葉山発 海辺通信
葉山発 海辺通信  vol.10 終わらない夏

 文:久野康宏
 撮影:山木克則(当社 葉山水域環境研究室)


 相模湾を臨みながら走る国道134号線は,明るく開放感あふれるマリンドライブが楽しめます。江の島から鎌倉,逗子へ進むと,波に乗るサーファーたちや,洒落たカフェやレストランといった湘南らしい風景が次々と視界に入ってきます。
 やがて逗子海岸を過ぎて葉山町に入る境目,渚橋という交差点で道は分岐。山側に向かう広い国道と,地元で「海岸回り」と呼ばれる海岸に沿って曲がりくねる町道とに分かれるのです。この渚橋から御用邸までの海岸回りの道は,葉山の中でも特別な場所だと感じています。 
 かつて馬車が往来した通り。海からの光があふれ,濃緑の山が迫る風光明媚な道。対向車とすれ違うのに神経を使うほどの狭さですが,道端には品格ある料亭や昔ながらの店構えの商店,皇室御用達の和菓子屋など老舗が点々と。軒先にしっとりした風雅が漂う情景を目にしていると,懐かしく心浮き立つ夏の記憶が呼び起こされるようです。秋を迎えてもその甘い記憶は消え去りません。温暖で眩い陽光と潮騒の香りがいっぱいのこの道では,いつも心の中に夏を感じとることができるのです。
 “終わらない夏”を象徴するような存在が「げんべい商店」。もともと職人の足袋(たび)を作る店でしたが,50年前からはオリジナルのビーチサンダルを扱うようになり,今や100種類ものビーチサンダルを店頭で一年中売っています。鼻緒とソールの色の組み合わせはさまざまで,原色や中間色,色とりどりのサンダルが並ぶ様子は圧巻。観光客の車も一様にスピードを緩め,その光景に驚いている様子です。
 葉山の海辺に暮らす人にとって,「げんべい」のビーチサンダルは愛してやまない日常の履き物。新色の登場に心ときめかせ,毎年のように色違いのサンダルを求めるマニアも。それを四季を通じて引っ掛け,ビーチの散歩や買い物に出かける地元の住民も見かけます。そんな時,あの人もエンドレスサマーを謳歌しているのだな,とちょっと微笑ましい気持ちになるのです。
 五代目の若旦那,中島さんはインターネットでもビーチサンダルの販売をはじめたのですが,全国から注文がくるようで,最近は出荷に追われて忙しそう。商売繁盛でうれしい悲鳴ということなのでしょうが,本人は当惑気味。とはいっても,はた目には店に漂うおだやかな空気はすこしも乱れていないように察するのです。
 そんなゆったりとしたリズムの中,夏のかけらを留めながら,葉山の海辺の町は美しい夕陽の季節を迎えようとしています。
「げんべい」のビーチサンダル
【著者紹介】
くのやすひろ
1965年東京・佃島生まれ。
現在,神奈川県葉山の海辺に在住。
スキューバダイビング専門誌の制作に13年間携わり独立。
フリーの編集者&ライターとして四季感と多様性に満ちた相模湾の魅力を水面上と水面下,両方の視点で伝えようと取材活動している。
海辺暮らしを綴ったホームページは
http://homepage.mac.com/slowkuno