葉山発 海辺通信
葉山発 海辺通信  vol.4 海の森

 文:久野康宏
 撮影:山木克則(当社葉山水域環境研究室)
 協力:スクーバミュージアム 葉山
 参考文献:「海の森からのメッセージ」(栃木県立博物館刊)


一年でいちばん気温の低い2月ごろ。陸上の感覚なら厳冬といわれるこの時季に,葉山の海には鬱蒼(うっそう)とした森が広がります。カジメと呼ばれる海藻の群落が海の中に出現するのです。遠浅の海底に点在する大きな岩それぞれに根をしっかりと下ろし,海面から射し込む暖かな太陽の光をたっぷりと浴びて,ぐんぐんと成長していきます。海底もたちまち海藻の森が覆い隠してしまう。その劇的な変化には毎年のことながら驚かされます。

 カジメの葉の造形はまるでマティスの絵のモティーフのよう。繊細な緑の葉が光を透過して淡く輝き,さざ波を受けてやさしく揺れます。自然のアートを鑑賞し,海藻のすき間から差しこむ木漏れ陽を浴びての散策は至福のひとときです。美しい情景に寒さを忘れ,ゆらぎに心癒される時,どこか懐かしい感情がこみ上げてきます。
 陸上の植物は4億5000万年前ごろ海から進出した海藻の子孫とされています。人類の祖先も海から産まれ,海の中から陸上へと這い出ていきました。陸と海の接点である海藻の森に身を置くと,私たちの起源を想い,心の中心が静けさで満たされていくような気持ちがするのです。
 この海の森は魚介類たちの産卵の場でもあり,隠れ家や餌場としてもたいせつな存在。海水を浄化する役割も果たしています。海藻の葉上にはカビ,細菌,藻類といった微生物が住み,水中に漂うにごりの成分や,田畑に施す肥料の主成分である窒素やリンを吸収します。微生物をエビやカニなどの小動物が食べ,魚が小動物を餌にする。そうした生命のつながりの過程で海水は浄化されます。海の森が茂れば茂るほど浄化能力は高まっていくのです。
 海底1平方メートルあたりに茂る葉の表面積は20平方メートルほど。その葉の両面に微生物や小動物が住めるのですから,海の森は海底の40倍もの濃密な住みかを提供しているわけです。

 かけがえのない海の森ですが,海辺や川から流入する生活排水が浄化能力を超え,海水がにごり過ぎると,光合成を営めなくなり消えてしまいます。現に日本全国で海藻の森が消失しつつあると聞きます。これからも葉山の海藻の森をどうしたら守っていけるのか。まずはこうした海の森の営みに気づくことが重要でしょう。街に暮らす人たちに,豊かな海を支える水面下の森の存在を,執筆やNPO活動を通じて地道に伝えていきたいと思います。
カジメ
【著者紹介】
くの・やすひろ
1965年東京・佃島生まれ。
現在,神奈川県葉山の海辺に在住。
スキューバダイビング専門誌の制作に13年間携わり独立。
フリーの編集者&ライターとして四季感と多様性に満ちた相模湾の魅力を水面上と水面下,両方の視点で伝えようと取材活動している。
海辺暮らしを綴ったホームページはhttp://homepage.mac.com/slowkuno