シリーズ100年をつくる会社:
築いた「鉄道の鹿島」の礎 〜1900〜1910年
今月から始まるこのコーナーでは,1900年から今日に至るまで,約10年ごとに時期を区切りながら,シリーズで社業の変遷について紹介していく。

1900(明治33年)は,当社創業61年目にあたる。明治時代中期から末期にかけて,鉄道の敷設計画が全国で展開しつつあった。当時鹿島組と名乗っていた当社の組長は2代目の鹿島岩蔵。岩蔵は,明治政府工部省鉄道頭であった井上勝の勧めもあって,創業以来洋館建築主体だった業容を鉄道工事請負主体へと改め,万全の体制で鉄道工事に臨んでいたのである。
羽越線阿賀野川橋梁工事(新潟県)
1910年に着工し1911に竣工した。1240mの鉄道強は当時日本最長を誇った
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当社は,鉄道建設工事において国内で数々の実績をつくり,日清,日露戦争の後には,朝鮮,台湾や満州にも進出している。
南満州鉄道安奉戦線路新設工事(1909年〜1911年) |
明治,大正を通じて施工した線路の延長は約2300km。この時期,当社は鉄道の普及とともに発展していったのである。
1900年代になると,新たな成長業種となった水力発電工事に乗り出した。しかし,当時,当社の仕事は,こうした土木工事が主体であり,建築停車場や発電所施設などにとどまっていた。
肥薩線矢嶽トンネル工事(熊本県)
このループトンネル工事では,掘削した土砂を搬出するトロッコを馬が引いていた(1907〜1909年) |
中央西線坂下・三留野間線路建設工事(長野県)における測量隊(1908年頃) |
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