葉山発 海辺通信
葉山発 海辺通信  vol.2 人としらすの知恵比べ

 文:久野康宏
 撮影:山木克則(当社葉山水域環境研究室)
 協力:紋四郎丸


雲の合間から太陽が顔を出し朝凪の海面に光を落とす。その時,操舵室から声が揚がる「行くぞ!」。船頭が計器を睨みながらアイドリングしていた船のエンジンに火を入れる。船尾でほんのつかの間,休息していた二人の漁師がとたんにハンター特有の鋭い眼に変わり,海に投げ入れた網を見つめる。船は網を引きながら一気に加速して旋回し,獲物を網の中へと追い込んでいく。

 カタクチイワシ,ウルメイワシ,マイワシなどイワシの子供がしらす。その漁は1月1日から3月10日の禁漁期を除き,南風で海が荒れる日以外おこなわれています。相模湾全体で23軒ある,しらす漁網元の一軒,三浦半島秋谷で100年以上前からしらす漁を営む紋四郎丸(もんしろうまる)の船に乗り,漁の様子を見学させてもらいました。

 魚群探知機でしらすの群れを確認したら,袋状の網を海に落として群れをすくう繰り返し。シンプルな漁法ですが,海で生きてきた者の叡智が集約されています。たとえば,光の具合,魚の動き,海底の地形を瞬時に読み取り網を落としていきます。陽が陰ると,海の中で網の存在をしらすたちに気づかれやすくなり,岩のそばに逃げ込んでしまう。岩は網が引っ掛かるので,岩を避けた航行コースをとらざるを得ないと知っているのです。本能,それとも学習の末に身につけた知恵なのでしょうか。またしらすが泳ぐのは海面近くの時もあれば海底を泳ぐ時も。その時々の水深に応じて網をつなぐロープの長さを変えたり浮きをつけたりして,網が沈む塩梅を調整します。

 人間の都合ではコントロールできない,しらすの動きを読み,岩を避けながら船を操るのはたやすくありません。経験が成せる技に驚きながら紋四郎丸独自の漁法に深い感銘を覚えました。ソナー,魚群探知機とGPSを装備する紋四郎丸。その操舵室には魚と船の位置を示すモニターがあります。船頭はその上に,海中に潜む岩の位置を次々にインプットしていきます。海図にはない秋谷や葉山などの漁場の貴重な海底地形のデータです。また「荒手網」とか「袋」と呼ばれる網,網を引き揚げる動力装置はしらす漁の盛んな茨城式を導入しています。

 脈々と受け継がれてきた漁。その伝統にとらわれず,前を向いてよりよい漁法を模索している。後継者問題で今後の漁業を危ぶむ声もありますが、しらす漁の未来は明るいな,と感じました。
紋四郎丸の船
【著者紹介】
くの・やすひろ
1965年東京・佃島生まれ。
現在,神奈川県葉山の海辺に在住。
スキューバダイビング専門誌の制作に13年間携わり独立。
フリーの編集者&ライターとして取材活動を続けている。
ホームページはhttp://homepage.mac.com/slowkuno