となる子供たちにも利用して欲しい」と館長の古賀邦雄さん。蔵書はインターネット(http://koga.mymy.jp)でも検索できる。

わが国の降水量は世界平均の約2倍だが,1人当たりの水備蓄量は世界平均より少ない。それには急峻な山地と短い流路という独特の地理的条件がある。それでも多くの国民が「水」に不便を感じないのは,先人たちが長年水問題と対峙し,生活基盤を構築してきたことにある。

治山・治水の要になったのはダムだった。都市部の水不足解消や河川氾濫対策,灌漑・工業用水の供給,さらには水力発電などを目的とした大型ダム建設が,戦前戦後の国土復興と経済成長を支えた。

当社は大正時代に,わが国初の発電用高堰堤である宇治川「大峯ダム」を建設して以来,150ヵ所を超える大小,様々な形式のダムを建設してきた。この中には重力式ダムとしてわが国最高の高さを持つ奥只見ダム(堤高157m),初のアーチ式ダムの上椎葉ダムをはじめ,東京都民の水がめ「小河内ダム」など馴染み深いダムも数多い。

このほか奈良俣ダム(ロックフィル),玉川ダム(重力式),奥三面ダム,温井ダム(ともにアーチ式)などの大型ダムを相次いで完成させた。活発化する水資源開発に,RCD工法や大型機械による省力化工法,コンピュータ活用による情報化施工の研究開発で応え,公共資産を効率的に建設することに注力した。

写真:奈良俣ダム(群馬県)。東洋一の堤体積(当時)をもつロックフィルダム

奈良俣ダム(群馬県)。東洋一の堤体積(当時)をもつロックフィルダム

写真:温井ダム(広島県)。アーチ式ダムとしては黒部ダムに次ぐ堤高をもつ

温井ダム(広島県)。アーチ式ダムとしては黒部ダムに次ぐ堤高をもつ

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写真:九州電力小丸川発電所上部調整池。環境への配慮と電力需要のピーク時対策から,水を効率的に使用できる揚水式発電所用ダムの建設が進んだ

九州電力小丸川発電所上部調整池。環境への配慮と電力需要のピーク時対策から,水を効率的に使用できる揚水式発電所用ダムの建設が進んだ

1950年代から70年代前半にかけて,発電の主体は水力から火力に移ったが,環境配慮と電力需要のピーク時対策から,水力発電の役割が見直され,水を効率的に使用できる揚水式発電所用ダムの建設が進んだ。

九州電力小丸川発電所(宮崎県)は,小丸川の上流域にロックフィルダムを,中流部に重力式コンクリートダムを設け,2つの調整池間の有効落差を利用して,最大出力120万kWの発電を行う純揚水式発電所である。この上部ダム建設の工事事務所長を担当したのが,中拂(なかはらい)昭史さん(現ケミカルグラウト取締役九州支店長)だった。

中拂さんは1988年に,当時東洋一の規模を誇る台湾電力明潭揚水式発電所(技術指導)工事に着任。その時目にした台湾西南部の烏山頭(うさんとう)ダムに,ダムの重要性を痛感した。明治時代に台湾総督府技手だった八田與一が手がけた灌漑用ダムである。今でも肥沃な嘉南平野の農業生産に重要な役割を果たしている。

帰国して,福岡都市圏の飲料水を確保するための貯水用ダム「山口調整池」建設を担当。このあと小丸川に転じた。「入社した時からずっとトンネルの現場だったのに,いつの間にかダムを造っていた」と中拂さんはいう。

小丸川では,工事を始めるに当たって施主から「4つの理念」を指示された。最新の施工技術の駆使,安全な施工,地元との融和,そして自然環境との調和である。「この時代のダム造りは,まさにこういうことだと感じました」。

写真:中拂昭史さん

中拂昭史さん

写真:山王海ダムは,旧ダムに被せる形で新たに下流側にロックフィルダムを嵩上げ構築。貯水量を約4倍にして農業用水などの需要増に対応した

山王海ダムは,旧ダムに被せる形で新たに下流側にロックフィルダムを嵩上げ構築。
貯水量を約4倍にして農業用水などの需要増に対応した

近年の環境問題や公共事業に対する意識の高まりから,「ダムに頼らない治水と利水」への転換に向けた議論が始まっている。ダム建設に代わるものとして,リニューアルなど既存施設の有効活用や延命化,遊水地や貯留池の整備,堰堤の嵩上げ,既存ダム間での容量の振替えなどの事例が挙がる。

貯水能力を高める嵩上げ工事は,当社でも山王海ダム(岩手県)や三高ダム(広島県)などで手掛けている。五十里ダム(栃木県)では,1.2km離れた川治ダムをトンネルで繋ぐわが国初のプロジェクトを2006年に完成させた。河川からの流入量に比べて有効貯水容量が少ないため,雪解けの季節や梅雨の時期に放流している五十里ダムと,貯水容量が大きいのに灌漑期に流水が不足する川治ダムを相互に補完することで,水資源を有効活用できる。

河川の氾濫対応には,ダムや天井川の浚渫,自然共生型の堰堤整備の継続的な実施など,自然環境の保全・復元を併せ持つ施策への転換が求められているが,これにも時間とコストのかかるものが多い。限りある貴重な水資源を,限られた財源の中で,いかに有効活用していくか。次世代を見据えた重要なテーマになっている。

写真:田代民治副社長

田代民治副社長

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写真:宮ヶ瀬ダム。「21世紀への贈り物」をキャッチフレーズに,神奈川県の丹沢山塊に造られた。建設には自然環境への配慮を徹底した

宮ヶ瀬ダム。「21世紀への贈り物」をキャッチフレーズに,神奈川県の丹沢山塊に造られた。
建設には自然環境への配慮を徹底した

1998年,神奈川県の丹沢山塊に完成した宮ヶ瀬ダムは,東京都心から50kmの地点にある。急激な開発が進んだ相模川沿岸を洪水から守るとともに,横浜,川崎など15市9町の水道用水の確保と発電などを目的に,建設省(当時)の直轄事業として計画された。

20世紀最大級といわれる重力式コンクリートダムだが,特筆されるのは自然環境へ配慮しつつ,“開かれたダム”を目指したことだった。「残すべき自然は極力保全するという方針を貫いた。また地元住民をはじめ一般見学者の皆さんにダムを少しでも理解してもらえるように努力した」と,宮ヶ瀬ダム工事事務所長を務めた田代民治さん(現当社取締役副社長)はいう。

田代さんがダムと関わったのは1974年,入社3年目で赴任した川治ダム(栃木県)からである。「君には,できあがったダムの姿が見えるか」。着工前のダムサイトで聞いた,当時の作業所長だった津垣昭夫さんの言葉が忘れられない。「津垣所長は,何もない山肌に完成後のダムの姿を見ていた。仮設計画から本体施工まで全ての段取りが頭の中にできあがっていたのです」。

ダム建設には長い時間と巨額の投資が必要になる。土木工事の中でも難易度はトップクラスだ。21世紀は「水の世紀」といわれるほどに,洪水,渇水,水質などの水問題が世界規模で懸念されている。田代さんにはできあがったダムの姿が,貴重な水備蓄基地と,洪水による自然災害から人命を守る砦のように見える。

「土木技術者は,社会基盤の大切さをもっと積極的に情報発信し,“開かれた現場”となることを目指してもらいたい。そして自らの仕事に誇りを持ち,ものづくりの道を胸を張って進んでほしい」と田代さんはいうのである。

「僕の仕事は一生どんなにいい仕事をしても個人の名前は残らない」「でも,私たちの子供が覚えていてくれるでしょうね。私,子供に教えるつもりよ。このダムはね,お父さんが作ったのよ,って」「それで充分じゃないか」——。曽野綾子さんの小説『無名碑』(講談社)の一節である。

「国民に必要だと請われたインフラ整備に関わることができて幸せだった。ダムを造る私たちの目標は,数千年もの風景・風土の一部となって役立つものづくりなのです」と中拂さんはいう。土木構造物は名を刻むことのない多くの技術者によって造られる碑。しかしその碑には,土木技術者の構造物へのこだわりと情熱が塗り込められている。

【ダムを舞台にした小説】

『湖水誕生(上下)』(曽野綾子・中央公論社)▽『山原の大地に刻まれた決意』(高崎哲郎・ダイヤモンド社)▽『ダム・サイト』(小山いと子・光書房)▽『黄金峡』(城山三郎・中央公論社)▽『砦に拠る』(松下竜一・筑摩書房)▽『金環蝕』(石川達三・新潮社)▽『ダム食虫』(大江賢次・東邦出版社)▽『女の橋』(芝木好子・新潮社)▽『満ちて来る潮』(井上靖・新潮社)▽『水の葬列』(吉村昭・筑摩書房)▽『沈める瀧』(三島由紀夫・中央公論社)など,数多い。

写真:無名碑
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