AFTER 5 YEARS |
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今月からはじまる新連載「AFTER 5 YEARS」では,当社が取り組んだプロジェクトの“その後”を紹介する。竣工から時を経て,街に溶け込んだ風景のレポートをお届けする。 第1回は,2000年8月の竣工から5年目に入る東京・代官山アドレスを訪れた。 |
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工事概要 |
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冬の暖かい日差しに包まれた代官山の街では,買い物に来た若者や,ベビーカーを押す母親,散策する初老の夫婦など,さまざまな人とすれ違う。東急東横線代官山駅から徒歩1分,その表玄関に鎮座しているのが代官山アドレスである。テナントやその周辺は静謐で文化の薫る街のしっとりとしたイメージに加え,とても活気があふれていた。 最近でこそ再開発に伴う超高層マンションは目新しくもなくなったが,当社がデベロッパーとして参画したこの代官山アドレスの完成は大きなインパクトを与え,その後の再開発のモデルケースとして先駆的存在となった。 近代集合住宅の象徴だった同潤会代官山アパート。アドレスに建て替わる前は大正末期に建てられた関東大震災の復興住宅で,長い年月を経て深い緑に覆われた豊かな空間と住民同士のコミュニティをつくりあげていた。しかしながら建物の老朽化が進み,1975年頃から建替えを望む声が大きくなっていく。ただ,全36棟345戸という規模,600人以上にのぼる地権者の存在に加え,バブル経済前後のプロジェクトだったため,それからアドレスの完成へは実に20年以上がかかっている。多くの時間と関係者の類まれな努力が積み重なった結晶だ。 “代官山の街”のための再開発 1965年からアパートに住んでいた谷口壮一郎さんは「窮状を訴えるスポークスマンになら私にもなれる」と代官山地区市街地再開発組合理事長の大役を引き受けた。たくさんの地権者と相対しながらも,再開発は地区内だけではなく,代官山の街全体のなかでどうあるべきかだけを一心に考えていたという。 また当社から事務局員とし派遣され,15年にわたって権利者の対応をしてきた税所(さいしょ)靖夫さん(当時鹿島・代官山開発事務所次長)は「とにかくいい建替えをしたいというモチベーションをもち続けたことが事業を成功させた」と語る。加えて,当時谷口さんに「地域の人のために何かを成し遂げる。生涯で一度くらいそういう生き方がしたい」と言われたことが,税所さんの心を最も強く動かしたのだそうだ。 ふたりに一緒にお話を伺う。谷口さんが「あっという間の5年だったね」と言うとおり,まるで昨日までのできごとのように,当時を丁寧に振り返ってくれた。そのなかで「地権者の権利変換で住民をとりまとめることで一生懸命だった谷口さん自身が,竣工の直前までどこに住むかを決めなかった。だから結局,余った北側の一室になってしまって『そりゃないよ』と思ったんです」と税所さんが打ち明けた。するとすかさず谷口さんは「あの時はあんな余りをよこして」とニヤリとかわす。終始その調子で,時には笑いながら,時にはそっと目頭を押さえながら,話は尽きなかった。 「皆がよってたかってワイワイやって,本当にいい仕事をしたよな」と谷口さんは最後に言った。おふたりは家族ぐるみでいまも親交を続けているそうだ。 街の誇りを継承して アドレスの竣工後,当社関連会社の鹿島建物総合管理は建物管理業務に携わり,建物の維持管理やアドレス内の町内会活動への協力など,ハード・ソフト両面を支える関係を保つ。管理事務所に常駐する大山功さんは,販売・竣工に向けて管理規約を作成していた頃から関わってきた。かれこれ10年近いつきあいになる。「地権者さんと新しく入ってこられた方と,商業ゾーンの方,たくさんの住民のそれぞれ異なるニーズに応えていくのは,難しい面もあるが,代官山への愛着は皆さん同じ。ランドマークともなった代官山アドレスをとても誇りに思っていらっしゃる」と語る。 アドレスの住民は町内会組織をつくり,建て替える前もそうだったようにコミュニティをはぐくんでいる。地域で横行していた落書きを消そうと,周辺の街を挙げてイベントを行ったこともある。その時使われた溶剤は当社技術研究所が開発したもので,いまも管理事務所に置かれているが,使用する出番がかなり減っているらしい。 中央の広場に,谷口さんが「ぜひ見て」といっていたモニュメントがある。「地域の方々に感謝しながら,この町に心通い合うコミュニティがはぐくまれることを願う」。これは当時の渋谷区長が記したのだが,「これには私の思いも含まれているんだよ」と教えてくれた。 その後,谷口さんから引き継がれ,いまは建設後に入居した住民が理事長を務める。昨年10月に行われた毎年恒例のお祭りでは,アドレス内の商業施設に出店してもらうなど,新旧住民や商業棟との交流のための企画をしている。思いは次の世代へ引き継がれている。谷口さんはアドレス内で住民と交わす「こんにちは」の挨拶に,決してそれが間違っていなかったと感じている。 |
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![]() 当時,これからの都市再生につなげるという意味で,代官山アドレスへ当社が捧げた熱意は大きかった。その後も,「ディアマークス キャピタルタワー」や「石神井公園ピアレス」など高い評価を受けた再開発事例は数多い。そこでは豊かな居住空間を実現するため,ユーザーの声に耳を傾け,高品質なマンションを提供する――代官山アドレスがそうだったように,住民と一緒になって一つひとつの局面に対峙していく姿勢もまた,継承されているといっていいだろう。 |
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