#9ミクロコスモス(人体)の地図1 「人体の占星術的図像〔獣帯人間図〕」(15世紀)Figureastrologiqueducorpshumain,Recueildedocumentsalchimiques,astrologiquesetmagiques,Manuscritsurpapier,342fol.,copiéparGeorgesMidiates,BnF,départementdesManuscrits,Grec2419,f.1.図版提供:BibliothèquenationaledeFrance16KAJIMA202512

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他にも神経網,骨格,血管と臓器の図が入っており,同様に文字が多用されている。本文にも各部の筋肉を部分ごとに解説するパートがあって,そこでは筋肉の名称と形,それと動きが記述されている。この『医学典範』,12世紀にはラテン語に訳されてヨーロッパの医学にも大きな影響を与えた。イブン・シーナーはラテン語でアヴィセンナと呼ばれる。右の図は見るからに地図という感じがする。人の頭部がいくつかの領域に塗り分けられて,それぞれに言葉が添えてある3。これはなにかと言えば,骨相学(phrenology)の発想で描かれた図だ。オーストリアの解剖学者フランツ・ヨーゼフ・ガル(1758 ― 1828)は,人の心の働きを区別して,それぞれが脳の各部に対応していると考えた。ガルの発想が面白いのは,それに留まらず,頭蓋骨の形を見れば脳の各部の発達具合が分かり,その人の性格が分かるのだと考えを進めたところ。もう一人の解剖学者シュプルツハイム(1776 ― 1832)とともに本も書いている。この図は1920年に描かれた骨相図の英語版で,「時間」「色」「位置」などの他,「慈悲」「闘争」「尊敬」「秘密」など,どう特定したのだろうと思うような機能も並んでいる。骨相学は,ヨーロッパで一時的に流行したようだが,根拠に乏しいこともあり,やがて廃れたという。ただし,ガルの没後,19世紀後半には,脳の各部形あるところに地図あり。私たちに最も身近な体もまた,これまでさまざまにマッピングされてきたものの一つだ。骨格や筋肉,内臓の位置関係を示した人体解剖図やツボの位置を示した図はその一例。いまではデジタル技術を使った人体の地図,ボディマップも開発されていて,3Dグラフィックスとアニメーションを使って,人体の各部をさまざまな視点から眺めて学べるような仕組みもある。人体は,細部に満ちて込み入ったものだけに,これを一枚の地図のように表すには地形の場合と似て大いに工夫を凝らす必要がある。そしてそこにはものの見方が隠れようもなく現れたりする。今回まず眺めてみたいのは,11世紀のイスラームの哲学者イブン・シーナー(980 ― 1037)による『医学典範』に関わる図。このアラビア語で書かれた本は,全5巻からなり,医学の概要の説明から出発して,人体の構造や病気と治療法,各種の薬物などについて,古代ギリシアのヒポクラテスやガレノスなどの医学知識をもとに体系化したものだ。左にお示しした図は,17世紀に作られた同書の写本に入っているもので,なにを表しているか想像がつくだろうか2。簡素化された人体らしき形が見てとれると思う。どうやらこれは筋系,全身の筋肉を表しているらしい。面白いのはよく見ると,体の各部がアラビア語の文でできているところ。私が目にした本では,2 『医学典範』(1632年)Muscularsystem,Avicenna,CanonofMedicine.図版提供:WellcomeCollection(CCBY4.0)18KAJIMA202512

デザイン―江川拓未(鹿島出版会)3 骨相図(1920年)Phrenologychart,showingpresumedareasofactivityofthebrain,c1920.図版提供:OxfordScienceArchive/HeritageImages,Alamyに言語野などの機能が局在しているという説が提示され,脳に機能をマッピングできるという発想は潰えていない。冒頭の図もまた,なかなか込み入っている。こちらは15世紀に作られた写本で,同心円の中心に人間が立っている1。周りを囲む円にはいわゆる黄道十二宮,いまでも星占いでお馴染みのサソリやヤギや水瓶などが並ぶ。中世から初期近代にかけてのヨーロッパでは,占星術が大きな影響力を持っていた。天体の動きを予測できれば,それと結びついた世界の変化も見通せると考えられていたからだ。天体(マクロコスモス)の動きは人体(ミクロコスモス)の状態にも結びつけられ,そうした天体と人体が照応しているという発想から,医術と占星術が関連づけられていたわけである。よく見ると,この図でも各星座から人体へ線が引いてあるのが見える。錬金術や占星術や魔術が信じられ,実践されていた時代の産物だ。現代医学の観点から見た正しさはともかく,いずれの人体地図も,なんという想像力の働きだろうかと驚かされる。山本貴光 TakamitsuYAMAMOTO文筆家,ゲーム作家,大学教員。著書に『文学のエコロジー』『記憶のデザイン』『マルジナリアでつかまえて』『文学問題(F+f)+』『「百学連環」を読む』他。共著に『図書館を建てる,図書館で暮らす』(橋本麻里と),『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎と),『人文的,あまりに人文的』(吉川浩満と)他。2021年から東京科学大学(旧東京工業大学)リベラルアーツ研究教育院教授。19KAJIMA202512