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よみがえる国宝 瑞巌寺

日本三景のひとつである宮城県松島の優美な諸島を眼下に望む「国宝 瑞巌寺」。
東北地方における桃山文化の代表建築として名高いこの寺院は,
1609年の建立以降,長年の腐朽や沈下,近年の度重なる地震により,
建物が著しく傷んできたため,2008年に「平成の大修理」と銘を打ち,保存・修理事業を開始した。
約9年にわたる工事は最終段階を迎えている。
本号では,これまでの記録から工事の軌跡を追う。

写真:瑞巌寺

改ページ

沿革

瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい,臨済宗妙心寺派の禅寺である。

その歴史は古く,平安時代の初め天長5(828)年,比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁により開創され,延暦寺と比肩すべき意を持って天台宗延福寺と命名された寺がその前身と伝えられる。奥州藤原氏,鎌倉幕府の庇護を受けた延福寺は,鎌倉時代中期に約400年の歴史をもって滅した。その後,法身性西和尚を開山とし,円福寺と改称,臨済宗建長寺派の禅寺に改めた。

円福寺は,その勢力を岩手県南部にまで伸張していき,寺格も五山十刹に次ぐ諸山から,やがて十刹に位置づけられ発展した。しかし,戦国時代を経て次第に衰退し,その末期に妙心寺派に属した。

図版:地図

慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い後,仙台を治府に定めた伊達政宗は,仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い,塩竈神社,仙台大崎八幡宮,陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させた。

なかでも慶長9(1604)年に始まった瑞巌寺の造営は心血を注いだ事業だった。桧,杉,欅などの用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し,海上を筏に組んで運び,大工は京都・根来の名工約130名を集め,5年の歳月をかけ,慶長14(1609)年に完成させた。その豪華な姿は松尾芭蕉の「おくのほそ道」でも述べられている。伊達家の厚い庇護を受けた瑞巌寺は110余りの末寺を有し,領内随一の規模,格式を誇った。

現存する本堂(玄関附属),庫裡及び廊下は国宝に,御成門,中門,さらには障壁画が国の重要文化財に指定されている。

年表

828
1259頃
1578頃
1600
1604
1608
1609
1620
1689
1903
1953
1959
1980
1985

天長5
正元元頃
天正6頃
慶長5
慶長9
慶長13
慶長14
元和6
元禄2
明治36
昭和28
昭和34
昭和55
昭和60

慈覚大師円仁,天台宗延福寺を開創
法身,臨済宗円福寺を開創
建長寺派から妙心寺派に転派する
関ヶ原の戦い。伊達政宗が仙台を治府と定め,城を造り始める
8月15日円福寺復興の縄張り
瑞巌寺の新名称が公表される
瑞巌寺本堂完成
障壁画制作着工
松尾芭蕉,瑞巌寺に詣でる
明治の大修理完了
本堂(方丈),国宝指定
庫裡国宝指定
本堂障壁画,国重要文化財指定
本堂障壁画の保存修理・復元模写事業開始

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