極める

復興した三宮センター街アーケード
大野泰史
蝶ネクタイは
大野さんのトレードマーク
復興した三宮センター街アーケード

「設計コンペの達人」
建築設計エンジニアリング本部 建築設計部
大野泰史さん
アーケード内の風で動く一つ一つのオブジェのデザインも自らてがけた 大野さんは1971年の入社以来,建築設計畑を歩みつづけている。その間,数多くの設計コンペに参加し,1979年の日本建築士連合会全国設計競技・金賞を皮切りに,年1回以上のペースで実に30回以上の入選・受賞を重ねてきた。応募者の資格を特に問わない公開コンペには,個人の資格でも数多く参加している。この場合は,企画を練る,建物のデザインをする,プレテン資料をつくる,すべての作業を通常の勤務時間外にこなす。大野さんをそこまで駆り立てるコンペの魅力とは何か?
 「主催者には,ものづくりの強い意志と夢があります。その土地が持つエネルギーがあります。設計者はそれらにストーリーを与え,かたちに昇華するのが仕事。あなたの夢はこれでしょう?と想いを一つにできたとき,至福の喜びを感じるのです」と語る。決して設計者の我を主張するのではない。主人公は,あくまでもそこに集う人々であり,設計者の役目はその舞台を整えることと断言する。コンペに当選するためには,主催者や審査員の夢に想いをはせ,理解することが何よりも重要なのだ。
御茶ノ水駅公開プロポーザルコンペの模型。 「神戸三宮センター街復興まちづくり計画」のコンペでは,主催者との想いが完全に一つになった。1995年に起きた阪神淡路大震災。大野さんは大きな被害を受けた神戸の出身である。幼い頃,毎日のように通った三宮センター街のアーケード。震災当日に神戸入りし,その崩壊を目の当たりにした辛さは計り知れない。しかし,すぐに復興への決意を新たにした。「崩壊したアーケードの合間からきれいな青空が見えました。開かれた空間,風を感じたのです」。後にコンペで当選し,ほぼ大野さんの提案通りに再築されたアーケード。神戸復興のシンボルであるフェニックス(不死鳥)が未来に向かい羽ばたくような,翼状の開閉式アーケードのイメージは,この時かたちづくられた。ある時,自らの提案が当選した理由を,主催者である商店主の方々に聞いたという。「“熱く語るあの蝶ネクタイの人に,つい騙されましたワ”とおっしゃっていました」と笑う。震災後の3年間,関西支店に身を移し,地元の人々と一体となってまちの復興に力をつくした。“騙されてよかった”という,むしろ想いを一つにできた設計者への信頼の一言であったに違いない。
 コンペに当選した後,建物の具体的なデザインを固める段階では柔軟さも発揮する。実施段階では,さまざまな規制や施工条件などをクリアする必要があり,必ずしも提案時のプランがそのまま実現されるわけではない。「その場合はカード,つまり手法やデザインを変えるのです。ただし,コンセプトは変えません」。企画設計段階でのプランナーとしての役割,その後のデザイナーとしての役割,双方は等しく重要で,実施段階まで手がけた仕事にはやはり大きな想い入れがあると言う。
 日頃は,集中力を高めるために教士として剣道場で心身を鍛練する大野さん。いま,一番興味があるのは「都市とまちづくり」と語る。「想い」を大切にものづくりを進める達人の姿勢は,これからも,より大きな都市と建築の夢に広がりを見せながら結実していくであろう。