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保存修理への思い

interview 臨済宗妙心寺派 瑞巌寺 新田裕峰 執事長

今回の保存修理事業は1903(明治36)年に行われた修理以来の大規模なものとなりました。瑞巌寺は828年,この地に開創したと伝えられる天台宗延福寺からの歴史があります。奥州藤原氏の精神を受け継いだ伊達政宗公が当時の桃山文化を加えて建立されたこの寺は,東北地方においては禅宗随一と言えます。政宗公の瑞巌寺に対する思いは特別で,造営にあたっては自ら縄張りをし,梅村彦左衛門家次一家や刑部左衛門国次と歴史に名高い名工を集めたことからも窺えます。桃山美術がこのように良好な形で残っている例は全国的にみても数多くありません。我々は後世へ継承する責任があり,この事業は通過点に過ぎません。そうしたなかでの大修理ですから,鹿島さんも重圧があったかと思います。佐藤所長をはじめ現場の皆さんが瑞巌寺の思いを汲み,長年懸命に対応してくれ,ここまでくることができました。

修理にあたり行った発掘調査で,前身である円福寺の礎石が見つかったことや,解体した本堂の主要な壁に筋違が採用されていたことがわかったのは大きな発見でした。今回行ったコンクリート基礎工事や画期的な耐震補強とともに国宝瑞巌寺の歴史のひとつとして刻み,後世へ伝えたいと思います。

写真:新田裕峰執事長

新田裕峰執事長

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施工を指揮してきた2人のベテラン社員

国宝瑞巌寺建造物保存修理工事事務所 佐藤 啓 所長 菅家道郎 副所長

「瑞巌寺のような歴史ある建物はこれからもずっと残る。我々にはそれを後世に伝える使命がある」と語る佐藤啓所長。これまで6年間にわたり国の重要文化財である正法寺(岩手県水沢市)の保存・修理工事を指揮してきた経験者だ。「伝統建築の保存修理工事に携わる前は,すべて新しい部材に取り替えれば良いのではないかと思ったこともあった」。しかし,工事に向き合い建物を解体したことでその考えは一変した。「連綿と続く職人の技術に触れて驚愕した。コンピュータもない時代に人の手でこのような精密なものづくりをしてきたこと,長年の歴史を経て蓄積された技術に当時の職人の思いが感じられた」(佐藤所長)。受け継ぐことの大切さを胸に工事に臨んだ。

「このような大規模な寺社の工事は初めてだった。現代建築では使われない専門用語もたくさんあった」と菅家道郎副所長は話す。馴染みのない言葉に最初は戸惑ったが,専門書や用語辞典から伝統建築について学んだ。菅家副所長の知識がまとめられているのが「斉太郎通信」と名付けられたミニコミ誌だ。その名前は「松島の瑞巌寺ほどの寺もない」とうたう宮城の民謡「斉太郎節」に由来している。寺社周辺の住民に配られる斉太郎通信はこれまでに約70号を数え,工事の進捗のみならず瑞巌寺の見どころや寺社のなかで感じられる四季の移ろいなど内容は多岐にわたり好評を得ている。

「国宝に携わることができたことを誇りに思っている」と2人は口を揃える。屋根に置かれた鬼瓦のように阿吽の呼吸で工事を進めてきた。平成の大修理が間もなくフィナーレを迎える。

写真:佐藤啓所長(左)と菅家道郎副所長

佐藤啓所長(左)と菅家道郎副所長

図版:斉太郎通信

斉太郎通信

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