ホーム > KAJIMAダイジェスト > June 2011:特集「東日本大震災 復旧から復興に向かって」 > CASE 2 生活をつなぐ復旧

KAJIMAダイジェスト

CASE 2 生活をつなぐ復旧

被災地では空港や鉄道,高速道路などの
広域交通網が被害を受けた。
工場や倉庫などの産業基盤も
被災によりその機能が停止。
失われた生活の基盤をいち早く取り戻すために,
当社は昼夜を徹して復旧にあたった。

地図

運行再開までの一筋の険しい道程 JR東日本東北新幹線復旧工事

延長70kmの現場

3月11日の地震では,東北新幹線に営業走行中の車両の脱線はなく,人身事故も皆無だった。しかし,新幹線の施設が受けた被害は,全体で約1,200ヵ所に上る。そのうち約540ヵ所が,架線を支える「電化柱」の折損,傾斜やひび割れだった。早期復旧と運転再開を目指すJR東日本から,震災発生直後に当社へ復旧工事の依頼があった。

当社が担当したのは,郡山駅南側から宮城・福島の県境までの高架橋区間の約70km。東北新幹線は,復旧状況にあわせた段階的な運行再開で,一刻も早い工事完了が求められ, 工期に余裕はない。工事内容はおもに,電化柱の取換え(約20本)と傾いた電化柱の起こし(約60本)。3月18日に復旧工事のための調査を開始し,22日に工事に着手した。

改ページ

写真:電化柱。被災直後(国見工区)

電化柱。被災直後(国見工区)

写真:復旧完了した電化柱

復旧完了した電化柱

工事を軌道に乗せるために

施工は,南側から順に郡山,福島,国見の3工区に分割。最盛期には3工区合計で社員30人・作業員150人を動員し,早期復旧を目指した。

高架橋に上る入口は約5km間隔。施工場所は入口から2〜3km離れていることもあり,一人1日最低10kmは歩くという。そのため資機材を的確に工事箇所に供給する段取りが重要となる。

各工区では軌道上を走行・作業できる軌陸車が導入された。各系統の復旧作業が,狭い高架橋上で輻輳している。担当工事が終わっても,ほかの工事が終わらなければ次の施工場所に移動できない。そのため,最後は資機材を手押し車に載せて徒歩で移動することで対応した。

写真:異工種の軌陸車が軌道上に並んで作業する

異工種の軌陸車が軌道上に並んで作業する

写真:油圧ジャッキで1本ずつ電化柱を起こしていく

油圧ジャッキで1本ずつ電化柱を起こしていく

被災地で働くということ

3月30日,奮戦する各工区の工事所長を激励するため,東北支店幹部が現場に向かった。

国見工区の小嶋寿麿所長は,「通常の工事とは勝手が違い,施工場所を取り巻く環境も被災しているという悪条件が前提」という。近くに工事事務所はなく,高架橋上の作業で天候が崩れれば,雨露もしのげない。郡山工区を担当した金澤亮一所長は,「パソコンも何もない状況で,携帯電話から入る膨大な情報の処理に追われていた」と振り返る。

3つの工区を統括した遠藤哲朗土木工事部長が心配していたのは, 社員の健康状態だった。新しく社員を送り込んでも,交替要員にはならず,全員が現場に張り付く形となり,24時間体制で工事が行われた。「関西支店や北陸支店から応援に駆けつけた社員は,阪神・淡路や中越の震災で世話になったという思いが強く,休みなく働き続けてくれた」と感謝する遠藤土木工事部長。「現場そのものに一体感があった。今回東北支店が受けた恩義を忘れてはならない」。

改ページ

写真:小嶋寿麿所長

小嶋寿麿所長

写真:金澤亮一所長

金澤亮一所長

写真:遠藤哲朗土木工事部長

遠藤哲朗土木工事部長

被災後50日での全線復旧

4月7日に宮城県沖で発生した最大震度6強の余震により,新たな被害が生じる。別工区の復旧工事も追加された。それでも当初の工期ですべての復旧工事が完了し,震災から1ヵ月過ぎた4月12日,那須塩原〜福島間が開通。25日には東京〜仙台の運行も再開し,大型連休初日の29日,被災後50日で東京〜新青森の全線がつながった。

写真:運転再開でにぎわう東北新幹線・仙台駅ホーム

運転再開でにぎわう東北新幹線・仙台駅ホーム

48時間の施工で動脈をまもる NEXCO東日本常磐自動車道いわき復旧工事

福島県浜通りを震源地とするマグニチュード7.1の余震が,4月11日夕刻に発生した。

常磐自動車道いわき勿来(なこそ)ICの北約3km(福島県いわき市)において,切土法面が約4,000m3崩壊。4車線のうち3車線が崩落した泥岩に覆われ,通行不能となった。

常磐自動車道は,福島県太平洋沿岸地域の緊急車両などの重要動線となるため,いち早く復旧が求められる。NEXCO東日本東北支社からの要請で,当社東北支店より12日早朝現地に駆け付け,現場調査を行った。

問題点が2つ。崩落土の中に車が埋もれている可能性があることと,崩落上部にある27万ボルトの鉄塔の基礎杭4本のうち3本が崩落で露出していることだった。関係機関と慎重に協議のうえ,安全かつ的確で迅速な復旧方法をすぐに決定した。担当した常磐自動車道石神工事事務所の田口浩己副所長は,「計画図もない状況で,その場で判断しなければならなかった」と緊急対応の難しさを振り返る。

特別緊急車両用の1車線の確保,鉄塔の転倒防止策を講じたうえで,午後4時本格的復旧工事を開始した。重機5台,ダンプトラック40台を緊急配備して,昼夜作業に入る。全作業無事に完了し,着手からわずか48時間,14日午後4時には“大動脈”が復活した。

写真:田口浩己副所長

田口浩己副所長

写真:被災直後

被災直後

写真:工事中の様子

工事中の様子

写真:復旧完了

復旧完了

一日も早い生産再開のために ルネサスエレクトロニクス那珂工場復旧工事

震災の影響は,東北地方にとどまらず関東地方にも広く及んだ。地震で大きな被害を受けたルネサスエレクトロニクスの那珂工場(茨城県ひたちなか市)。当社は,復旧対応の要請を受け,発災の翌日に現地入りした。

建屋の構造体は健全だったが,システム天井が落下し,防火区画壁が破損するなど,仕上げ材・構造二次部材が損壊。世界シェア3割を誇る組込型マイコンの生産ラインが停止した。

最優先での復旧を必要としたクリーンルーム内部については,当初見込みを1ヵ月以上短縮し,4月10日の完了が求められた。関東支店のみならず,中部,東京建築の各支店へ支援を仰いで人員を増強。特に4月5日〜10日の6日間は, 最大で社員40名・作業員約900名の編成により,24時間体制で復旧作業に対応した。

工事を担当した湊剛史工事所長は,「顧客と築いてきた強い信頼の下で成し得たことだが,様々な力を束ねて得意先の要求に応えて施工した当社の総合力は絶大だった」という。

6月より順次生産ラインが再開していく予定だ。

写真:ルネサスエレクトロニクス那珂工場

ルネサスエレクトロニクス那珂工場

写真:クリーンルーム内部の破損状況

クリーンルーム内部の破損状況

写真:復旧完了したクリーンルーム

復旧完了したクリーンルーム

写真:仮設資材が不足する中で,大勢の作業員の休憩所にはテントが設営された

仮設資材が不足する中で,大勢の作業員の休憩所にはテントが設営された

ホーム > KAJIMAダイジェスト > June 2011:特集「東日本大震災 復旧から復興に向かって」 > CASE 2 生活をつなぐ復旧

ページのトップへ戻る

ページの先頭へ