長い間、クラシックの演奏家は﹁つくる﹂ことを許されない職種だった。過去に作曲された偉大な作品を演奏する。楽譜に記された情報を的確に読み取り、個人的な感情をさしはさまず、ふさわしい技巧によって作曲家の意図を忠実に再現する。 いわゆる﹁新即物主義﹂という演奏スタイルは、第二次世界大戦前後、恩師安川加壽子先生の師ラザール・レヴィらによって推進された。作品をデフォルメすることが日常的に行われていた一九世紀後半から二〇世紀前半にかけての風潮を正す目的で、そのこと自体は正しかったが、少し針小棒大に受けとめられすぎた感がある。 ﹁楽譜に書いてないことを弾いてはいけません﹂﹁自分で作曲してはいけません﹂。音楽作品に対して、私たち演奏家は常に受け身であることを強いられてきた。 しかし、今年三月、表参道で開催されたあるコンサートに出演した私は、作品と積極的にかかわり、自らも﹁つくる﹂作業に参加する喜びを味わった。 それは、樹原涼子さんという熊本出身のピアニストで作曲家の作品を弾くコンサートだった。一九九一年に刊行された彼女のメソッド﹁ピアノランド﹂は、一八〇万部を超えるロングセラーとなっている。これまで出版された七冊のピアノ組曲はいずれも親しみやすい内容で、楽しく演奏しながら知らず知らずに大切なことを学べる仕組みになっている。 私がその日ソロで演奏した﹁いつでも﹂︵ピアノ曲集﹃やさしいまなざし﹄より︶は、一六ビートの左手に乗って右手がジャズ風の旋律を奏でる。繰り返しが多いので、作曲者の了解を得てそのつど違う装飾をつけてみたらとてもおしゃれになった。 やはり出演された若手ピアニストの西本夏生さんとは、同じ鍵盤をわけあって弾く連弾曲。低い方でずっと同じ音を弾いている西本さんのピアノの上で、メロディを担当する私が、何小節かアドリブで弾くシーンがある。最初は戸惑ったけれど、楽譜にないことを﹁弾いてよい﹂体験は刺激的だった。 同じく連弾曲の﹁楽興の時﹂︵連弾組曲﹃美しい時間﹄より︶では、楽譜の指示に従って﹁演技をする﹂場面も出てくる。動作やタイミングなど、二人で話し合って練り上げていく過程を楽しんだ。 もちろん、作曲者の意図は尊重しつつ、演奏家もまた﹁つくる﹂側にまわり、創意工夫を凝らすことを禁止されるどころか奨励される⋮⋮。 この日のコンサートは私にとって、まさに﹁美しい時間﹂となった。30KAJIMA202405あおやぎ・いづみこ 1950年、東京都生まれ。ピアニスト・文筆家。安川加壽子、ピエール・バルビゼの両氏に師事。フランス国立マルセイユ音楽院卒業、東京藝術大学大学院博士課程修了。リサイタル『残酷なやさしさ』により1990年文化庁芸術祭賞、CD『ロマンティック・ドビュッシー』で2010年ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞のほか、執筆では、安川加壽子の評伝『翼のはえた指』で1999年吉田秀和賞、2001年『青柳瑞穂の生涯』で日本エッセイスト・クラブ賞、2009年『六本指のゴルトベルク』で講談社エッセイ賞など受賞多数。日本ショパン協会理事、日本演奏連盟理事、大阪音楽大学名誉教授。兵庫県養父市芸術監督。vol.233photo:AkiraMUTO