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シリーズ 東日本大震災から5年 東北の春2016 復興への道を築く人たち まちづくり

復興のスピードには目を見張るばかりだ

宮城県女川町の駅前商店街「シーパルピア女川」で賑わいをみせる「おんまーと」には,食料品から日用品までが一通り揃う。震災前からスーパーマーケットを手がけていた「御前屋(おんまえや)」の佐藤広樹社長が構えた念願の拠点だ。

「シーパルピア女川」は,2015年12月23日,JR石巻線女川駅前のメインストリート「プロムナード」に沿って建てられた。平屋6棟・27店舗で構成され,週末には多数の観光客が訪れる。同年3月に行われた石巻線の開通と女川駅の開業を祝った「おながわ復興まちびらき2015春」から9ヵ月あまり。次々とオープンする施設群は,このまちの着実な復興を象徴している。

「復興のスピードには目を見張るばかりだ」と佐藤社長はいう。人口1万人あまりであった女川町は,町内の9割が被災し,3,900 棟以上が津波の被害を受けた。町全体が見る影もない被害に「どうしようもないほどきれいさっぱりやられた」と振り返る。佐藤社長は家族を亡くしながらも震災前から離半島部にサービスを提供していた移動販売車を使い,ゴールデンウィークには商売を再開した。「“今を生きる”。1年間はそれしか頭になかった」。“今できること”を考え,移動販売のほかに宿泊施設運営,弁当配達などを行ってきた。現在,青年経営者のひとりとして女川の復興を牽引している。

写真:「御前屋」の佐藤広樹社長

「御前屋」の佐藤広樹社長

女川町では,復興に向けてインフラ整備を行って宅地を高台に移転し,水産加工団地や商業施設,公共施設などの整備を行う「まちづくり」が進む。これを主導する「おながわまちづくりJV」の指揮官が,宮本久士所長だ。空前の土木工事となった羽田空港D滑走路の建設工事でJV企画運営業務を担い,大手ゼネコン15社を束ねた手腕を買われて当初計画時から参画した。2014年6月に髙橋秀充工事長の後を継いで2代目の所長となっている。

写真:女川町駅前地区

女川町駅前地区

写真:女川町は町内の9割が被災した

女川町は町内の9割が被災した

写真:2015年3月に開業した女川駅

2015年3月に開業した女川駅

写真:2015年3月21日に行われた列車出発式

2015年3月21日に行われた列車出発式
写真:日刊建設工業新聞社

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懸命に仕事をしてきて結果がついてきた。それが信頼につながっている

この事業では「CM(Construction Management)方式」が活用され,当社JVは調査・測量・設計・施工業務に加え,まちづくり全体の総合的なマネジメントに携わってきた。道路や河川,港湾など事業主が異なる工事についても当社JVが工程調整などを行っている。迅速な復興をめざし,全体の設計完了を待たずに部分的に着工していくファストトラック方式が採用され,コストを開示するオープンブック方式が業務の透明性を確保している。

宮本所長は,着工当初の状況について「より早く,よりよいまちづくりのためにどうしたらいいのか。どういう仕組みをつくり,どういう体制で進めていくか。毎日が産みの苦しみだった」と話す。業務が軌道に乗った現在では,月に2~3度新たな契約を締結して,工事を終えたところから部分引き渡しを繰り返す。現在のJV職員は170人。毎日1,000人もの作業員が復興業務にあたっている。復興事業のなかでも規模が大きく,スピードも早い。“復興のトップランナー”として紹介される機会も多くなった。「注目されていると感じれば,安全・品質トラブルを起こせないという意識につながる。これが協力会社にも浸透してきている。歯車がうまくかみ合っている状態ですね」。早い復興に町民には応援団が多いという宮本所長だが,当初は“利益だけが目的で東京から来たのでは”と色眼鏡で見られることも多かった。「懸命に仕事をして,結果がついてきた。それが信頼につながっていると思います」。当初は住民から“不夜城”と呼ばれるほど繁忙を極めていたという。

写真:宮本久士所長

宮本久士所長

工務の指揮を任されているのが,国内留学でCMについて修めた経歴をもつ尾中隆文工務チームリーダーだ。「今回の復興版CM方式には,前例がありませんでした。どこに聞いても正解を得られないのが一番の悩みでしたね。自分で考えたことが道筋になっていくのは醍醐味でもありましたが,不安もつきまといました」。尾中チームリーダーが心がけるのが“まちの全体最適を考える”ことだ。当社JVがやりやすいようにではなく,まちづくり全体がスムーズに進むように配慮する。「まちがにぎわいをみせてきて,次のステージに入った。今では復興支援というより,新しいまちをつくっている感覚です。まちびらきまでは復興。これからは違う。被災という言葉はあまり出てこなくなった。まちも少しずつ変わってきています」。

復興事業では,単身で現地に乗り込んで業務に勤しむ職員が多い。尾中チームリーダーもそのひとりで,家族を東京に置く。着任して3年,当時小学生だった2人の姉弟は中学生になった。尾中チームリーダーは「もうそろそろ帰らないと家に居場所がなくなる」と笑う。子どもたちを現場に連れてきたときには,がれきの山が広がる光景に怖がられたという。「まちの風景も変わった。また連れてきて自分の仕事を見せたいと思っています」。

現場では若手の教育を意識し,計画からコスト管理,折衝までできることをすべて任せている。そのなかでも「責任感が強くガッツがある」と宮本所長が評価するのが,船川真広工事係である。2009年に入社後,アルジェリア・アルズLPGプラントとインドネシア・カレベダムを経験し,2年間の関西勤務を経て2013年に女川に赴任した。中心市街地を中心に施工管理を行い,現在は離半島部15浜のうち5浜を担当している。女川で現場を切り盛りするようになって丸3年。頼もしさを増し,若手のリーダー格に成長した。「現場を預けてもらい,一連の流れがこなせるようになってきたと感じています。図面と施工が並行して進んでいくのが厳しいが,自分の考えを反映できる環境でやりがいはある。現場が止まらないように,職員・作業員が同じ方向を向けるよう雰囲気づくりに腐心しています」。業務の繁忙ぶりは堪えるが,現場をのぞきに来る地域住民の笑顔には代えられない。「最後は,みんなで喜べたらいいなと思っています」。

写真:尾中隆文工務チームリーダー(右)と船川真広工事係

尾中隆文工務チームリーダー(右)と船川真広工事係

写真:大型重機による造成の様子

大型重機による造成の様子

写真:日々,まちづくりが進んでいる

日々,まちづくりが進んでいる

※写真:大村拓也

女川町震災復興事業

場所:
宮城県女川町
事業者:
女川町
発注者:
独立行政法人都市再生機構
施工者:
鹿島・オオバ女川町震災復興事業共同企業体(おながわまちづくりJV)
業務内容:
震災復興の造成工事に関するマネジメント業務,地質調査,地形測量,詳細設計,
許認可に関わる図書作成および施工業務
規模:
[早期整備エリア]中心市街地7ha,離半島部14ha
[次期整備エリア]中心市街地約200ha,離半島部26ha
工期:
[早期整備エリア]2012年10月~2016年3月
[次期整備エリア]2013年3月~未定

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