鹿島の見える風景146vol.鹿島守之助会長の没後50年を特集で紹介しました。偉大な功績を振り返り,本当に1人の人間が成し遂げたのかと,今の時代では,まず不可能とも思える3つの顔の共存に驚きです。今後は隔月で,守之助会長についてトピックを絞り掲載予定なので,読んでいただけると幸いです。さて,私事ですが,最近頭部のデキモノをとるため人生初手術を受けることに。不安いっぱいの中,看護師さんに励まされながら,無事成功しました。頭がスッキリ,そんな今の私は超快調。(超)2月号の記事作成は,全国高校サッカー選手権とともに佳境を迎えるため,元サッカー部員としては胸がアツくなる時期でもあります。今でも当時の仲間で集まるときには,あわい思い出に浸り,青春時代を懐かしむことがあります。Kboardで紹介したHICity1周年記念イベント「あわい」。このあわいは異なる領域が重なる部分を意味するそう。月報編集メンバーもイノベーションのきっかけにと現地にお伺いし,まさにあわいを体現するような有意義な交流ができました。(信)「縦読み気付いたよ!」皆さん,何のことだかわかりますでしょうか?そう,先月号の編集後記に実は「縦読み」を仕込んでおりました!新米部員なので読者の皆さんにまずは自己紹介しようと作成したのですが,数名の方にしか気付かれず,認知度の低さが浮き彫りになりました。今月の#kajimaで紹介した「KajimaSafetyCaravan」が全国出張を始めるようなので,自分も一緒に北海道∼九州まで全支店回り,顔を売りに行こうかな∼なんて感じた今日この頃でした。(天)THESITEでは,札幌4丁目プレイスの現場を紹介しました。人通りが多く,市電も通る当現場は,施工に工夫が必要。そのような環境下でも課題解決に向かって若手社員が大奮闘する様子に,私も大変刺激を受けました。さて,北海道に初上陸した私。本場味噌ラーメンを楽しみにしていましたが,あいにく時間がなく…帰路の空港内での味噌ラーメンとなってしまいました。次回の北海道上陸に備え,皆さんからのお勧めラーメン屋さん情報,お待ちしております!(瑛)編集後記●ホームページhttps://www.kajima.co.jp/●鹿島へのご相談・ご意見・ご提言は「鹿島相談コーナー」へ 2025年2月号(No.787 社内報KAJIMA)発行:鹿島建設株式会社東京都港区元赤坂1-3-1 〒107-8388編集:広報室本誌記事のお尋ね並びに引用の場合は広報室にご連絡下さい ISSN0916-7196印刷:TOPPAN株式会社デザイン:饗場千秋デザイン室現場の仮囲いや旗、懐かしい1枚など「鹿島」が見える、美しい写真、楽しい写真、意表を突く写真など、ご投稿をお待ちしています。 https://www.kajima.co.jp/news/digest/皆さまからの写真を募集しています。ご寄贈いただいた風呂敷。「会長鹿島守之助」と記されている山忠様から風呂敷をご寄贈いただいた際の記念撮影。左から後藤建築工事部長,野村関東支店長,山忠山﨑社長,田所常任顧問,山忠関根執行役員,山忠菊池常務取締役,森山担当部長守之助会長・卯女名誉会長夫妻が茨城県を訪問した際の集合写真(撮影時期不明)当社のタイムふろしき発見!昨年,関東支店で長年取引のある山忠様から,「水戸出張所開設拾周年記念」と書かれた鹿島守之助会長名の風呂敷をご寄贈いただきました。この風呂敷が作製された時期について調べましたが,当時をよく知る方はおらず,水戸出張所の正確な開設時期も不明でした。 当支店赤井竜一購買グループ長の御祖父様(故人)が,かつて当社(城県)で勤務されていたことから,赤井グループ長に連絡したところ,ご実家から「水戸出張所に就いて」と題する書類が見つかりました。そこには,「戦火に灰塵と化した水戸に,二一年二月作業所を設けた」「その後業績も上り…(中略)…三一年八月出張所に昇格」など水戸出張所開設に至る経緯が記載されていました。このことから,風呂敷は1966(昭和41)年頃に作製され,関係者に広く配布されたものと考えられます。 また今回の情報を探る中で,長年取引のある菊正塗装店様から守之助会長・卯女名誉会長夫妻が城県を訪問した際の集合写真も頂きました。 守之助会長没後50年を迎えた年に,寄贈された1枚の風呂敷が縁となり,城県における当社の歴史の一端を知ることができました。この風呂敷は,現在,表装して関東支店の受付打合せスペースに展示しております。(関東支店 森山雄一郎)社内報KAJIMAデジタルブック鹿島公式YouTubeチャンネルX(旧Twitter)鹿島公式アカウント