レサのスイミングプール(ポルトガル,レサ・ダ・パルメイラ)第4回 海と建築の融合アルヴァロ・シザが設計したレサのスイミング・プール(1966年)は,近くまで足を運んでいたのに,行きそびれた建築である。チャンスとなるはずのタイミングは,2007年。筆者が第一回リスボン建築トリエンナーレの日本セクションのキュレーションをつとめることになり,若手の建築家とともにポルトガルに渡航したときだった。会場は,1998年のリスボン万博の際,シザが手がけたポルトガル館である。厚み30cm,大きさが65m×58mのコンクリートのスラブがゆるやかに垂れ下がる,屋外の祭典会場で開催されたオープニングは印象深い。その後,地方都市のポルトに向かい,シザの事務所で本人に面会し,教会,大学,美術館などの白い建築群を見学した。おそらく最終日に残された短い時間でタクシーに乗って,プールに行こうというメンバーがいたが,疲れがたまっていたので,参加を見送った。ゆえに,今回の写真を見て,改めて後悔している。12KAJIMA202407

管理棟。カフェ,更衣室,シャワーなどが設置されている写真 ― 鈴木久雄文 ― 五十嵐太郎これはシザが28歳のときに依頼された仕事だから,最初期のプロジェクトである。が,ブルータリズムなど,まだマッシブなモダニズムの勢いがあった1960年代に,これほど詩的な風景をもたらすデザインを発表したことに驚かされる。プールに身を浸すと,水面が海に一体化して見えるだろう。絶えず押し寄せる,波しぶきも感じるはずだ。もちろん,谷口吉生の葛西臨海水族園や,隈研吾の水/ガラスのように,日本でも海と一体化する水面をもった建築はある。だが,両者は視覚的に連続するものの,海との実際の距離が遠かったり,ガラスを通して鑑賞するため,関係性が違う。さらにこれらが人工的なデザインのみで構成されているのに対し,シザの作品は,ごつごつとした岩と隣接するだけでなく,プールの境界線の一部に使われた。まさに自然と融合した建築である。大人用プールの陸側はコの字型だが,海側は岩を挟んでジグザグし,子ども用プールの輪郭線は丸みをおびている。伊藤廉の著作『ポルトガルの建築家 アルヴァロ・シザ』(学芸出版社,2020年)によれば,当初の計画は,満潮時に海水がプールに流れ込み,潮が引くと,プールとして使えるというシンプルなものだった。しかし,保健局の許可が下りなかったため,海水はいったんポンプで汲み上げ,処理してからプールに使われている。もっとも,必要最小限のコンクリートの壁でつくられたデザインは,心理的に海水がそのまま流入していると感じさせるだろう。なお,道路沿いには,細い空間に受付,更衣室,シャワーなども設けられている。レサのプールは大西洋と向きあう。大航海時代のポルトガルが,新しい領土を求めて船出した海である。前述したリスボン万博も,発見の時代を意識しており,シザは帆船のイメージから,ポルトガル館に曲線を導入していた。13KAJIMA202407

レサのスイミングプール,北西方向に大西洋が広がる14KAJIMA202407

鈴木久雄 すずき・ひさお建築写真家。1957年生まれ。バルセロナ在住。1986年から現在まで,世界的な建築雑誌『ElCroquis(エル・クロッキー)』の専属カメラマンとして活躍。日本では1988年,鹿島出版会の雑誌『SD』「ガウディとその子弟たち」の撮影を行って以来,世界の著名建築家を撮影し続けている。ほかに『a+u』「ラ・ルース・マヒカ―写真家,鈴木久雄」504号,2012年,「スーパーモデル―鈴木久雄が写す建築模型」522号,2014年など。五十嵐太郎 いがらし・たろう建築史家,建築批評家。1967年生まれ。東北大学大学院教授。近現代建築・都市・建築デザイン,アートやサブカルチャーにも造詣が深く,多彩な評論・キュレーション活動,展覧会監修で知られる。これまでヴェネチアビエンナーレ国際建築展2008日本館コミッショナー,あいちトリエンナーレ2013芸術監督などを歴任。著書に『被災地を歩きながら考えたこと』『建築の東京』『現代日本建築家列伝』,編著『レム・コールハースは何を変えたのか』など多数。デザイン―江川拓未(鹿島出版会)15KAJIMA202407