人間はなぜ、頭の中で思い浮かべたものをかたちにしたくなるのだろう。 少し前、小学生の男の子から﹁人はどうして絵を描くのですか。絵を描くことに何の意味があるのですか﹂という質問をされた。国語や算数のように、学べばすぐに社会で役に立つ勉強と違って、絵や音楽を学ぶことにどんな得があるのか、という疑問は、私自身イタリアで美術留学をしている最中に何度となく向き合ってきた。表現を生業にできるかどうか、それは自分では決められない。先行きの見えない貧乏な暮らしの中で、なぜ自分はこんな心許ない道を選んでしまったのだろうと、毎日のように後悔をした。とはいえ、太古のむかしから、ものをつくる人が存在し続けたのは、創作という表現への必然が優ってしまうからだろう。造形物を生み出すことに合理性という括りは必要ない。 私の母はヴィオラ奏者だった。戦争という困難も、夫を早く亡くした辛さも、音楽を奏でることで乗り切ってきた母にとって、表現は食糧と同じくらい人間にとってなくてはならないものだった。何かをかたちにしたいと思う気持ちが芽生えたら、たとえ生活が苦しくても生み出すべきだと考える人だった。 母は私が幼いころから絵ばかり描いているのを知っていた。それが、いつも留守番ばかりの寂しさを紛らわすための行為だということも知っていた。生きるというのは容易なことではない。ただ、そうした生きる厳しさの中で向き合う辛さや悲しみが、実はものを生み出すための絶大なパワーになることも知っていた。だから娘が14のころ、進路指導の教師に画家を目指したいと伝えたところ、﹁飢え死にしたいのか﹂と笑われて落ち込んでいたときは、自分に何ができるか散々考えたようだ。 その年の冬休み、私は母の提案でひとりで1か月のヨーロッパの旅に出た。フランスとドイツに暮らす音楽家の友人を訪ねつつ、最後はパリでルーブル美術館を見てきなさい、という母の提案を全うして帰国した。ルーブルを訪れた私は、何世紀にもわたって絵や彫刻といった表現を生み出してきた人々の軌跡を目のあたりにすることで、自分が絵の道へ進むことを諦める必要はないと実感した。大勢の観光客たちが絶え間なく訪れるルーブルは、時空を超えた、精神面での食糧貯蔵庫のように見えた。母の私を旅に出した意図はそこにあったのだろう。 私に絵を描くことの意味を尋ねてきた少年には﹁絵は頭のための栄養。精神のためのご飯。農家のひとが野菜をつくるように、誰かがそれをしなければならないから﹂という答えを返しておいた。26KAJIMA202603ヤマザキ・マリ 漫画家・文筆家・画家。日本女子大学国際文化学部国際文化学科 特別招聘教授、東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。比較文学研究者のイタリア人との結婚を機にエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなどの国々に暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』でマンガ大賞2010受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。15年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。17年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ受章。24年『プリニウス』(とり・みきと共著)で第28回手塚治虫文化賞のマンガ大賞受賞。著書に『ヴィオラ母さん』『ムスコ物語』『歩きながら考える』『扉の向う側』など。現在、『続テルマエ・ロマエ』を集英社「少年ジャンプ+」で連載中、2巻が好評発売中。vol.255Photo:ノザワヒロミチ