AFTER 5 YEARS
羽田を天職とするエンジニアたち2000.03: 東京国際空港新B滑走路,供用開始

第2旅客ターミナルビルが昨年末にオープンし,第1旅客ターミナルもリニューアルした羽田空港。アメニティを追求した空間が話題を集めているが,ここは25年ほど前までは海だった。埋立て,造成の後に,現在の3本の滑走路が揃い踏みしたのは5年前である。空の玄関の現代史には,建設技術者たちの伝統とロマンが積み重なっている。

天職の使命感
 後光が射すように鳥居の中央から昇る初日の出──。“いわくつき”で知られていた“羽田の赤い鳥居”の移設が終わった翌年,2000年元旦の出来事である。工事関係者にとっては忘れられない光景となり,不思議な縁(えにし)を感じた瞬間であった。
 江戸時代から信仰を集めてきた穴守(あなもり)稲荷は,第二次大戦直後の進駐軍の命によって空港敷地外への移転を余儀なくされる。数多くの鳥居が取り壊されたが,なぜか1基だけが残り,これに触れると“何かが起こる”と噂が囁かれつづけていた。しかし,新B滑走路の建設にともなって移設が決まったのである。
 「みんなが嫌がったが,羽田の土木を手伝いつづけてきた鹿島だからこそ工事に手を挙げた。移設後の鳥居の向きが日の出の方角と重なったのはまさに偶然」。こう目を細めるのは井上哲夫さん。着任以来20年を羽田で歩みつづけ,現在は羽田空港工事事務所の所長を務める。
 土木は経験工学といわれるが,使いながら成長する羽田はその最たる工事だ。
「ずっとお手伝いできているのは技術者冥利に尽きる。結果として天職になった」。

絶対安全の価値
 2000年3月,新Bの供用開始によって3本の滑走路をもつ現在の羽田空港の姿が完成した。それは「沖展(おきてん)」の愛称で知られる沖合展開事業の全貌でもある。利用者の増加に対応するために,空港を海へと延ばす事業が1984年に着手された。その新しいターミナルビルが,第1・第2からなるビッグバードである。
 「第1と格納庫が完成したのは,造成地の埋立て終了後,わずか5年。電気も水もない砂漠のような更地が,あっという間に現代的なビルで埋まっていった」。羽田の建築工事に携わって30年の倉島健夫さんは,その変貌ぶりを振り返る。第2旅客ターミナルの工事では,航空機と乗客を結ぶ「北ピア」工区の所長として陣頭指揮を執った。現場の周囲では飛行機が行き交うのはもちろん,迎賓施設が近くに位置するため,工事が中断するのも度々だった。われわれがニュース番組で目にする各国首脳の出迎えセレモニーのすぐ後ろでは,倉島さんたちが息を潜めて待っていたというわけだ。
 「現場から落ちた紙切れ1枚が,万が一,風に乗って航空機のエンジンに巻き込まれれば大惨事にもなる。“絶対安全”の緊張感は並大抵ではない」。しかし,空港施設の建築工事は「男として壮大なスケールにチャレンジする価値がある」と後輩社員に唱える。
 ジャンボ3機が入る格納庫は,スパン100m×200mの大空間だ。屋根には何百tもの整備機器を吊る強度が求められ,地下には膨大な整備用配管が配される“特殊施設”である。1996年完成の格納庫は,6,200tの屋根を地上で組み,43mの高さまでプッシュアップすることで,足場が不要となってコストを削減したばかりか,“世界一重い物の持ち上げ”としてギネスブックに記録された。
昨年末にオープンした第2旅客ターミナルの北ピア。出発ロビーの最先端となる
夢の新滑走路へ
 羽田の沖展は,第2旅客ターミナルの南ピアの完成によって当初の計画を全うする。そして,一部の国際線を含めた再拡張事業,つまり“第4の滑走路”が2009年度のオープンを目標にスタートした。このビッグプロジェクトはデザインビルド(設計施工一括)方式の発注となり,参加企業の創意と工夫が発揮されることになる。
 当社では,かつて新A・C滑走路の工事の所長を務めた峯尾隆二常務を中心に,土木・建築の“羽田のプロ”たちが一体となって技術研究を重ねつづけている。「かつて羽田を担当した80歳になるOBが今も現場を訪ねてくれる。国の政策が定めたゴールにあわせて邁進する工事は確かに厳しい。しかし,先輩たちが成し遂げ,その伝統のバトンを渡されて,できないとはいえない」と井上さんは力を込める。
 羽田を天職とする建設技術者たちの夢とともに,首都圏の玄関のつぎのステージがはじまっているのである。
沖合い上空からみた現在の羽田空港(東京都大田区/写真( )内は供用開始時期)。新A滑走路から海側が「沖展」によって生まれた造成地となる*
東京モノレール・羽田空港第2ビル駅のコンコース階。第2旅客ターミナルと同時に開業した。工事を担当した井上哲夫さん(前列中央)と職員一同
第2旅客ターミナル周辺の造成工事。赤いアーチが第1との架け橋を印象づける*
*写真提供:国土交通省 関東地方整備局 東京空港整備事務所
**撮影:新建築写真部