1 『ミシシッピ川下流の沖積谷の地質調査』(1944年)HaroldFisk,GeologicalInvestigationoftheAlluvialValleyoftheLowerMississippiRiver,1944図版提供:USArmyCorpsofEngineers#2人はなぜ地図を作るのか16KAJIMA202505

2 古代バビロニアの「世界地図」(紀元前9世紀以後)TheBabylonianMapoftheWorld.FoundinthecollectionofBritishMuseum.図版提供:HeritageImagePartnershipLtd./AlamyStockPhoto3 「赤道直下地域の植物地理学」(1805年)AlexandervonHumboldtetAiméBonpland,‘Géographiedesplanteséquinoxiales:TableauphysiquedesAndesetPaysVoisins,’inEssaisurlagéographiedesplantes,1805図版提供:BibliothèquenationaledeFranceアッカド語が刻まれており,幻獣を含む各種の生き物や人間について,裏面には洪水物語が記されているという。粘土板下部の二重の円は海で,その内側にメソポタミアの地理が表されている。目的は不明だが,このような図にしなければ目にしようもない世界のあり方を表しているのは確かである。時代は下って19世紀はじめ,ドイツの博物学者で探検家のアレクサンダー・フォン・フンボルト(1769 ― 1859)が『植物地理学試論』(1805年)という書物を刊行した。フランスの植物学者エメ・ボンプラン(1773 ― 1858)を相棒に中南米を探検し,観察した自然について記した本で,一して忘れ難い図がついている3。これはエクアドルのチンボラソ山を横か身近な地図の一つに,道路や建物の位置を示した地図がある。いまではスマートフォンやカーナビなど,各種コンピュータを通じて使われることが多いだろうか。これらは現在地から目的地に移動するためのものだ。たいていの地図には用途があって,それに関する要素が示されている。別の見方をすれば,その他の要素はすべて省略されているわけだ。地図には,それを作った人の関心が現れる。古い時代の地図の一つに,古代バビロニアの「世界地図」がある2。19世紀末にオスマン帝国出身の考古学者ホルムズ・ラッサム(1826 ― 1910)が,バビロニア北部のアブー・ハッバ遺跡で発掘した粘土板だ。紀元前9世紀以後のものと推定されている。上部には楔文字による218KAJIMA202505

デザイン―江川拓未(鹿島出版会)シシッピ川下流の沖積谷の地質調査』(1944年)の一部として製作したものだ。この地図には,古代から現代(当時)に至るアメリカのミシシッピ川の流れの変化が重ね合わせるように描かれており,1500年代にヨーロッパ人がやってくる以前の自然や文明の痕跡から,入植したヨーロッパ人による土木工事や洪水など,土地と人間の歴史が畳み込まれている。そもそもは,交通や交易にも重要なミシシッピ川の状態を改善し,洪水の被害を抑えるための「ミシシッピ川委員会」(1879年設立)で委員長を務めていたマックス・タイラー将軍が,フィスクをコンサルタントとして雇ったのが発端とのこと。フィスクは調査チームを率い,当時のミシシッピ川の流路を調べるだけでなく,古い地図や航空写真,各地の地層,ボーリング調査での堆積物の分析など,資料と技術を総動員した調査を総合して,ミシシッピ川の地質とその歴史をまとめあげてみせたのだった。いずれの例も,それぞれに目的があってのこととはいえ,容易ならぬ地図製作にとりくんだ人びとの創意と技量に驚くばかりである。山本貴光 TakamitsuYAMAMOTO文筆家,ゲーム作家,大学教員。著書に『文学のエコロジー』『記憶のデザイン』『マルジナリアでつかまえて』『文学問題(F+f)+』『「百学連環」を読む』他。共著に『図書館を建てる,図書館で暮らす』(橋本麻里と),『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎と),『人文的,あまりに人文的』(吉川浩満と)他。2021年から東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院教授。ら見たもので,よく見ると山の右半分の断面状の面に文字がびっしり書き込まれている。高度ごとに観察された植物の名前だ。また,図の左右にある表は観測データで,高度,光の屈折,電気現象,その海抜で作られる農作物,重力,空の色,湿度,大気圧など,各種計器類や観察で得られたデータが記されている。要するに山を登りながら各地点で得られたデータを図にまとめたもので,現代風にいえばインフォグラフィックスである。その目的を強いて言うなら,未知の自然を知りたいという好奇心を満たすこと,となろうか。色とりどりの紐が絡まり合ったような冒頭の地図1 は,地質学者のハロルド・フィスク(1908 ― 1964)が報告書『ミ319KAJIMA202505