1997年,開館した頃のビルバオ・グッゲンハイム美術館とビルバオ市内16KAJIMA202406

第3回 都市の年輪写真 ― 鈴木久雄文 ― 五十嵐太郎17KAJIMA202406

「ビルバオ効果」という都市再生の言葉がある。かつて工業都市として栄えていたものの,20世紀末に衰退していたスペイン北部のビルバオが,ランドマーク的な建築を中心とする1990年代の創造都市プロジェクトによって観光客が劇的に増加し,成功したことを踏まえたものだ。その目玉となるのが,1997年にオープンしたフランク・ゲーリーの設計によるビルバオ・グッゲンハイム美術館である。ニューヨークのグッゲンハイム美術館が,フランチャイズとして分館を展開することを構想し,他にも候補地はあったが,ビルバオ市が建設費を負担することで実現に至った。当時,こうした試みはマクドナルドの美術館バージョンだとして,「マック・グッゲンハイム」と皮肉られたらしい。もっとも,ビルバオの衝撃を受けて,アブダビや台湾でも進出が検討されたり,ルーブル美術館やポンピドーセンターも中近東やアジアに分館を設立したりしている。ちなみに,ゲーリーばかりが注目されるが,ビルバオでは,ほかにもノーマン・フォスター設計のメトロの入口(1995年),サンティアゴ・カラトラヴァ設計の空港(2000年)なども誕生した。さて,ビルバオ・グッゲンハイム美術館は,都市の代名詞となる強烈な造形をもち,こうしたデザインはアイコン建築と呼ばれるようになった。またゲーリー本人は手作業でかたちをスタディしているが,複雑な曲面はスキャンされ,データに変換された後,一つひとつ異なる部材を切りだす機械と連動している。かくして輝くチタンの鱗が制作され,全体のヴォリュームをおおう。歴史的な位置づけとしては,コンピュータを建設とデザインに用いた画期的な建築が,20世紀の最後に登場したことになる。しかし,アイコン建築は単に奇をてらった彫刻的なオブジェでしかないという批判もしばしば聞く。筆者は現地を訪れ,ビルバオ・グッゲンハイム美術館はそうではないと確信した。この建築は,うねる河川や巨大な車道橋などが出会う複雑な都市の文脈を引き受け,これらと絡みあうヴォリュームの構成をもつ。例えば,高架の道路の下をくぐって,ぴょんと跳ね上がる海老の尻尾のような部分は,ハリボテであることを隠さず,土木との緊張関係を生みだすためにつくられた。適切な場所とスケールの感覚は,建築家ならではである。そして変形したホワイトキューブ群が,中央の吹き抜けを囲むプランは,意外にわかりやすい。ところで,もうひとつビルバオで感心したのは,実は中世から近代に至るまでのすぐれた建築が重層的に残る街並みを形成していたことだ。つまり,現代建築は,新しい都市の年輪として蓄積されたものである。鈴木久雄 すずき・ひさお建築写真家。1957年生まれ。バルセロナ在住。1986年から現在まで,世界的な建築雑誌『ElCroquis(エル・クロッキー)』の専属カメラマンとして活躍。日本では1988年,鹿島出版会の雑誌『SD』「ガウディとその子弟たち」の撮影を行って以来,世界の著名建築家を撮影し続けている。ほかに『a+u』「ラ・ルース・マヒカ―写真家,鈴木久雄」504号,2012年,「スーパーモデル―鈴木久雄が写す建築模型」522号,2014年など。五十嵐太郎 いがらし・たろう建築史家,建築批評家。1967年生まれ。東北大学大学院教授。近現代建築・都市・建築デザイン,アートやサブカルチャーにも造詣が深く,多彩な評論・キュレーション活動,展覧会監修で知られる。これまでヴェネチアビエンナーレ国際建築展2008日本館コミッショナー,あいちトリエンナーレ2013芸術監督などを歴任。著書に『被災地を歩きながら考えたこと』『建築の東京』『現代日本建築家列伝』,編著『レム・コールハースは何を変えたのか』など多数。ビルバオ・グッゲンハイム美術館。1997年,イパラギーレ通りから望む(ビルバオ)18KAJIMA202406

デザイン―江川拓未(鹿島出版会)19KAJIMA202406