ホーム > KAJIMAダイジェスト > May 2010:土木が創った文化

KAJIMAダイジェスト

土木が創った文化「隧道」~難所を平らかに~

写真:旧中山隧道内部。小松倉地区の住民がツルハシだけで掘り進めた日本最長の手掘りトンネルである。天井や壁には氷が張り付いていた

旧中山隧道内部。小松倉地区の住民がツルハシだけで掘り進めた日本最長の手掘りトンネルである。
天井や壁には氷が張り付いていた

新潟県小千谷市から国道291号を東へ15kmほどで,中山トンネルに到着する。脇に佇むのが,現在は通行止めとなっている旧中山隧道である。

入口に掲げられた「中山隧道の経緯」に,こう記されている。「本隧道は,子々孫々の暮らしに安からんことを願い,我らのツルハシで掘り抜き,49年間村を支えてその役割を中山トンネルに引き継いだものである」。

旧中山隧道は,延長877m(開通当時は922m)の日本最長の手掘りトンネルである。1933年(昭和8年)から,山古志村(現長岡市)小松倉地区の住民がツルハシだけで掘り進め,1949年に貫通した。その後の拡幅工事で,幅2m・高さ2.5m・長さ877mの規模となった。

豪雪地帯の山古志村の中でも最奥の小松倉は長岡まで20km,小千谷へは15kmに対し,中山峠経由で小出へ12kmに位置しており,小出に生活・福祉・医療・経済を依存していた。片道2時間の道のりで,厳冬期の労苦は想像を絶するものがあった。そこで住民たちは,自らの手で隧道を掘ることを決意。農閑期の冬に掘り始めたのだった。

隧道は1962年に県道に認定され,1982年には国道に昇格。以後新中山トンネルが完成するまでの49年間,住民の暮らしを支える命の道となった。

写真:3月末の旧中山隧道小松倉側坑口(右)。左は新中山トンネル

3月末の旧中山隧道小松倉側坑口(右)。左は新中山トンネル

改ページ

写真:着工当初の新丹那トンネル函南口付近(左)。旧丹那トンネルの体験を活かし,約4年という短期間に完成させた。50mほど離れて旧丹那三島口が見える

着工当初の新丹那トンネル函南口付近(左)。旧丹那トンネルの体験を活かし,約4年という短期間に完成させた。
50mほど離れて旧丹那三島口が見える

3月末の旧中山隧道周辺は雪に覆われていた。隧道内部に氷が張り付いている。「今年はいつもより雪が多かった」と,案内をしてくれた小川晴司さんがいう。小松倉集落に住む小川さん自身も,掘削を手伝っている。「小学生高学年のころで,隧道内にふいごで空気を送ったり,トロッコを押したりしました」。隧道の中は暖かかったが,作業を終えて集落に戻るのは辛い。「雪の中を必死に泳ぐのです」。それほどに雪は深かった。

隧道を掘る前,小松倉の住民は急病人が出ると,吹雪の夜を徹して小出の病院に運んだ。その間に亡くなる人も多かった。小川さんが両親から何度も聞いた話だ。それだけに,集落の隧道掘削への熱い血潮をいまも覚えている。

公共事業を「個人では実現できない国レベルや地域レベルの,安全で効率的で快適な生活・生産環境を整える事業」と位置づけるなら,旧中山隧道の道路開発は,公共事業の必要性を訴える強烈なエネルギーでもあった。

小川さんは父と祖父が掘削に従事している。「3代が関わったことを誇りに,これからもこの隧道を守っていきたい」と,小川さんはいう。2003年には,開通当時の山古志村村長による小史「中山隧道の記録」をもとに作成されたドキュメンタリー映画「掘るまいか」(橋本信一監督)が公開された。隧道は2006年に土木学会選奨土木遺産に認定され,土木事業の意義を後世に伝える役割を果たしている。

小川晴司さんの写真

小川晴司さん

旧丹那トンネル工事に入坑する作業員の写真

旧丹那トンネル工事に入坑する作業員

日本の鉄道の初期に建設されたJR九州肥薩線「矢岳第一トンネル」(宮崎県・当社施工)の2つの坑口に,「天険若夷(てんけんじゃくい)」と「引重致遠(いんじゅうちえん)」の扁額が掲げられている。これを繋げて読むと「天下の難所を平地であるかのように工事したおかげで,重い貨物でも遠くまで運ぶことができる」という意味になる。

隧道が人々に与えた喜びと貢献が,この文字から読み取れる。矢岳第一トンネルは25パーミルの下り片勾配と凝灰岩からの湧水で,青函トンネルに匹敵する難工事だったという。沿線住民の喜びは,ひとしおだったに違いない。

鉄道トンネル工事の象徴的な存在の一つが丹那トンネルである。東海道線の移動時間の短縮と大量輸送実現のため,従来の御殿場越えに代えて,熱海~三島間をトンネルで直結する,国内では例のない長大トンネル(7.8km)である。鹿島組(当時)が特命で選ばれ,西口(三島口)を担当した。

1918年に7ヵ年の予定で着工したが,断層と高圧湧水の連続で難航し,16年の歳月を経て1934年に完成した。これにより東海道線の輸送能力は3倍以上に増大,日本経済の発展に貢献した。

それから四半世紀を経た1959年,当社は東海道新幹線新丹那トンネルの函南口(西口)を施工する。丹那トンネルの体験を活かし,近代土木技術を結集して,約4年という短期間に完成させた。

石田尚志さんは入社2年目で,新丹那の現場に測量担当として配属された。「新丹那は“世界の地質の宝庫”といわれるほど地質が多様で,細砂と高圧,そして大量の水に囲まれていた」という。

切羽からの大出水にも遭遇したが,黒い濁水を見た坑内員の「全員退避」の声に,間一髪事なきを得た。「流出する水の色,クラック,山鳴り…自然は必ずサインを送ってくる。坑内員の豊かな経験と,旧丹那のデータがそれを教えてくれたのです」。

1962年貫通。切羽の中央にペイントされた十文字を,反対側からの「探り鑿(のみ)」(削岩機の刃先)がぴたりと探り当てた瞬間の感動を,石田さんはいまも忘れない。鑿が穿った孔から吹き込む冷気を含んだ風は「天国からの風のように思えた」という。現在76歳。京都市に住む。

 

石田尚志さんの写真

石田尚志さん

新丹那トンネル導坑貫通を祝うの写真

新丹那トンネル導坑貫通を祝う

写真:3月に開通した首都高速道路山手トンネルの大橋JCT~西新宿JCT間。山手トンネルは首都高の渋滞解消の切り札として期待されている

3月に開通した首都高速道路山手トンネルの大橋JCT~西新宿JCT間。
山手トンネルは首都高の渋滞解消の切り札として期待されている

東京や大阪など過密都市では,地下トンネルの構築が高密度で進んでいる。インフラ整備のための土地確保が逼迫したこと,周辺環境への影響,経済活動の都市への過剰な集中,それに地下掘削の最先端技術が,地下への社会資本整備を促した。

3月に開通した首都高速道路山手トンネルの大橋JCT~西新宿JCT間は,当初の都市計画決定は高架方式だった。しかし「世界で最先端のシールド関連技術で地下式の構造が実現した。いま整備している首都高速道路は,品川線や横浜環状北線なども含めてトンネル構造なしでは考えられません」と,首都高速道路広報室長の池谷勝之さんは話す。山手トンネルは首都高の渋滞解消の切り札としても期待されている。

当社関西支店の仙波尚史さん(現大阪ガスHOライン工事事務所副所長)は,これまでに神戸市営地下鉄海岸線中之島工区,大阪ガス近畿幹線滋賀ラインなど,多くのシールドトンネルを手がけてきた。工事着手から携わった最初の現場は,大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅。「世界初の3つのカッターフェースを持つ3連MFシールド工法が導入された工事でした」。

ところが,シールド掘削を本格的に開始した日が阪神・淡路大震災とぶつかった。「被害の大きさがわかり,支店も対策に奔走していましたが,このシールドは予定通り掘進を続けた。何か不思議な思いの中で,工事を進めた記憶があります」という。ビルの地下38mの駅建設に,当社のシールド工法への期待が結集されていた。

近年は,地下鉄や自動車道など地下交通のほか,洪水予防の大規模放水路や電気・ガス・上下水道など共同溝の地下利用が進んでいる。

 

仙波尚史さんの写真

仙波尚史さん

地下鉄大阪ビジネスパーク駅の工事に導入された3連MFシールドの写真

地下鉄大阪ビジネスパーク駅の工事に導入された3連MFシールド

改ページ

写真:世紀の長大トンネル「青函トンネル」は全長53.9km。作業坑で起きた大出水など多くの難関を突破しながら,1985年海峡中央部で本坑が貫通した

世紀の長大トンネル「青函トンネル」は全長53.9km。作業坑で起きた大出水など多くの難関を突破しながら,
1985年海峡中央部で本坑が貫通した

世紀の長大トンネル「青函トンネル」は全長53.9km,うち海底部は23.3kmある。当社JVは本州側の竜飛工区を担当した。作業坑で起きた大出水など,多くの難関を突破しながら1985年,海峡中央部で本坑が貫通。1988年に一番列車が海底トンネルをくぐり抜けた。地質調査から42年,着工から16年の歳月をかけての完成だった。

「この間のトンネル掘削は,山と水と風との闘い,そして時間との闘いであった。しかし人々の英知と技術を結集したこのトンネルは,我々が残す“未来への遺産”であると信じている」。12年余を強風と極寒の地の工事に邁進した3代目所長,丸善光さんが1988年5月号の『月報KAJIMA』に寄せた一文である。

「子々孫々の暮らしに安からんことを願い,我らのツルハシで掘り抜いた」小松倉住民の強靭な意志に重なってくる。

【シールド工法】

シールド工法は,先端に鋼製のカッタービットを設け,ジャッキの力で前進させながら,前面の土砂を掘削。その後方でセグメントと呼ばれるブロックをリング状に組み立ててトンネルを構築する技術である。軟弱で崩れ易い土質にも適用可能で,騒音や振動が少ないメリットもある。世界に誇る日本の建設技術のひとつである。

当社開発の地中拡幅(VASARA)工法や分岐合流工法,機械式地中接合方式などシールド掘削技術の進歩は目覚しく,施工中の東急東横線新渋谷~代官山間の地下化工事には,複線断面を合理的に掘削できるアポロカッター工法が導入されている。

発掘!旬の社員
鹿島の見える風景作品集

ホーム > KAJIMAダイジェスト > May 2010:土木が創った文化

ページのトップへ戻る

ページの先頭へ