特集:フルキャストスタジアム宮城へ行こう

chapter 1 フェーズ1の“ゲームセット”まで

 1978年にロッテオリオンズが去って以来,フランチャイズとしてプロ野球の空白地となっていた仙台では,昨シーズン中からのプロ野球再編の動きとともに,新球団がやってくるというニュースに色めき立った。
 楽天イーグルスの新規参入が決定後,旧宮城球場の改修にあたり,当社は設計・施工コンペで選ばれる。プロ野球のオフシーズンを利用するドラマティックな改修工事はそれからスタートしたのである。
 まずは昨年秋から今年春まで行われた第1期工事(フェーズ1)の“ゲームセット”までを振り返る。

設計・施工の名バッテリー
 旧宮城球場は,部分改修は行われていたが,本体は1950(昭和25)年に建てられたもの。改修計画は基本的にあるものを活かし,使えるところは極力使う,という方針で始められた。しかし,たとえば床面の漏水が激しく,防水工事が急遽追加で行われるなど,一つひとつの部位で臨機応変な判断が求められた。そこで現場には設計部隊が常駐,施主との打合せ後,すぐに図面を起こし,工事へ・・・・・・という迅速かつスムースな体制のもとで工事は進められた。設計・施工の言葉通り,その一体化が不可欠な工事だったといえる。
 そうして約130日間という“超短工期”の現場はめくるめくスピードで変貌していった。

大雪への対策
 仙台は今冬,例年にない雪に見舞われた。1〜3月の平均降水量は59ミリと,昨年の同じ時期に比べると約2.5倍。3月に入ってから20センチの大雪が降る日もあった。工事では除雪という一工程を加えなければならないために,関係者も頭を痛めたが,天気予報で翌日が雪となると工程を1日前倒しして,影響を最小限に食い止めるといった努力が続けられた。
 1月下旬からは24時間工事を導入するなど,できることを尽くして,フェーズ1工事の完成を迎えた。
フェーズ1の“ゲームセット”まで
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外野席・ブルペンなどの掘削土をグラウンド内に盛っている 前日に降った雪が盛土に積もり,銀世界となった大晦日
グラウンドの整備がスタートし,重機の数も増えていく メインスタンドの塗装が始まっている。奥にスコアボードや外野席の土台も見える
メインスタンドへの座席設置完了 人工芝が内野から外野へと敷きつめられていく
スタンドの座席もほとんど設置された。スコアボードはほぼ完成,足場を外すのみとなった
interview
 秋田・こまちスタジアムなどの現場を経て,フェーズ1の工事を指揮した河原木忍現場所長は,「工事までの準備,設計,施主との打合せ,工程の段取りなど,すべてに時間が足りない。つくりながら図面を描く,現場から提案する・・・・・・設計・施工ゆえ無理を利かせたところもあるが,また利点でした」という。“走りながらやった”というのが実感とのこと。
 グラウンドのなかの品質と工程を守ることが,本工事の最も大切なところである。
 「通常考えれば,1年以上はかかる工程だとは思うが,“この工事なら頑張ってやる”と言っていただける作業員さんが多く,有り難かった」。三木谷オーナーと同い年の若き所長だが,さまざまな工事現場の経験と東北支店のネットワークを生かし,工期と品質を保った。
 「新球団誕生に向けて,気持ちが盛り上がっていたのは間違いない。自分の家族などもふくめ,東北全体がそうだと思います。だからこそうまくやらなくてはならないという気持ちで一杯で,普通の工事に比べて,所員もたぶん“楽しく”やっていたんじゃないかと思う」。
 それにしても,これだけの工事内容,周囲の注目やプレッシャーのなかで,いつごろ終わるという実感があったのだろうか。河原木所長は「うーん・・・・・・」と苦笑しながら,「3月中旬の人工芝敷きが終わり,グラウンドが一面緑に変わったころ」がそのときだと語った。
 また想定外だったのが,注目される工事ゆえの取材の多さだったそうで,所長もだいぶ“インタビュー慣れ”し,能弁に感慨を語っていた。
1月下旬,現地を訪れた梅田社長を案内する河原木所長(右)



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