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KAJIMAダイジェスト

DEERS SPITRIT 企業チームとして在るために

鹿島ディアーズは,選手,コーチをはじめとするスタッフ陣,チアリーダー,
そして大勢のファンによって創られたファミリーだった。
この強い連帯感が育んだ“ディアーズ精神”を,関係者がメッセージとして寄せた。

図版:現日本アメリカンフットボール協会 専務理事 金氏 眞

一番印象深いのは1997年の東京スーパーボウル初優勝。対戦相手は強豪松下電工インパルス。ゲーム数日前,相手の特殊なディフェンスへのアサインメントを確認していたところ,第1Q早々にその場面が訪れ,TB堀口靖選手が独走先制タッチダウン。もう一つ,ライスボウルの最終シリーズでSF伊藤明男選手が法政エースの池場直久選手をソロタックルしご家族が涙した話も忘れられません。

図版:鹿島建物総合管理 社長 宅 正雄

職場の仲間がKAJIMAのロゴを背に,あのドームで躍動しています。「Go,Go,Deers!」まさに企業チームの一体感の声援です。応援する歓び,ディアーズをより近くに,をモットーにファンクラブは,千人を擁する会員と共に,多くの関係者のご支援をいただきながら運営してきました。柴崎グラウンドでのファンフェスタ,当間の夏季合宿見学ツアーなど,思い出がいっぱいです。

図版:横浜支店安全環境部 次長 高野元秀

公私にわたり裏方として我々を支えてくれた当時の営業第二本部担当部長だった今村忠彦氏。1996年に病に倒れ54歳で没。「だらしない奴らだ」「男らしく生きろ」と叱られたが,時には一緒に泣いてくれたチームにとって大切な恩人の一人。先日,墓前で鹿島ディアーズの活動停止を報告。その魂は今後も生き続けることと共に,「みんないい男になったよ」と――。

図版:営業本部 副部長 中筋圭吾

初めて日本一になった1997年は,ライバルとの試合を重ねながら,チームが一丸となり闘い,強い気持ちが一つになれば,大きな目標を達成できることを肌で感じたシーズンでした。日本一を決めたライスボウルの試合後に,創部時よりディアーズを育てて下さった梅田社長(当時)に,しっかりと握手をしていただいたことを覚えています。ディアーズが悲願を達成した瞬間でした。

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図版:営業本部 丸田泰裕

2009年に社会人決勝,ライスボウルに勝利し「日本一」の座を勝ち取った時のこと。どちらの試合も非常に苦しい戦いでしたが,鹿島の役員の方々や社員をはじめ家族,友人,現場の作業員さんまでもが鹿島スタンドを埋め尽くしディアーズに力を与えてくれました。まさにチームとスタンドが一丸となって勝ち取ったものと今振り返っても胸が熱くなります。

図版:東京建築支店調達部 担当主任 田村多恵子

忘れられない景色があります。社員はもちろんのこと仕事を終えた協力会社の方がご家族と共に駆けつけて下さった東京ドーム。地方での試合は支店の方々に支えられ,時には「ねぶた」まで登場した郷土色豊かな応援。埋め尽くされたスタンドは,いつも私たちを元気づけてくれました。皆様への感謝と共に心に残る宝物です。

図版:営業本部 営業課長 伊藤明男

マネージャーは直接勝利には貢献できませんが,我々がしっかりと役割を果たし,チームが勝利できた時は嬉しいものでした。また,仕事ではディアーズが縁でお客様にも社員の方々にも名前を覚えていただきました。グラウンドで苦楽を共にした先輩・仲間たちは今でも非常に心強い存在です。
鹿島ディアーズは永遠に不滅です。ありがとうございました。

図版:営業本部 副部長 植村直弘/現KDCアドバイザー 植村綾子

選手,チアリーダーとして共にキャプテンを務めさせていただき,切磋琢磨した時期もありました。ラストシーズンは,初めて子供たちと家族5人で観客席からの応援。プレーに一喜一憂する観客席には多くの仲間,その子供たち。時は流れても,フィールドの選手,チアリーダーは揺るがぬディアーズプライドを魅せてくれました。鹿島ディアーズは,これからも唯一無二のチームです。

図版:総務・人事本部 総務部 亀山舞子

フィールドでの選手の真剣な眼差しや,頼もしい背中。バーガンディー色に染まったスタンドから湧き上がる大きな声援やスティックの音。最終戦での鳴り止まない「鹿島コール」は,まさに25年間の歴史を物語っていました。“DEERS SPIRIT”が脈々と受け継がれ,愛に溢れたチームのチアリーダーであったことを誇りに思います。

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