4-1 (注1) コンクリート-発明の歴史
 
 
 セメントを発明したのはローマ人です。 ローマ人は、石灰岩を焼いてつくった石灰に砂を練り合わせたモルタルをつくりました。さらに、このモルタルにポッゾラーナ(ナポリ近郊のポッツォリに産する良質の火山灰)を加えると硬度と水密性が良くなることを発見しました。現在のセメントです。 彼らは、それに砂利を混ぜて、カエメントウムとして、道路・水路・浴場をつくるのに利用します。それが、現在のコンクリートです。なお、5000年前の中国でもセメントは用いられています。
 
 


 

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  4-1 (注2) セメント発明の歴史
 
 
 セメントはヨーロッパで発明され、普及していきます。
1756
 ~59年
イギリスのジョン・スミートン(John Smeaton)が、イタリアのブッツォラネルデを原料とする水モルタルを使って、エディストーン灯台を建設。
1824年 ジョセフ・アスプディン(Josef Aspdin)が、粘土と石灰岩を焼くことによって、初めて人工のセメントを製作。それは、イギリスのポルトランド石とよく似ていたので、ポルトランドセメントと呼ばれます。
1840年 最初のポルトランドセメント工場がフランスのブローニュに建設。
1853年 ヘルマン・ブライブトロイ(Hermann Bleibtreu)が、ドイツで初めてセメントを焼きました。 その後、至る所で、セメント工場が建設され、土木建築の分野で使用されます。
 
 


 

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  4-3(注3) 鉄筋コンクリート-発明の歴史
 
 
 コンクリートの脆さを克服するために鉄筋を埋め込む方法はアメリカやフランスで発明されました。
1853年 アメリカ、ハイアット(Hyatt)は、鉄筋コンクリートに関する理論を初めて打ち立て、橋の桁に補強のための鉄筋を入れることを提案。
1854年 ジョセフ・ランボー(Joseph Louis Lambot)がパリの万国博覧会に細い鉄棒を金網状にして埋め込んだコンクリート製のボートを出品。
1861年 フランソワ・コワネー(Francois Coignet)が鉄棒を組み合わせて補強された様々なコンクリート部品で特許をとる。
1867年 造園家ジョセフ・モニエ(Joseph Monier)は、彼がつくったシュロを植えるための植木鉢で特許をとる。ベルサイユで大変な評判を得る。
1875年 初めての鉄筋コンクリートの橋がかけられる(フランス)
1880年 フランソワ・アンヌビク(Fransois Hennebique)が、鉄製の丸棒で補強された最初のコンクリート板を施工。
1885年 ドイツの技術者、G.A.ヴァイス(Wayss)は載荷試験など技術的な検討でモニエの発明した鉄筋コンクリートが最も将来性があるものとした。
1892年 アンヌビクが斜め方向の鉄筋とともに、曲げられた鉄棒を埋め込むことによって補強された鉄筋コンクリート桁をつくる。
 
 


 

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4-3(注4) ゲルバー桁橋

 
 
 
第3章にもあるように、ゲルバーの考え方はフォース鉄道橋で世界的に普及し、その考え方を採用した橋はゲルバー桁橋と呼ばれるようになりました。
 
 


 

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  4-5(注5) プレストレスト・コンクリートの原理
 
 
 
 

 引張りに強いPC鋼線(ストランド)を金属製の管の中に入れ、これをコンクリートに埋め込みます。 コンクリートが固まった後、PC鋼線を油圧ジャッキで強く引っ張り、そのままの状態で桁の両面のコンクリート面にクサビ或いはナットで固定し、固定が完了すると、ジャッキを取り外します。 その結果、ジャッキでつくられた引張り力は、コンクリートに伝えられ、桁の上側にも、下側にも圧縮応力が働きます。 桁に荷重がかかると、桁の上側には圧縮応力が増加していくのです。(この圧縮応力はコンクリートが支える一方、桁の下側でも、ある限度までは、圧縮応力が働いています。) しかし、桁の荷重が大きくなり、PC鋼線が予め導入した応力を越えて初めて、圧縮力から引張り力に変わることになります。 そして、PC鋼線が支えうる引張り強度の限界を越えるまでは、桁は破壊されることなく、橋の荷重を支えることができるのです。

  つまり、鉄筋コンクリートではなく、鉄筋をPC鋼線に変えて、コンクリートが固まった後、このPC鋼線にプレストレスを導入することによって、桁が支えることのできる橋荷重を飛躍的に増加させることができます。 身近な利用例では、鉄道の線路の枕木などがあります。

プレストレスト・コンクリート-発明の歴史

1886年 アメリカで最初の実験が行われる。
1888年 ドイツでW.デーリングが実験を始める。
1928年 ユジェーヌ・フレシネー(Eugene Freyssinet)が実用化に成功。
1945年以降 プレストレスト・コンクリートでなければ設計できない建築物が造られるようになる。特に橋の分野では、橋桁などに多く利用される。
 
 


 

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  4-7(注6) 片持梁構造
     (カンチレバー構造)
 
 
 
 
この構造は、中央径間(橋脚と橋脚の間の距離)を長くする方法として、考案された橋の設計法です。 橋脚から左右に橋桁を伸ばして、左右の荷重がバランスがとれるように設計します。橋の中央へ伸びる橋桁の構造が片持ち梁なので、片持ち梁(カンチレバー)構造と呼ばれます。両側の橋脚から橋桁が伸びていって中央でヒンジで留めるのが一般的な構造です。 橋桁は、橋脚を中心に左右のバランスがとれているので、その建設にあたっても、橋脚から同時に左右へ橋桁をブロック毎に制作していく方法が採られます。下から支える仮設の支保工を必要とせず、広い川や海をまたぐ橋は、多くの場合、この方法で建設されています。
 
 


 

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