AFTER 5 YEARS
魅力的な駅空間をめぐる 2000.12: 都営地下鉄大江戸線開通

東京で12番目の地下鉄となる都営地下鉄大江戸線が開通したのは,今から5年前のことである。東京都の西北部,都心部,下町,山の手など計11区を走るこの路線は,総延長約43kmのうち29kmの環状部が含まれることから,計画・建設時には「地下の山手線」とも呼ばれた。現在では首都圏の通勤通学に欠かせない足となっている。
今月は,当社JVが建設を担った汐留・浜松町工区を訪れた。

新名所の核として
 2002年7月,“街開き”を迎えた旧国鉄貨物駅跡地の再開発,汐留シオサイト。最寄駅となる都営地下鉄大江戸線の汐留駅は,シオサイトの広く落ち着いた雰囲気の地下道を,案内板にしたがって5分ほど歩くと現れる。そこはちょうど超高層ビル街の中心部だ。平日はビジネスマンが慌ただしく行き交い,週末には大勢の買い物客や家族連れで賑わう。
 一方,JR浜松町駅に近接する,隣りの大門駅は,羽田空港へのアクセスとなる東京モノレール浜松町駅に近いこともあり,利用者の大多数をビジネスマンが占める。大江戸線大門駅の一日の平均乗降客数は約4万5,000人である。同新宿駅では約5万5,000人というから,これは決して少ない数字ではない。

歴史ある場所で
 大江戸線汐留駅の建設工事がはじまったのは1992年のこと。赤羽橋駅直前から築地市場駅直前までの3駅間と汐留,大門のふたつの駅舎を汐留・浜松町工区として当社JVが建設工事を担った。工期は,開通する2000年までの9年間。そのうちの最盛期とも言える95年から98年まで所長を務めた亀岡哲夫・現エムコ取締役に当時を振り返ってもらった。
 「着任当時は汐留再開発現場がまさにはじまろうという時期で,更地がたくさんありました。更地ならば掘削する際に地下埋設物もあまり心配しなくて済んだのです。ところが,そのエリアを出ると急に,慎重に進めざるを得なくなったのです」。
 鉄道発祥の地として知られる汐留地区の大部分は,江戸時代に海を埋め立ててできた。同時期には播磨竜野藩脇坂家,仙台藩松平家(伊達家),会津藩松平家(保科家)の上屋敷などがたちならび,江戸のウォーターフロントとして栄えた伝統ある土地だ。
 一方,大門・浜松町界隈のような市街地では既設の埋設物が多くあり,切り回しが困難になる。
 「汐留地区は東京都が工事に先立って埋蔵文化財の調査を行っており,それが済んだところから順次工事にとりかかっていきました。図面を何度も確認しつつ,勘をはたらかせつつ進めていったのです」と亀岡さんは当時を思いおこす。

汐留シオサイトの地下街。正面に見えるのが,大江戸線汐留駅入口
黒御影石が落着いた風合いを醸し出す大門駅のプラットホーム
大門駅コンコース。間接照明でまとめられた空間がプラットホームとはまた異なる印象を与える
大江戸線の空間演出
 汐留駅から大門駅まで,開通から5年経った駅空間を歩いてみる。歩行者の大多数をビジネスマンが占める中で,地方からの修学旅行生も目につく。わきを通り過ぎようとした時,ふと彼らの会話が耳に入った。
 「何だかムードがある駅だねぇ」。
 そういえば,確かに普段利用している駅とは異なる雰囲気があるのに気づく。
 プラットホームから1フロア上がった大門駅のコンコースは,ほとんどが間接照明となっている。これに壁材の黒御影石が調和して空間にスタイリッシュな印象を与えていたのである。プラットホームに降りると一転して明るく,安全が保たれるように設定されている。
 そんなことを気にしながら汐留駅に戻ってくると,同様の演出が目につく。汐留駅のコンコースは大門駅と同様,大部分に間接照明が用いられているが,こちらは白を基調とした清潔感のあるデザインだ。さらに改札を抜けて進むと,シオサイトの上品な雰囲気が漂う地下街へとシーンが切り替わる。

毎日通る場所だからこそ
 近年,駅空間のデザインを重視する動きが活発化している。現在建設中の地下鉄13号線渋谷駅は建築家・安藤忠雄氏が手がけることで話題を呼んでいる。
 毎日利用する場所だからこそ,駅の空間はやはり魅力的であってほしい。週末は歩くスピードを少し落として,駅に隠された空間演出を探しに大江戸線をめぐる旅というのも悪くない。
明るく,清潔感のある汐留駅プラットホームのデザイン
汐留駅コンコース。側面の間接光が空間にシャープな印象を与える
エムコ・亀岡取締役は東京メトロ半蔵門線や有楽町線の工事も経験した地下鉄工事のエキスパート
都営大江戸線