細胞生物学とは、地球の歴史の中で進化しながら存在し続ける生き物の仕組みを、基本単位である細胞のレベルで解き明かす学問です。私が学生時代に感動し、将来を決定づけることになったセントラルドグマは、生命の情報がDNAからRNAを介してタンパク質を造るという一大原理でした。 その後、遺伝暗号からタンパク質が造られていく、即ち合成の過程の詳細が明らかにされてきました。しかしそこでは分解は一切触れられていません。一方で生命は絶え間ない合成と分解の動的平衡によって成り立っています。生命活動のすべてにかかわるタンパク質は、ヒトでは実はそのほとんどが自身を構成しているタンパク質の分解で生じるアミノ酸のリサイクルによって合成されています。従って分解なしには合成はないことを私たちは徐々に理解してきています。 私が長年研究してきたオートファジーは、細胞が自分自身の一部を分解する機構で、生命の維持に必須の役割をもつことが明らかになりつつあります。細胞が、絶えず合成し、不良品、不要なもの、危険なものを除去し、新しいものに入れ替えていく様は、まさしく工場や社会と同じ仕組みなのです。大きな生理的な変化や飢餓を乗り越えるためにもオートファジーは大切な機能です。その基本的な機構の理解が進み、今日それがガン、神経変性疾患、生活習慣病などの克服、健康の維持などへの応用へと多くの関心が広がっています。 それにはオートファジーの発見から60年、機構の概要の解明にも30年と長い年月が必要でした。 分解は一見すると無駄な作業のように見えるので、その研究も遅れて始まりましたが、合成と分解はコインの両面のように同じくらい重要なのです。今の時代、特に日本の社会では〝効率〟と〝役に立つ〟ことが重視される傾向が強くなっています。日本では科学者や科学を志す学生は、﹁それ何の役に立つの?﹂という質問に晒されています。しかし〝役に立つ〟とは一体何か、〝役に立った〟と何時評価ができるのかについてはあまり議論されてはいません。 現代社会の変化はスピードが加速し、それに対応した短時間の効率、すぐに役に立ちそうなことが大切にされます。しかしこれからは造る上で、その分解をも考える時間軸が大切だと思います。人類が地球という有限の星で持続的に発展するには、〝役に立つ〟という呪縛から離れて、今の日本人が苦手になりつつある数年ではなく10年、30年、さらには100年先を見据えた洞察が大切だと思います。長い進化の過程を経て獲得した多様な生物の知恵は、私たちにさまざまな示唆を与えるに違いありません。34KAJIMA202404おおすみ・よしのり 1945年福岡県生まれ。1963年東京大学に進学し分子生物学を専攻。同大学院にて理学博士を取得。1974年米国ロックフェラー大学、1977年東京大学、1996年基礎生物学研究所を経て、2009年より東京工業大学。現在、同大学栄誉教授。2016年、オートファジーに関するメカニズム解明への寄与で、ノーベル生理学・医学賞を単独受賞。現在も同研究を継続するとともに、2017年に大隅基礎科学創成財団を設立し、理事長として基礎科学の発展に努めている。著書に、共著『続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』(文春文庫)、『「役に立たない」研究の未来』(柏書房)、『未来の科学者たちへ』(KADOKAWA)など。vol.232