ザ・サイト

ザ・サイト
伝統技能と現代技術を駆使して
パナソニック株式会社 光雲荘移築工事
パナソニック(旧松下電器産業)の創業者・松下幸之助氏の私邸として1939(昭和14)年に建設され,後に同社の迎賓館として使われた「光雲荘」が,兵庫県西宮市から大阪府枚方市の同社研修施設内へ移設された。
当社は,日本の伝統建築技術の粋を集め,幸之助氏の「三百年先にも残したい」との“こだわり”を実現したこの広壮な邸宅を,移築・復元する栄誉を担った。
※「光雲荘」は,社内研修用として活用され,一般公開はされていません。
MAP 工事概要
パナソニック株式会社 光雲荘移築工事

場所:大阪府枚方市
発注者:パナソニック 
設計:日建設計
規模:木造一部RC造 2F 延べ 996m2
工期:2007年11月〜2009年3月
(関西支店施工)
三百年先にも残る日本建築を
移築前の空撮 光雲荘は,1937(昭和12)年春に着工,約2年半の歳月をかけて完成した。建築にあたり,幸之助氏は「三百年先には,この時代の日本建築が吟味されたり、参考にされたりするだろう」と考え,奇をてらわず,流行に左右されず,日本古来の建築技術の踏襲をひたすら追求したという。
 設計を新聞広告で公募し,細部にわたる変更を加え,照明器具は勿論,柱や障子の桟から一本一本の木材にいたるまで,考えられる限りの意匠を凝らした。大工棟梁たちには,持てるすべての技術を傾けさせた。
 木造2階建て,数寄屋造りと書院造りを折衷し,茶室から洋室まで多彩な様式の部屋を持つ光雲荘の建設費は,当初予算の3倍の60万円に膨れ上がったという。1950(昭和25)年以降は松下電器産業の迎賓館として使われた。
 この光雲荘が,2008年のパナソニック創業90周年を機に,西宮の地から枚方市の同社研修施設内に移築・復元されることになった。社名が「パナソニック」に変更された折りでもあり,創業者の経営理念を社員に受け継ぐ場として活用したいとの考えからだという。
 今回の移築プロジェクトでは,発注者・設計者・施工者が三位一体となり,「神は細部にこそ宿る」という思いを胸に,こだわりを追求したものづくりを目指した。
移築後の外観(婦人客室)
いかに元のままに戻すか
宮本克己工事課長 2007年11月,まず行ったのは部材の調査だった。貴重な伝統建築の技術や芸術的な細工品を伝え継ぐために,何が貴重で,何を残すかを専門家の目で選定する作業だ。「新しく取り替える部材の選定を含め,いかに元のままに戻すかの視点で検討を加えました」(宮本克己工事課長)。
 木工事は,実測に基づいたCADデータを作成して,各所の使用材を調査。ひび割れがあるものは,木をつめて再使用することにした。約2万枚に及ぶ瓦は,目視と打音で一枚一枚選定した。
 解体作業は,復元する家屋を雨風から守るための素屋根架設から始まった。その後,瓦や和風建築の代表的な塗り壁である聚楽(じゅらく)壁(土壁)を削ぎ落とし,構造木材などを番号付けしながら取り外す。同時に,伝統的木造建築技術を後世に残すため,建築当時の作図や構造計算も行った。
 解体と同時進行で,部材を移築先に輸送。素屋根を組んだ後,復元作業にとりかかった。移築に際しては,日建設計が設計・監修を手掛け,建物を単に移動させるだけでなく,伝統的な日本家屋の特徴である“庭と建物との融合”に配慮した設計が行われた。
1.素屋根の架設 2.瓦の取外し 3.木組みの解体。大きな部材はクレーンを使用して慎重に外す
4.復元材には番号を付ける 5.解体した部材の保管 6.材料の運搬
緻密な美しさと気品
中村正美所長 移築現場を訪れた時は,素屋根の下で屋根の瓦葺きと土壁を塗る作業が続けられていた。進捗率は78%,工事は佳境を迎えていた。「一つひとつに当時の技術の粋が集積し,歴史的木造建築特有の緻密な美しさと気品を感じる。創業者のこだわりをしっかり受け止めて,作業をしています」と,案内してくれた中村正美所長は言う。
 屋根瓦の不足分は,当時の瓦を製作した四国の業者に発注した。「庭園から見える範囲は古い瓦を,見えない範囲には再製作した瓦を使いました」。聚楽壁は新しい素材を加えて練り直した。
 木組みや天井の竹や畳などは,場所ごとに使用する種類や技法を変えるなど,さまざまな趣向が凝らされている。それらを丹念に忠実に復元していく。改めて,幸之助氏のこだわりを受け止めた当時の大工や棟梁のひたむきさ,そして移築に携わる技術者や棟梁の思いを肌で感じた。
 復元建物は新築扱いとなるため,現行の建築基準法に適合する必要がある。耐震性確保のために,壁や基礎の補強を行った。面材耐力壁,柱脚・土台のアンカーボルト(計932ヵ所)などである。日本建築特有の長い庇を支える桔木(はねぎ)の強度を上げるため,新たに木材を組み入れた。一方で,金物が見えないような配慮もした。古の技術を再現する移築工事だが,後世に永く残すには現代技術のサポートも必要だ。
 中村所長は「匠の技を活かした日本家屋を自ら“新築”し直す喜びをかみしめながら作業しています」と話してくれた。
室内に使用されている竹。さまざまな趣向が凝らされ,創業者のこだわりが感じられる
70年前の匠の技と対峙
棟梁の西岡澄明さん 現場を指揮する大工の棟梁が,宮崎木材の西岡澄明さんだ。「木組みは正しい手順で解体しないと壊れてしまう。文化的価値のある部材が多く,復元作業には細心の注意を払いました」という。木組みの解体では,70年前の匠の技と対峙した。「どんな思いで,どのようなこだわりを持ってつくったのかを考えると,気持ちが高揚してくるのです」。
 現場での西岡さんは,難解で巨大なパズルのような複雑な木組みをいとも簡単に組み立ててしまう。一度見た部材はどこのものかをほぼ記憶しているし,形を見ればわかるという。出雲大社神楽殿の改修や,建長寺新築工事などを手掛けた豊かな経験に裏打ちされた技なのだろう。
 「ただ復元するのではなく,光雲荘への創業者や大工の思いも復元したい。そして木造建築に対する自らの思いを加えたものを」という西岡さん。「現行法規に従うことで,光雲荘に金物による補強を加えることになったが,これも後世の日本人に伝わるべき事柄です」と付け加えた。
談話室内部。長い庇を支えるために新しく木材を加えて補強した 移築後の談話室外観
創業者の理念伝えて
創業者によって記された定書 先人たちの技の素晴らしさを感じ,歴史のある建物を一つひとつ組み立てることに喜びを覚えながら,後世の人たちにそれを伝えたい――。たくさんの人の思いを乗せて,光雲荘移築工事はこの3月,見事に竣工した。
 光雲荘の内玄関には「一同互ニ親ミ深ク懇切ニ相助ケ合フヘキコト」など,日常の規範を示す創業者の定書が,再び掲げられている。
素屋根の下で進められる復元作業(2008年12月)