新名所の核として
2002年7月,“街開き”を迎えた旧国鉄貨物駅跡地の再開発,汐留シオサイト。最寄駅となる都営地下鉄大江戸線の汐留駅は,シオサイトの広く落ち着いた雰囲気の地下道を,案内板にしたがって5分ほど歩くと現れる。そこはちょうど超高層ビル街の中心部だ。平日はビジネスマンが慌ただしく行き交い,週末には大勢の買い物客や家族連れで賑わう。
一方,JR浜松町駅に近接する,隣りの大門駅は,羽田空港へのアクセスとなる東京モノレール浜松町駅に近いこともあり,利用者の大多数をビジネスマンが占める。大江戸線大門駅の一日の平均乗降客数は約4万5,000人である。同新宿駅では約5万5,000人というから,これは決して少ない数字ではない。
歴史ある場所で
大江戸線汐留駅の建設工事がはじまったのは1992年のこと。赤羽橋駅直前から築地市場駅直前までの3駅間と汐留,大門のふたつの駅舎を汐留・浜松町工区として当社JVが建設工事を担った。工期は,開通する2000年までの9年間。そのうちの最盛期とも言える95年から98年まで所長を務めた亀岡哲夫・現エムコ取締役に当時を振り返ってもらった。
「着任当時は汐留再開発現場がまさにはじまろうという時期で,更地がたくさんありました。更地ならば掘削する際に地下埋設物もあまり心配しなくて済んだのです。ところが,そのエリアを出ると急に,慎重に進めざるを得なくなったのです」。
鉄道発祥の地として知られる汐留地区の大部分は,江戸時代に海を埋め立ててできた。同時期には播磨竜野藩脇坂家,仙台藩松平家(伊達家),会津藩松平家(保科家)の上屋敷などがたちならび,江戸のウォーターフロントとして栄えた伝統ある土地だ。
一方,大門・浜松町界隈のような市街地では既設の埋設物が多くあり,切り回しが困難になる。
「汐留地区は東京都が工事に先立って埋蔵文化財の調査を行っており,それが済んだところから順次工事にとりかかっていきました。図面を何度も確認しつつ,勘をはたらかせつつ進めていったのです」と亀岡さんは当時を思いおこす。 |