ザ・サイト![]() |
![]() ベトナム メコンデルタ 1300kmを行く ベトナム メコンデルタ地域橋梁改修工事 かつてフランス領であったベトナムは,西欧の文化の薫りが残る魅惑的な国である。 近年では,雑貨やベトナム料理で人気を集め,若い女性を中心に旅行者が増加している。 ベトナム南部を流れる世界有数の大河・メコン川――。 当社は,この川の流域に現在20ヵ所の橋梁を建設している。 今月のサイトは,5日間にわたって取材した9橋の現場を紹介する。 |
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ベトナムガイド ベトナムはインドシナ半島の東側に位置し,北に中国,西にラオス,カンボジアと接する南北に細長いS字型の国。九州を除いた日本の面積にほぼ等しく,国土の4分の3は山岳地帯となっている。南部にはメコン川によってつくり出された巨大なデルタ(三角州)が広がり,その大きさは関東平野の約1.5倍にも及ぶ。 メコン川は,チベットから中国,ミャンマーなど5カ国を経由してベトナムに注ぐ,全長4,500kmの大河。この川がもたらす肥沃な土壌を利用して古くから稲作が行われ,ベトナムを世界第二位のコメ輸出国に押し上げている。 首都ハノイ。人口7,933万人(2001年推計)。1975年のベトナム戦争終結後,南北が統一され,社会主義体制が続く。1979年からは市場経済の導入などを柱としたドイモイ政策により,経済の立て直しが図られている。また近年では,競争力の高い労働力と南シナ海に面した好立地から,中国に次ぐ先進国の生産工場として注目を集め,多くの日本企業などが進出している。 |
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取材日程 2月24日(1日目) 午後 デン橋 2月25日(2日目) 午前 ヴァムデイン橋,キンキエムラム橋 午後 ホアビン2橋 2月26日(3日目) 午前 ロンミイ橋 午後 チャタァン橋 2月27日(4日目) 午前 ザァントン橋 午後 バリイ橋 2月28日(5日目) 午前 チュア橋 工事概要: ベトナム メコンデルタ地域橋梁改修工事 日本政府の無償援助(ODA)により,ベトナム南部16省において行う20橋の架け替え工事。橋長は30mから175mの道路橋で,PC桁橋が18橋,鋼桁橋が2橋となっている。発注はベトナム運輸省。設計はパシフィックコンサルタンツインターナショナル(PCI)。工期は2001年11月から2004年3月。当社海外事業本部施工。 |
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メコンデルタに架ける20の橋梁 成田空港からの直行便で約6時間15分。ベトナム・ホーチミンのタンソンニャット国際空港に到着したのは夜の10時を過ぎていた。熱帯特有の生暖かい夜風を肌で感じ,ホーチミン市内のホテルに向かう。 今回取材する現場は,ここベトナム南部地域で建設中の20橋の工事。一つ一つの規模は決して大きいとは言えないが,日本の東北6県に相当する広大な地域にまたがる現場を,所長1人と5人の日本人社員で担当する珍しい工事だ。全ての現場を回ることは時間的に不可能であった。そのため,ホーチミンから南部の8橋と北部の1橋,あわせて9橋の現場を5日間で取材することになった。 取材初日は国道1号線に沿って南下し,ベトナム南部のカーマウという街に入った。そこから南端に位置する2つの橋梁を視察した後,国道1号線を北上,順番に橋梁を取材しながらホーチミンへと戻った。途中,カントーやミトー,カーマウの街に設けられたサテライトオフィスにも立ち寄り,最終日にはホーチミン北部の山間の現場も取材することができた。 現場を車で案内してくれたのは,金井所長と事務の吉田次長。二人は普段ホーチミンの事務所で社内関係部署への連絡調整や社外との窓口業務を行うほか,金井所長は週の半分以上を各地のサテライトオフィスや現場を巡回している。そこで施工の指導や様々なトラブルへの対応などを行い,工事が円滑に進むように監督していた。 どこを走っても目にするのは,バイクや自転車に乗る人たち・・・。道沿いには民家や商店が途切れることなく並び,人々は雑踏の中で逞しく生活していた。こうした光景は,戦後の日本を彷彿させるものだった。 |
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最南端の現場へは7人乗りのボートで 取材2日目は,カーマウにあるサテライトオフィスからベトナム最南端に位置するキンキエムラム橋の現場を目指す。 街を抜け国道1号線をさらに南下すること約15分。つかまっていないとシートから転げ落ちそうなほどの悪路に変わる。国道を外れて車1台が通れるほどの泥道を20分ほど進むと,ヴァムデイン橋の現場に到着した。 橋脚の工事を先月終えたばかりの現場では,桁長35mと同じ長さの底版基礎が近くに設けられていた。これからこの上に鋼製型枠を組立ててコンクリートを打設し,PCコンクリート橋桁が製作される。来月にはクレーンを使ってその橋桁を橋脚に据え付けるそうだ。 目の前の川岸から7人載りのボート「黒馬号」に乗り換える。船頭がエンジンをかけると,けたたましい音を響かせながら進み出した。一列になって座ったボートは細長く,身を乗り出すとバランスを崩して転覆しそうだ。「このような頼りない小舟だからこそ,他の船へのひき波の影響が少なく,危険にさらすこともない」と金井所長は笑顔で話してくれた。 多くの支流が枝分かれするメコン川には,それぞれの支流からも無数の運河が伸び,これらは方々でつながっている。ボートはこのようなところを自転車ほどの速度で進んだ。 心地よい風を受けながら,ぼんやり周りを眺めていると,様々な船とすれ違う。漁へ向かう船,荷物を運搬する船,子供たちを学校へ送迎する船――。どこまで行っても両岸には桟橋やそれにつながる家々が並び,室内ではテレビを見たり,食事をとる光景が見られた。しかし,バイクや自動車が普及してきた今日では,交通の手段が陸上に移り,生活のスタイルも変わりつつあるようだ。 |
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資機材の運搬は台船で数ヵ月かけて行う![]() しばらくすると,ボートが浸水しているのを一人の社員が見つけた。いつもより乗船人員が増えたことでボートの喫水線が下がり,この部分から水漏れが発生したのだ。とりあえず近くの川岸にボートを寄せ,船首に乗っていたベトナム人社員が近くの土を取ってこれで穴をふさぐ。それを見ていた金井所長は土ではなくて粘土の部分を取るよう指示をする・・・。 そんな嘘のような出来事があっても,皆は笑い飛ばすだけで深刻な顔ひとつ見せない。所長の話によると,このようなハプニングはしばしばあるという。その際には,どこからともなく修理を商売とする船が寄ってくるそうだ。そうこうしているうちに,キンキエムラム橋の現場が前方に見えてきた。 現場では,この地域を中心に活動している中規模橋梁業者のバクリョウ建設の作業員が川岸の地山を掘削し,護岸の基礎を構築していた。また,建設中の橋台の後方では,土砂を山のように盛り上げ,その重みで軟弱地盤を安定させるプレロード盛土工や,地盤沈下の計測を行っていた。現在までに約2mの沈下が生じ,最近やっと収まってきたそうだ。 橋脚の上部に上り,あたりを見渡すと沢山の川や湿地帯が地平線まで延びている。ところどころに民家が見え,完成した橋に接続される砂利道ができている。 このような現場では,特に資材の調達に手間がかかっているという。砂や石材,セメントはホーチミン近郊から台船で数週間かけて運搬される。その際,水深が1mにも満たないところにさしかかると,川底を掘削しながら進まなければならない。この現場では,橋桁は工場で製作したものを台船で運搬してくるそうだ。来月にはその台船が到着し,工事の山場を迎えることになっている。 |
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現場では,日本人をはじめ,シンガポール人,中国系マレーシア人など,複数の国籍の社員が働いている。 ここでは二人のベトナム人社員のインタビューを紹介する。 |
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![]() ホワット氏に今後の抱負を聞くと,「まずはこの工事を最後までやり遂げ完成させることが目標です。ここで覚えた知識や技術,人とのつながりをこれからも大切にしたい」と爽やかな笑顔で答えた。 次に,カントーサテライトに在籍するロイ氏も,当社のエンジニアでハノイから単身赴任できている社員の一人。英語の先生をしている夫人とは,旧正月の「テト」のときだけしか会えないが,頻繁に電話でやりとりをするという家族想いの父親でもある。そんなロイ氏は,「チャンスがあれば外国で経験を積みたい」と積極的な姿勢を見せる。 勤勉で働き者が多いとされるベトナム北部の出身である二人。日本人社員に対する感想を聞くと,「工事の隅々までしっかりと把握しており,品質管理にも細かいほどこだわっている」と語った。一方,工事を行っている地元南部の建設会社の社員・作業員については,のんびり屋が多く戸惑うこともあるという。同じベトナムの中でも地域にあわせて現場管理を変える必要があるようだ。 二人は祖国ベトナムを心から愛し,自分たちの仕事に誇りと自信を持って行っていた。こうした工事にかける彼らのひたむきな想いが現場を支えているのである。 |
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様々な地域でつくられる橋梁 取材で回った数々の現場は,郊外の農村地帯や人里離れた幹線道路沿いなど,様々な地域にあった。現場の隣には木々をあわせてつくった既存の橋が架かり,なかにはベトナム戦争の際にアメリカ軍がつくった橋や,フランス植民地時代の橋をそのまま,或いは一部補強しながら使用しているものもあった。そして,そのどれもは老朽化が進み,新しい橋の建設が待たれていた。 取材2日目の午後に行ったホアビン2橋。現場は,国道1号線から少し入った集落の中にあった。周辺は民家や商店などが建ち並び,人々でごったがえしている。大人から子どもまで大勢の人々がベンチなどに座り興味深げに工事の状況を見守っていた。金井所長は,「民家に囲まれた現場では,第三者災害が発生しないよう注意しています。周辺は軟弱地盤で,特に杭の打撃時の振動による家屋への影響を極力与えないよう配慮している」と話してくれた。 チャタァン橋は,ココナッツ畑が広がる農村の中にあった。近くには小・中学校があり,子どもたちは自転車で壊れそうな小さな木橋を行き来していた。橋のいたるところは穴があいており,渡る際,下を見ていないと転落しそうだった。また,ザァントン橋では,大型バスやトラック,乗用車,バイクなどが頻繁に通行する幹線道路の隣で工事を行っていた。取材中にも大型バスが狭い橋からはみ出しそうな勢いで渡っていた――。 最終日,ホーチミンに戻りトリップメーターを見ると1,250kmを超えていた。ボートでの移動を含めると,1,300kmを走破したことになろう。こうして駆け足で回ったベトナムの橋梁現場。取材を通じて多くの日本人,外国人社員などと話をすることができた。そこで強く感じたことは,橋の完成に向かって邁進する社員たちの熱意であった。こうした苦労が実り,来年3月には20橋全てが無事竣工を迎えることを切に願う。 |
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20橋の同時建設を可能とした秘策 メコンデルタ地域橋梁改修工事 所長 金井光一 1966年入社。横浜支店で 設計・施工管理を経験した後,1976年から ベトナムをはじめ,アルジェリア,インドネシア, アラブ首長国連邦など,7カ国で LNGプラント建設などに携わってきた。 |
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人材や事務所の配置などの最適化に尽力 ベトナムでの当社の足跡は,1961年の戦後賠償工事として請け負ったダニムダムの建設に始まります。その後,同国がカンボジアに侵攻したことで日本のODA事業が停止し,当社の土木工事は途絶えていました。しかし,1992年にODAが再開されると,4年後の1996年には北部橋梁工事を入手することができました。昨年から始まった本工事を含めると,当社の土木工事の実績は三件目ということになります。 一方,建築工事は当社の海外法人であるKOAが,1994年以降ホーチミンやハノイを中心にホテルなどの建設を行っています。ベトナムでの土木工事の歩みはまだ始まったばかりと言えるでしょう。 |
この工事では,私が担当したベトナム北部橋梁工事での経験が十分活かされています。発注前から工事の計画があることを現地情報,営業活動等でいち早く知り,計画地を視察したり,地元の建設会社を訪ねて親睦を図ったりしてきました。 受注が決まってからは,広範囲に分散した20の橋梁現場をどのように管理し,資機材を調達するかでいろいろと検討しました。その解決策として,橋梁の種類や施工の難しさ,立地などの点からサテライトオフィスを5ヵ所設けることにしたのです。そして7名の日本人社員をはじめ,ベトナム人,フィリピン人,シンガポール人社員など,総勢60名以上の人間を,各自の適正や性格などを考慮した上で,それぞれのサテライトオフィスに割り振りました。 工事が始まると,地の利に詳しい8社の協力会社を能力や実績に応じて使い分け,資機材は日本やベトナムだけでなく韓国,タイ,マレーシア,フランスなどから調達しました。 このように,施工に関わるあらゆる要素を最適化(オプティマイゼーション)することに専念しました。オプティマイゼーションは,工事が終了するまで続けて行かなければならないと考えています。 |
ベトナムのような途上国の工事では,日本では考えられないようなトラブルの連続です。それに一喜一憂していては仕方がありません。 こうした現実の中で,我々は知識,技術を磨いていくしかないのです。特に工法についてはベトナム流にあわせることが必要です。しかし,理論や契約行為に関る職業人としての倫理・責任感等は決して失ってはいけません。 現場の若手社員は,私などより余程上手く順応し,頑張っているように思えます。彼等が工事完成に至る迄に払った苦労と引換えに,それに見合う面白さや達成感を実感し,海外の一隅で働く興味と自信を持って欲しいのです。一生懸命ものをつくりながら,どのような環境でも生きていける生活技術も練磨していって欲しいと思います。 我々が行っている工事は小さくとも一つの事業と言えるでしょう。ですから,どのような事情があるにせよ,最終的にはそれに見合う利益を出さなければならないと考えます。そして求められた規格・品質のものを適正につくって引渡し,日本人,外国人全ての社員を無事に帰すことが私の使命だと考えています。 |
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![]() 普段,現場で施工管理を行っている社員の拠点となるサテライトオフィスは,通常の工事事務所の機能を持つと同時に,生活の拠点でもある。建物内には一人一人の部屋があり,外国人社員やドライバーなどと寝食を共にしている。風呂や洗面所は共同で利用し,食事は各自の業務の都合にもよるが,食堂で一緒にとることが多い。食事の用意や家事などは地元で雇用した専属の賄いが行っている。 今回は,カントー,ミトー,カーマウのサテライトで朝・昼・晩の3食を食べ,どれも美味しくいただいた。主食はお米。毎回食卓にはおかずとなる野菜の炒め物や,揚げ物,スープ,麺類など多くのベトナム料理が並び,カンガルーの肉なども含まれていた。醤油などの調味料も手軽に手に入り,日本人の口にあった食生活が楽しめているようだ。 週末の過ごし方は人それぞれだ。家族をホーチミンなどに置いている社員は帰省したり,単身者は読書やDVDで映画を鑑賞したりして一人暮らしを満喫。また,外国人社員も単身生活をしており,ベトナム人であっても家族を故郷に置いて宿舎に入っている。社員は家族などと離れながらも,それぞれの楽しみを見つけて業務に励んでいるようだ。 |
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