﹁つくる﹂という行為の本質はどこにあるのか。画家として筆を握る日々の中で、私は幾度となくこの問いを自身に投げかけてきた。情報や知識、洗練された技術は表現を支える堅牢な骨組みだが、それだけでは作品に生命の息吹は宿らない。そこに血を通わせ、命を吹き込むのは、作り手の深層から湧き上がる、抑えがたい﹁情熱﹂そのものではないか。 私の創作観の原点には、一人の男が残した﹁理想の王国﹂がある。十九世紀後半、フランスのオートリーヴに生きた郵便配達夫フェルディナン・シュヴァル。彼は四十三歳の時、配達中に奇妙な石につまずいた。その偶然から得た霊感︵インスピレーション︶をもとに、三十三年もの歳月を費やし、たった一人で独自の﹁理想宮﹂を築き上げたのだ。 二十五年前に訪れたその場所は、建築という枠を超え、巨大な生命体の化石のようであった。絵葉書から得たイメージは、大木の根が絡み合うが如く古今東西の様式をのみ込み、空間全体が混沌としたエネルギーで蠢いていた。彼がつまずいたあの石も置かれていたが、それは雲のようでもあり、見る者の深層心理を映し出す不可思議な形をしていた。この剥き出しの創作意欲に触れ、私は﹁飾らず、拙さを恐れず、等身大の自分を表現しよう﹂と心に刻んだのだ。 時を経て今、私は新たな一歩を踏み出そうとしている。先日、地方の広大な土地の取得に向けた交渉に臨んだ。これまで四角いキャンバスに限定されていた表現の場を、大地そのものへと拡張する。土を耕し、自らの理想を風景として立ち上げる。そんな長年の夢が、現実のものとして動き始めている。 そこには命を育む農園があり、季節を慈しむ庭があり、内なる情熱を形にした立体物が点在する。植物の﹁生﹂の躍動と、石や土による﹁造形﹂が溶け合い、変化し続ける場所。それは、かつてシュヴァルが夢見た理想郷への、私なりの現代における応答なのかもしれない。 情報がれ、AIが瞬時に最適解を提示する現代、理屈やデータで作品を組み上げることは容易くなった。しかし、創作の源泉から湧き上がる剥き出しのエネルギーこそが芸術の本質であると、あの﹁理想宮﹂は教えてくれた。 シュヴァルが石を積み上げたように、私もまた、この大地に自らの情熱を確かな形として刻みつけたい。﹁つくる﹂とは、生きる証を刻むこと。永遠に未完成であり続けるこの表現の地平で、私は内なる理想を現実へと手繰り寄せる旅を、心ゆくまで楽しみたいと思っている。26KAJIMA202605えんどう・あきこ 画家、武蔵野美術大学名誉教授。1947年東京に生まれる。69年武蔵野美術短期大学卒業。78年昭和会展林武賞受賞。86年安井賞展安井賞受賞。86∼87年文化庁芸術家在外派遣研修。92年遠藤彰子展−群れて…棲息する街−(西武アート・フォーラム)、2007年平成十八年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞、14年紫綬褒章受章、魂の深淵をひらく−遠藤彰子展(上野の森美術館)、21∼24年“魂の旅”遠藤彰子展(鹿児島市立美術館ほか全国7館を巡回)。23年毎日芸術賞受賞。[予告]遠藤彰子展場所:荏原畠山美術館(東京都港区)会期:2027年1月16日(土)∼3月22日(月)vol.257