﹁谷本、内股一本!﹂2008年北京オリンピック、決勝の舞台。最高の瞬間が訪れた。それは、金メダルをとったことでも二連覇を成し遂げたことでもない。私の磨きに磨き上げた﹁内股﹂が夢の舞台で見事に決まったことだ。 初めて私が﹁内股﹂に出会ったのは、1992年バルセロナオリンピック男子78㎏級決勝戦。テレビにかじりつき応援していた吉田秀彦選手が会心の一撃で金メダルを獲得したシーンだった。それは、鮮烈な感動とともに11歳の脳裏に憧れとして焼きついた瞬間でもあった。以来、プロフィールに﹁谷本歩実、得意技﹃内股﹄﹂と、初めて知ったこの技の名を密かに書き、胸を膨らませた。 しかし憧れを実現するのは、簡単な道のりではなかった。軸となる一本足でバランスを取りながら、ダイナミックに相手を空中で回転させて投げる内股は、柔道の技の中でも難度が高く完璧に習得した柔道家はそれほど多くない。例えば、野球でホームランを狙って大きくバットを振るバッターに三振のリスクがあるように、内股には一瞬の隙を狙う相手の返し技が表裏一体にある。内股を実戦で仕掛けるためには大胆かつ繊細な技術が求められるのだ。 そうして憧れから15年の月日を経て、丹念に作り上げた内股が夢の舞台で花開いた。技術の習得にかけた熱意と時間は、誰にも負けない自信がある。29歳、私は﹁内股﹂を完成させた達成感に満ち溢れ、引退を決意した。 引退後、世界各地で柔道の指導を行い、﹁内股﹂を通し、技を﹁作る﹂というプロセスを伝えている。面白いのは、このプロセスを学ぶ姿勢が国によって様々だということ。世界から見て日本の柔道家は、技術力が高い。そんな日本の選手4人に1人が職人気質という調査結果がある。つまり技術の習得に熱意を傾けるということか。私も職人気質に違いないのだろう。 ﹁柔道のどこが好きですか?﹂という質問に悩んだこともあったが、そうか私は技を習得して﹁作り上げる﹂ことが好きなんだと気付いた。 今でも忘れない、二度目のオリンピックを終えた私に父がかけてくれた言葉。﹁オリンピックの金メダルは、誰にでもとれる﹂。反論しようとした私に続けて言った。﹁オリンピックの金メダルは、足し算だ。だが金メダルをとった後の人生は違う。これから歩実がどう生きるか、それはお前にしかできないことだ。歩実のこれからにオヤジは期待している﹂。まさにこの一言が私の人生において﹁つくる﹂第二章の幕開けとなった。 柔道には、ゴールがある。それは﹁柔道という修行を通し社会に貢献できる人を育てる﹂こと。創設者嘉納治五郎師範の願いでもある。今はこのゴールを目指して生き方を創っている。30KAJIMA202408たにもと・あゆみ 小学3年生で柔道を始め、20年間の現役生活を送る。23歳で迎えた2004年アテネオリンピックでは、オール一本勝ちで金メダルを獲得。連覇のかかる2008年北京オリンピックでは、前年に選手生命が危ぶまれるほどのケガを負うが、再起を果たし、オリンピック史上初となる2大会オール一本勝ちで連覇を成し遂げた。「平成の三四郎」と謳われたバルセロナオリンピック金メダリストの古賀稔彦氏との師弟関係にもなぞらえて「女三四郎」の異名が付いた。引退後は、全日本チームのコーチを歴任。2018年には国際柔道連盟殿堂入り。現在、日本オリンピック委員会理事。2024年パリオリンピックTEAMJAPAN副団長。vol.236