ホーム > KAJIMAダイジェスト > March 2012:特集「復興の一翼を担って」

KAJIMAダイジェスト

特集 復興の一翼を担って 「あの日」から一年

誰しもが忘れえぬ日になった。
2011年3月11日,東日本大震災は,かつてない激甚な被害を日本にもたらした。
メディアは,沿岸部の被災地を「壊滅」という衝撃的な言葉で伝え,福島第一原子力発電所では事故が発生した。
震災は,これまでの日常を一変させた。

「あの日」から一年——
広域に及ぶ被害に,復興への道のりは長く遠い。
だが着実に,その歩みが始まっている。当社は,発災時から復旧活動に従事してきた。
応急復旧工事から本格復旧工事,がれきの処理に福島第一原子力発電所への対応。
現在も多くの社員が奮闘を続ける。
その根底にあるのは,建設業の一員として,国土を守る責務を果たし,復興の一翼を担っていくという使命感。
今月の特集では,当社が取り組むプロジェクトを通じ,復興に向けて尽力する人々の姿を伝える。

写真:災害廃棄物処理業務(石巻ブロック)

災害廃棄物処理業務(石巻ブロック)

改ページ

史上最大規模の被害をもたらした東日本大震災。各種インフラが寸断され,ガソリンなどの物資も不足するなか,当社は多くの復旧工事に対応してきた。東北・関東・東京土木・東京建築・横浜各支店が迅速に対応し,建築物や土木構造物などの被災調査を行った。特に被害が大きかった東北支店では,全ての施工中のプロジェクトと過去30年まで遡った施工物件,要請を受けた案件の被災調査を実施している。その後,調査の結果を踏まえて建築物や道路,鉄道などの応急復旧工事に従事した。この間,本社・各支店から救援物資が届けられ,多数の技術者が応援に駆け付けた。日本建設業連合会を通じ,救援物資や復旧用資機材の調達・運搬,役務の提供も行った。

復旧にひとつの区切りがついたのは,震災から50日目となる4月29日。宮城県はこの日を「復興キックオフデー」とすることを提唱した。大型連休の初日であり,東北楽天ゴールデンイーグルスとベガルタ仙台の本拠地初戦が行われるためだ。交通インフラや商業施設などもここに照準を合わせて復旧を急いだ。当社も東北新幹線や東北自動車道,商業施設,スタジアムなどの復旧工事に従事。一日も早い復旧をめざし,昼夜問わずの突貫工事となった。「復興キックオフデー」当日は,各地で多彩なイベントが行われ,仙台を中心とした街は活気を取り戻す。ここから,工事は応急復旧工事から本格復旧工事へとシフトしていく。

一方,津波で被害を受けた沿岸部では,復旧が進まず,沈下した地盤は大雨や大潮で冠水し,住民を悩ませた。がれきの撤去は進まず,仮設住宅の着工がやっと本格化した頃だった。沿岸部がれき処理の試金石として注目を集めた釜石市のがれき処理施行事業「災害廃棄物処理事業(試行)」が公告されたのが7月12日。当社もJVの構成員として参加している。9月16日には,最大規模となる石巻地区の事業を9社JVで契約した。宮古地区では1月20日に選別設備の稼働を開始している。

福島第一原子力発電所では,発災当初から懸命の作業が続く。工事を担当する東京土木・建築両支店では,全国から社員が集結し作業にあたっており,社員の献身的な活動が大きな力となっている。現在では,除染事業も始まっている。

今後被災地では,がれきの処理が進み,沈下した地盤のかさ上げや造成,インフラ整備,防災事業などと続いていく。復興には,地域産業に根付いた復興計画が必要になり,民間企業が再生することで雇用が守られて復興が進む。当社は,総力を挙げて復興の一翼を担っていく。

ホーム > KAJIMAダイジェスト > March 2012:特集「復興の一翼を担って」

ページのトップへ戻る

ページの先頭へ