鹿島紀行![]() |
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【臨時版】 宮城県女川町 〜緑あり・海あり・魚あり〜 |
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宮城県女川町・・・というと,当社が施工に関わった東北電力女川原子力発電所を思い浮かべるが,今回の主役は南三陸・女川の恵まれた自然。竣工を1年後に控えた(仮称)第1五部浦トンネルの報告も交えて,環境保全と住民との共生をめざす町の取組みを紹介する。 |
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鳴り砂は環境のリトマス試験紙 町の南東部・五部浦にある夏浜。晴れた日に砂の上を歩くと心地よい音が聞こえる。キユッ,キユッという響きは夏浜が奏でるサンドミュージック。きれいな波で洗われ,汚れのない美しい砂粒だけに許された音色である。夏浜と隣接の小屋取浜は良質の鳴り砂の浜として知られる。 鳴り砂の浜は,1900年頃には全国各地に60ヵ所ほど存在していたといわれる。いまは20数ヵ所に減少した。音の正体は石英の微小な砂粒。刺激を加えることで一斉に振動して鳴り響く。これが「鳴り砂現象」である。 だが残念なことに,各地の鳴り砂は年々鳴きが悪くなっている。土砂が混ざれば鳴かないし,海の汚染も密接に関連する。鳴り砂は環境汚染のリトマス試験紙でもあるのだ。 田村忠義さんは「おながわ鳴り砂を守る会」の2代目会長を務める。「鳴り砂は私たちが預かった貴重な財産。保護し後世へ受け渡す義務がある」。それで時折会員を招集して,浜に打ち上げられた流木や網,プラスチックなどを回収する。 田村さんは,なぜ砂が鳴くかということより,砂が鳴く意味を大切にしたいという。「砂が鳴くことは,私は元気ですよ,という砂の意思表示。海の健康状態を知る目安なのです」。清掃活動も啓蒙の意味が大きい。 夏浜や小屋取浜は,リアス式海岸の南三陸では数少ない砂浜である。夏は人気の高い海水浴場になる。浜を保存地区にすれば鳴り砂は守れ ![]() しかし夏を過ぎると,時化が砂を浄化してくれる。「秋が深まり,人の気配がなくなると砂は鳴り戻すのです。冬から春先の乾燥した日にいい音が聞こえる」と田村さんはいった。 田村さんは夏浜の「鳴り」に女川の自然の将来を重ね合わせる。「海の浄化は森林保護にも関係してくるし,生活の場から汚染を排除する努力も必要。自然を守る輪が広がればうれしい」。鳴かなくなった砂を元に戻すには,気の遠くなるほどの年月が必要なのだ。 |
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【女川町】 1926年(大正15年)に町制施行。面積65.78km2。現在の人口は約1万1000人。豊富な水産資源が町経済の基盤を形成する。「海と緑,豊かな自然と人に恵まれた活気のあるまちづくり」を町の基本理念としている。 【遺跡の町】 女川町には遺跡が多く,数々の土器が出土している。万石浦東端に近い浦宿遺跡からは今年,縄文時代早期の土器が発掘された。「奈良・平安期の須恵器は出土していたのですが,こんなに古いものが出るとは・・・」と町教委生涯学習課長補佐の林正一郎さんも驚きを隠せない。海山の恵み多く,雪の少ない温暖な風土が太古の人たちをここに誘ったのでしょう,と解説してくれた。 【女川町と鹿島】 ![]() 当社と女川町との関わりは,1960年の日本水産女川冷食工場建設(79年同工場増設)と,68年の野々浜地区の牡鹿半島有料道路(コバルトライン)工事に始まる。前後して女川原子力発電所取付け道路などを施工した。 女川原子力発電所は79年から敷地造成工事に着手し,以降1号機(80年),2号機(88年),3号機の各本館建屋(96年)に着工した。 女川町総合運動場では85年に造成工事を受注。引き続き町民野球場,町民庭球場,陸上競技場を受注した。02年に万石浦トンネル,04年に(仮称)第1五部浦トンネルを受注している。 |
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環境配慮の施工技術 いま女川町で当社は「(仮称)第1五部浦トンネル」(全長510m)を施工している。2003年9月には「万石浦トンネル」(全長423m)が竣工。いずれも町内の交通の利便性向上を目的にしたものだ。 少子高齢化,高度情報化など時代の変化と,行政需要の多様化や地域ニーズに対応するには,将来を見越した町づくりに取り組む必要がある。人が安全で安心して住める環境を創造するのも行政の重要な任務である。環境保護と経済発展の両立を図りつつ,いかに美しい日本を次世代に引き継ぐか――。それは女川町に限らず,いまを生きる私たちに課せられた共通の認識になっている。 建設業も事業活動に伴う環境負荷の低減と,より良い生活環境創出にいかに貢献できるかについて,真剣に取り組んでいる。その実現に建設業が培った最先端技術が寄与できる。安住町長も「鹿島の技術には信頼をおいている。町づくりに積極的に貢献してくれる会社だと思っています」と評価してくれた。 両トンネルの施工に当たっては,当社の他の施工物件と同様,自然環境への配慮を行ったのは勿論である。例えば――。 工事排水には濁水処理プラントを設置して,水素イオン濃度(pH)や浮遊物質を排水基準内に処理。環境負荷を最小限に止める工夫をした。また濁水の絶対量を低減するため,現地でのプラント製造ではなく,生コンクリート購入を採択した。緑化対策には,自然環境を工事前の状態に近づけるよう法枠工事に仕様変更して植栽を施した。このほかトンネル掘削に伴う ![]() 「町の基本方針に沿って,極力自然を傷めない配慮をした。残すべき自然は保全するという方針は貫けたと思う。これからも住民の皆さんにお役にたてるよう努力したい」と,(仮称)第1五部浦トンネル工事事務所長の川辺義一さんはいう。万石浦トンネルに続いての陣頭指揮である。 第1五部浦トンネルは9月30日に実貫通。10月29日に貫通式を行った。竣工は2006年10月20日の予定である。トンネル周辺には時折,鹿が工事の進捗状況を検分に姿を現すという。 |
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基幹エネルギーの一端担う 鳴り砂の小屋取浜から,東北電力女川原子力発電所の建物が望める。東北電力初の原子力発電所で,1984年6月に1号機の運転を開始した。最大出力は52.4万kWである。2号機は95年7月運転開始。3号機は1,2号機の北側に建設され,02年1月に運転を開始した。2,3号機とも出力は82.5万kW。3号機はわが国で21世紀最初に稼動した原子炉となった。 国定公園内に位置するため環境との調和にも配慮された。豊かな緑に囲まれ,目の前に透明度の高い海が広がる風光明媚な発電所としても知られる。1〜3号機のいずれも当社が施工に携わった。 今年2月に京都議定書が発効し,わが国も温室効果ガスの削減が急務になったことから,二酸化炭素を排出しない原子力発電が再び注目されるようになった。安住町長も女川原子力発電所が安定的なエネルギー源として貢献していることを認めつつ,「常に最高度の安全性と信頼性の構築を求め続ける」という。町と町民の将来の安全を預かる町長としては譲れぬ一線だ。水産と美しい自然が「売り」の小さな町が,21世紀のエネルギー政策の一端を担っている。 ![]() |
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【(仮称)第1五部浦トンネル工事概要】 場所:宮城県女川町横浦・大石原浜 発注者:女川町 規模:NATM 延長510m 幅員6.5m 内空断面積53.06m2 工期:2004年9月〜2006年10月 (東北支店JV施工) |