特集:長い時間のお付合い 地域の絆に支えられる鹿島の前線基地
鹿行(ろっこう)事務所 MAP
関東支店茨城営業所鹿行事務所は,日本有数の工業地帯・鹿島臨海工業地域の開発と共にこの地に事務所を構え,進出企業の工場建設を担ってきた。

常に得意先の目線で,共にモノづくりに携わる――。
この姿勢が得意先との信頼関係を構築する基本だ。
臨海工業地域の発展とともに
鹿行事務所。KPH(カジマ・プレハブ・ハウス)の事務所で,昭和45年頃から使用している 当社が最初にこの地域に乗り込んだのは,昭和16(1941)年,日本海軍の「神之池航空隊滑走路建設工事」に遡る。工事は,現在の住友金属工業の工場敷地と同じ場所で進められ,3年後に竣工した。
 昭和39(1964)年には,世界初の掘り込み式港湾「鹿島港」の建設工事が始まり,周辺地域の開発も本格化した。当社は南側防波堤工事を担当,再びこの地域に事務所を構え,長い歴史を刻み始めた。
 同年,鹿島臨海工業地域が工業整備特別地域に指定され,造成工事とともに進出してくる企業の工場建設を請け負った。
 鹿島臨海工業地域は,現在,延べ2,400万m2(約700万坪),鉄鋼・電力・石油化学などの基幹産業を中心に,約160社,約2万2,000人の従業員を擁する一大工業集積地域へと成長を遂げている。
 当社は,40年以上にわたり事務所を維持し,現在まで総額約1,500億円程度の工事量を担当してきた。鹿行事務所で鹿島臨海工業地域全体の営業と施工管理を統括する一方,新設工事竣工後も工場内やその周辺に工事事務所を設けて社員を常駐させ,日々得意先と一緒に工場のメンテナンスを続けている。
 現在,住友金属工業,鹿島石油,信越化学工業,三菱化学の構内に工事事務所がある。こうした信頼関係が鹿島の信用を積み上げ,優先的に工事を発注していただける原動力となっている。
地道に信頼を積み重ねる
 松川初五郎顧問は,入社7年目にこの地に赴任。以来約40年にわたり事業所と同じ歴史を歩んできた。
 「出身は北陸ですが,もうすっかりここの人間。赴任当時,まだこの周辺では,当社の名が地元の建設業者と思われていました。飛行場の跡地での工事では,掘削すると不発弾が出てきて,処理班の手が足りないこともあって,運搬を手伝わされたこともありました」。
 住友金属工業の工事事務所に27年,鹿行事務所の所長を5年勤めた。現在は顧問として受注活動に携わっている。
 バイタリティ溢れる人柄で,長い時間をかけて幅広い人脈を形成,地域における「鹿島の顔」として信頼を得ている。「若い頃,一緒に現場をやったお客さんとは今も懇意にしてもらっています。皆さん役員クラスになって,偉くなられましたが」と語る。
 昭和50年代中頃には,進出企業もひと段落。以降は,手掛けた工場の保守,増設などの工事が受注の大半を占める。「厳しい時期もありましたが,それまで得意先に可愛がっていただいたことで,仕事量を確保することができました。いい得意先に恵まれたと感謝しています」と振り返る。
 「こうした信頼関係が,営業をするうえでとても重要になる。やはり,得意先の身近に事務所があることは大事です」。
松川初五郎顧問

安全に対する意識は今も昔もかわらない(昭和48年頃)

現在は使われていないが,初代・関 厚所長(のちの副社長)から,歴代の所長が使用してきた所長室が今でも残っている 造成中の鹿島港。港は,鹿島灘と北浦に挟まれた砂丘を掘り込んで建設された
オールラウンドな経験ができる
 信越化学工業の構内に事務所を置きながら,周辺の三菱化学や鹿島石油の工事も統括する関口守雄所長は,JR関連の土木工事などに携わった後,この地に赴任した。以来17年目となる。
 複数の得意先を担当し,半期に100件程度の工事量をこなす。建屋の新設や耐震補強といった大掛かりなものから,ガラスの張替えまで工事の規模は様々だ。「額は小さくても,見積り提出,契約,施工,引渡しといった一連の工事サイクルは同じです。土木工事から建築工事までオールラウンドな経験ができて,楽しい」と話す。
 鹿行地区に配属された社員は,長い時間をかけて場内設備などに精通し,得意先との信頼関係をつくり上げてきた。「常に近くにいるので,技術的な相談にも対応しやすい。得意先に顔を覚えてもらうと,個人に対して仕事が来るようになります。施工しながらの日常的な営業活動は基本です」。
関口守雄所長 関口所長が常駐する信越化学工業内の工事事務所
常に得意先の立場で
甲斐憲治所長 甲斐憲治所長は入社以来,途中の3年間を除くほとんどの時間を,住友金属工業の工場内で過ごしてきた。「ここでは,社員は常に2〜3件の工事を同時進行で担当しています。1件の工事を,最初から最後まで一人で担当するので,大規模現場の分業制に比べ,工事の本質を知ることができる」という。
 得意先対応には,「相手の要望を的確に把握することが重要」と語る。「常に得意先の立場に立って考えることが基本です。得意先と同じ目線で,工場の安全を一緒に守っていくという気持ちですね」。
 この工場内では,25年にわたり無事故・無災害を継続している。「先輩が築いてきたものですから,今後も引き継いでいかなければなりません」。
三菱化学鹿島事業所 信越化学工業鹿島工場
INTERVIEW-「イコール・パートナー」としてのお付合い
 昭和43(1968)年,鹿島臨海工業地域にいち早く進出したのが住友金属工業。工場の敷地は約900haで,最盛期には約1万2,000人の従業員が勤務していた。この世界最大クラスの鉄鋼生産基地の維持・管理を担当する住友金属工業の乙部裕史設備部長と,古川正典設備部参事に話を聞いた。
竣工した第1高炉(2004年9月竣工)
――日本の高度成長を支えた製鉄産業ですが,ここは規模も大きく,生産拠点を維持するのは大変なことでしょうね。
乙部部長 私は入社以来,機械工事の担当が長かったのですが,ゼネコンさんが工事竣工後もこんなにメンテナンスに付き合っていただけるのは,正直意外に思いました。
古川参事 25年間も無事故・無災害でやっていますが,鹿島さんの全社基準の安全管理などは,当社にとっても参考になります。

――場内には,約80の工事関係の企業が常駐していると聞きました。

乙部部長 機械やプラント設備に関する企業が多いのですが,鹿島さんはその中でもリーダー的存在で,幹事会社もやってもらいました。
古川参事 事務所が場内にあることで,何かあれば即対応してもらえます。技術的な相談も,気軽に持ち掛けやすい。

――工事では,施工サイドの要望にも誠意をもって対応していただけると喜んでいます。

乙部部長 当社としても,一体となっていいモノをつくりたいという思いがあります。技術的な部分をサポートしてもらいながら,目線を合わせて考えていきたい。その点では,新1高炉建設工事などは,互いに知恵を出し合って,いいモノができたと思っています。
古川参事 そうですね。鹿島さんからの技術的なサポートもあって,当社初の鉄骨造の高炉として,エポックメイキングな工事となりました。

――これからも,ぜひ長いお付合いをお願いします。
乙部部長 今後も「イコール・パートナー」として付き合って行きたいですね。ゼネコンの視点から,有意義な提案をしてくれるのはあり難い。モノづくりにおいて,車の両輪という意識です。
古川参事 ここは「地球に優しい製鉄所」を標榜していますので,そちらの方面での情報交換もぜひ継続したいですね。
住友金属工業鹿島製鉄所
column 特攻部隊ゆかりの桜花公園
 住友金属工業鹿島製鉄所に隣接して桜花公園がある。太平洋戦争末期の特攻部隊発祥の地であり,公園の名前は特攻機「桜花」に由来している。
 昭和19(1944)年,この地に海軍飛行場が完成し,「神之池航空隊(特攻部隊)」が組織された。当社も施工に携わったこの飛行場では,戦局の悪化に伴い,航空隊による「桜花」の飛行訓練が繰り返し実施されることとなった。
 戦後,住友金属工業鹿島製鉄所の敷地となったが,平成5(1993)年に同社が,歴史を風化させないため,この地を整備して公園とした。園内には,石碑のほかレプリカの桜花が掩体壕の下に展示されている。
公園内の石碑 掩体壕内に展示された「桜花」のレプリカ

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 新居浜営業所