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バブル景気,未曾有の不況,そして21世紀へと

新しいオフィス像を提案したKIビル

1980年代半ばからは,民間による設備投資が回復し「建設業冬の時代」は終焉した。1989(平成元)年,当社は創業150年を迎える。この頃は,高度なOA機器,情報通信設備などと併せて,快適な室内環境を持つオフィス建設の需要が伸びる。いわゆるインテリジェントビルブームである。こうしたなかで1989(平成元)年に完成したKIビルこそは当社の提案する新しいオフィス像であった。最先端技術を駆使して真に快適な空間の提供を提案したKIビルは画期的で,その後のオフィスビル建築に少なからぬ影響を与えた。

1988(昭和63)年には青函トンネルと本州四国連絡橋の開通により,ついに日本列島は地続きになった。また,円高により国際競争力を身につけ,現地法人を設けて海外進出する日本企業もふえた。1990(平成2)年にはロンドン証券取引所に上場した。

貫通した青函トンネルの写真

貫通した青函トンネル 1988(昭和63)年開通
当社は本州側の竜飛工区を担当した

瀬戸大橋の写真

瀬戸大橋 1988(昭和63)年開通
南備讃瀬戸大橋の7Aアンカレイジなどの施工を担当

竣工直後のKIビルの写真

竣工直後のKIビル 1989(平成元)年完成
亜熱帯の植物が植えられたアトリウムは未だに斬新なイメージを失っていない

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バブル崩壊後の時代

1990年代は,1991(平成3)年のバブル経済の崩壊を契機に,それまでの景気拡大は終息し,社会全体の閉塞感が広がっていく時代となった。日本経済は下降線を描き始め,設備投資の減少,デフレの進行,個人消費の不振等,徐々にゼロ成長期の時代に突入していく。バブルの余韻により1990年代前半まで活況を呈していた建設需要も,その後民需を中心に急速に減少していった。こうした中,1992(平成4)年にオフィス,ホテル,商業施設などからなる東京イースト21が完成した。当社自らが事業主となり,企画・設計・施工はもちろんのこと完成後の賃貸事業や建物の運営・管理を行うなど,まさに鹿島の総合力が発揮された開発事業であった。1999(平成11)年には業界に先駆けて設立した技術研究所が50周年を迎えた。

東京イースト21の写真

東京イースト21(東京都江東区)は当社の開発事業による大規模な街の再開発。オフィス,ホテル,ショッピングセンターなどの商業施設などにより構成される。
1992(平成4)年完成

恵比寿ガーデンプレイスの写真

恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区)は,サッポロビール恵比寿工場の跡地の大規模再開発によって誕生した。
1994(平成6)年完成

フジテレビ本社ビル・ニッポン放送本社ビルの写真

フジテレビ本社ビル・ニッポン放送本社ビル(東京都港区)は臨海副都心の新しいランドマークとなっている。
1996(平成8)年完成

宮ケ瀬ダムの写真

宮ケ瀬ダム(神奈川県愛甲郡)は日本最大の重力ダム。
1987(昭和62)年~1997(平成9)年

施工中の川崎人工島の写真

東京湾アクアラインは調査開始から約32年,本工事着手から約9年を要した大工事であった。海底下におけるシールド機の地中接合などに当社の技術力がフルに発揮された(写真は施工中の川崎人工島)
1997(平成9)年開通

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低成長下における変革の時代

21世紀を迎えた2000年初頭の数年間は米国経済の減速,株式市場の低迷,不良債権処理問題など,企業経営を取り巻く環境は引き続き厳しいものであった。2004(平成16)年以降は,依然として緩やかなデフレ傾向は続いたものの,世界経済の回復基調を背景に民間設備投資や輸出が増加し,企業収益にも改善の兆しが見え始めてきたが,建設需要は一貫して減少基調が続いた。こうした中,当社はリニューアル,環境,エンジニアリング分野やPFI事業,不動産の証券化と言った新しい手法にも積極的に取り組むとともに,海外におけるインフラ整備需要にも対応し収益力の強化に努めた。その象徴的なプロジェクトとして,2005(平成17)年にはIT関連産業の世界的拠点である秋葉原UDXと秋葉原ダイビルが完成した。また2007(平成19)年に新本社ビルと赤坂別館の建替えを行い,本社機能を集約,再配置させた。

スエズ運河橋の写真

スエズ運河橋(エジプト)は,アフリカとアジアの両大陸を結び,古代エジプトの記念碑であるオベリスクをイメージした壮大な斜張橋。橋長730m,主塔高156mで,鹿島・NKK・新日鉄の共同企業体は,両岸のアプローチとなる高架橋を含む1,850mを建設した。
2001(平成13)年竣工

汐留地区のプロジェクト(松下電工東京本社ビル,日通本社ビル,汐留タワー,トッパンフォームズタワー,共同通信本社ビルの写真

東京の銀座・丸の内・霞が関などに隣接した,都心の一等地に位置する汐留地区。敷地の広さは31ha,東京ドーム6.6個分にも及ぶ。敷地の大部分は1986年に廃止された旧国鉄汐留貨物駅のターミナル跡地で,ここに次々とオフィスビルやホテルなどが建設された。当社は,2003(平成15)年に松下電工東京本社ビル,日通本社ビル,汐留タワー,トッパンフォームズタワー,共同通信本社ビルを建設した。

秋葉原クロスフィールド

秋葉原クロスフィールド(東京都千代田区)は,秋葉原駅前にNTT都市開発,ダイビル,当社の3社が「人・情報の交流(クロス)」をキーワードに「産学連携機能」「情報ネットワーク機能」「集客機能」を集積した複合施設「秋葉原ダイビル」および「秋葉原UDX」を開発。
2005(平成17)年竣工

鹿島本社ビルの写真  鹿島赤坂別館の写真

鹿島本社ビル(東京都港区)と鹿島赤坂別館(同)は当社の新本社ビルとして,次世代のワークスタイルに適応し,ハイレベルな執務空間を実現した最先端オフィスビル。旧本社ビルや都内に分散していた本社機能を集約,再配置することで,管理業務の効率化と事業部門の連携強化を図っている。
2007(平成19)年完成

技術研究所 本館 実験棟の写真

技術研究所 本館 実験棟(東京都調布市)は、創立60周年を迎えた技術研究所の建替え事業の一環として,環境関連の実験施設を集約させ,建物自体を新技術の実証実験の場とし,ショールームとしての機能も果たす。
2008(平成20)年完成

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100年先までを見据えた取り組み

2008(平成20)年の秋以降,サブプライム住宅ローン問題に端を発する金融危機の影響を受け,世界経済は同時不況に突入した。日本経済は,こうした影響に加えて円高の進行や原材料価格の高騰などにより企業収益に不透明感が増すなど,景気は持続的な回復から踊り場に入った。こうした中,当社は2009(平成21)年に創業170年を迎えた。

2010(平成22)年には,アジアのハブ空港としての第一歩を目指し,東京国際空港(羽田空港)の4本目となるD滑走路と国際線旅客ターミナルが開業した。当社は,それぞれのプロジェクトでJV代表会社となり,これら国家的プロジェクトの建設を主導した。一方,海外においては,活況を呈するシンガポールで大型プロジェクトが当社の施工で相次いで完成した。地上52階と32階のツインタワーからなるマリーナベイ金融センターの1期工事および,ホテル3棟,カジノ,劇場など総延床面積32万m2 にも及ぶ一大複合リゾート施設,ワールド・リゾート・セントーサが竣工した。

2011(平成23)年3月11日には,東日本大震災という未曽有の大災害が発生した。震災直後から当社は被災地の復旧・復興に向けてグループの総力を挙げて取り組み,宮城県 石巻ブロックのがれき処理事業をはじめ,福島県での除染事業にも参画している。 この大災害を機に,構造物の安全性やBCP(事業継続計画)に対するニーズはこれまで以上の高まりを見せている。当社は,引き続き地震対策技術などの研究開発に邁進するとともに,低炭素社会の実現に向けて,建物の省エネ化,再生可能エネルギーの普及,ZEB(ゼロ・エネルギー・ビル)実現に向けて着実に取り組み,100年先までも見据えた安全・安心・快適な社会づくりに貢献していく。

東京国際空港D滑走路の写真

東京国際空港D滑走路は,同空港(羽田空港)の4本目となる,世界でも珍しい埋立と桟橋を組み合わせた「ハイブリッド構造」を採用。当社がJV代表会社となり,約41ヵ月という短工期で施工した。
2010(平成22)年完成

ワールド・リゾート・セントーサの写真

ワールド・リゾート・セントーサは,シンガポールの南に位置するセントーサ島に誕生した大型複合リゾート。当社は,開発初期のモノレール・セントーサエクスプレスの建設から手掛け,ホテル3棟とカジノ,劇場などを建設した。
2010(平成22)年竣工

赤坂Kタワーの写真

赤坂Kタワー(東京都港区)は,鹿島旧本社ビル跡地に誕生した超高層複合ビル。30階建てのタワーは,テナントオフィスを核に賃貸レジデンスと店舗,駐車場からなり,緑と水と彫刻に包まれたオープンスペースが整備されている。
2012(平成24)年完成

東京駅丸の内駅舎保存・復原工事の写真

東京駅丸の内駅舎保存・復原工事(東京都千代田区)では,外観やドーム内部を創建当時の姿に忠実に再現するとともに地下に躯体を新設。日本最大級の「居ながら免震工事」を行った。
2012(平成24)年完成

参考文献:
  • 120年の歩み
  • 鹿島建設130年史
  • 鹿島建設140年の歩み
  • 鹿島建設の歩み「人が事業であった頃」(小野一成著)

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