AFTER 5 YEARS |
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第2旅客ターミナルビルが昨年末にオープンし,第1旅客ターミナルもリニューアルした羽田空港。アメニティを追求した空間が話題を集めているが,ここは25年ほど前までは海だった。埋立て,造成の後に,現在の3本の滑走路が揃い踏みしたのは5年前である。空の玄関の現代史には,建設技術者たちの伝統とロマンが積み重なっている。 |
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天職の使命感 |
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絶対安全の価値 2000年3月,新Bの供用開始によって3本の滑走路をもつ現在の羽田空港の姿が完成した。それは「沖展(おきてん)」の愛称で知られる沖合展開事業の全貌でもある。利用者の増加に対応するために,空港を海へと延ばす事業が1984年に着手された。その新しいターミナルビルが,第1・第2からなるビッグバードである。 「第1と格納庫が完成したのは,造成地の埋立て終了後,わずか5年。電気も水もない砂漠のような更地が,あっという間に現代的なビルで埋まっていった」。羽田の建築工事に携わって30年の倉島健夫さんは,その変貌ぶりを振り返る。第2旅客ターミナルの工事では,航空機と乗客を結ぶ「北ピア」工区の所長として陣頭指揮を執った。現場の周囲では飛行機が行き交うのはもちろん,迎賓施設が近くに位置するため,工事が中断するのも度々だった。われわれがニュース番組で目にする各国首脳の出迎えセレモニーのすぐ後ろでは,倉島さんたちが息を潜めて待っていたというわけだ。 「現場から落ちた紙切れ1枚が,万が一,風に乗って航空機のエンジンに巻き込まれれば大惨事にもなる。“絶対安全”の緊張感は並大抵ではない」。しかし,空港施設の建築工事は「男として壮大なスケールにチャレンジする価値がある」と後輩社員に唱える。 ジャンボ3機が入る格納庫は,スパン100m×200mの大空間だ。屋根には何百tもの整備機器を吊る強度が求められ,地下には膨大な整備用配管が配される“特殊施設”である。1996年完成の格納庫は,6,200tの屋根を地上で組み,43mの高さまでプッシュアップすることで,足場が不要となってコストを削減したばかりか,“世界一重い物の持ち上げ”としてギネスブックに記録された。 |
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夢の新滑走路へ 羽田の沖展は,第2旅客ターミナルの南ピアの完成によって当初の計画を全うする。そして,一部の国際線を含めた再拡張事業,つまり“第4の滑走路”が2009年度のオープンを目標にスタートした。このビッグプロジェクトはデザインビルド(設計施工一括)方式の発注となり,参加企業の創意と工夫が発揮されることになる。 当社では,かつて新A・C滑走路の工事の所長を務めた峯尾隆二常務を中心に,土木・建築の“羽田のプロ”たちが一体となって技術研究を重ねつづけている。「かつて羽田を担当した80歳になるOBが今も現場を訪ねてくれる。国の政策が定めたゴールにあわせて邁進する工事は確かに厳しい。しかし,先輩たちが成し遂げ,その伝統のバトンを渡されて,できないとはいえない」と井上さんは力を込める。 羽田を天職とする建設技術者たちの夢とともに,首都圏の玄関のつぎのステージがはじまっているのである。 |
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*写真提供:国土交通省 関東地方整備局 東京空港整備事務所 **撮影:新建築写真部 |