特集:ハウジング・プロデュース

住宅づくりの原点
志木ニュータウン

 1971(昭和46)年にスタートした民間企業における屈指の住宅地開発。渥美健夫社長(当時)の大号令のもと,用地買収・土地造成・配置計画から設計・施工・分譲販売に至るまで当社の総合力を投入した大規模プロジェクト。のちに当社が不動産開発事業に本格参入するきっかけとなった。当社の地盤改良技術やHiRC工法,PASH工法等数々の住宅建設技術も導入された。17年の歳月をかけ1988(昭和63)年,開発総面積35万m2,総戸数3,021戸,人口約11,000人の街が完成。10年以上たつ今もなお快適な暮らしがそこにある。


あたり一帯は柳瀬川の遊水池機能を兼ねる休耕地であった
1973(昭和48)年 あたり一帯は柳瀬川の遊水池機能を兼ねる休耕地であった
集合住宅67棟及び管理・商業施設等から成るニュータウンが完成
1988(昭和63)年 集合住宅67棟及び管理・商業施設等から成るニュータウンが完成

志木ニュータウン内の近隣公園から
2000(平成12)年春を迎えて 志木ニュータウン内の近隣公園から




「志木ニュータウンにみる鹿島の思想」

 昭和45年から56年にかけて,埼玉県志木市は,この地域の乱開発・スプロール化を憂慮し,開発コンペを実施しました。それに対し5社が応募し当社案が採用されたのです。
 当時渥美社長は,海外から「うさぎ小屋」と中傷されていた日本の住宅事情に対し,「わが国の住宅は問題ではないか,良質な住宅とは?本当に良いものとは何ぞや?を考え実現することは,建設に携わるものにとっての夢である」とおっしゃられていました。自主開発については社内でも逆風はかなりありました。用地買収後一括して不動産業者に売却して工事をとろう,という声が大半。また当時は超高層建築まっ盛りで,いまさら住宅開発なんか,というような批判的な声があちこちでした。そんな中,重役の集まる席上で「今までのもみ手営業だけでは社員のトレーニングにならない。新しい分野に挑戦すべきだ」渥美社長のこんな一声で,自社で進めることになったのです。
 当然みんな素人です。昭和49年にプロジェクトチームができましたが,当時本社界隈にいた30代の事務系若手が集められました。私が計画担当,古野逸郎さん(現・総務部長)が経理担当,石川元道さん(現・人事部長)が販売・許認可担当,大石隆重さん(現・関東支店)が用地担当,この4人が中心になりました。
 用地買収や開発許可申請もなかなか思うように進みませんでした。窓口の志木市もこれだけ大規模なものはやったことがなく手探りだったのです。また柳瀬川は雨季になると溢れ出るのに河川改修は順番待ちでいっこうに進まない状況でした。当社では軟弱地盤に対し技術研究所を中心に地盤改良技術をこの地でずいぶん試しました。これは後の技術展開にも貢献したと思います。
 それまでの苦労の甲斐あってか,着工後の販売1期2期は即日完売でした。ちょうどその頃東武東上線・柳瀬川駅の新設工事が目の前で行われていたのでいいPRになったのです。この新駅設置についてもずいぶんと揉めました。動いている電車に新駅をつくることがどんなに大変なことかがよくわかりましたね。販売は10期にわたりましたが,結局最後は大成功で完了しました。当初500億との目算が1,000億超のビッグプロジェクトになったのです。
 住宅づくりでの成功要因を考えてみますと,それまでの集合住宅を徹底研究して,設計計画上その一歩先をいくように工夫したのです。例えば,広さです。寸詰まりの居室をやめて収納も工夫しました。そしてリフォームしやすいように,配管検査や取替えも簡単にできるようにしました。商業はじめ必要な施設も充実させました。容積率も7割くらいに抑えてゆとりをもたせ植栽も十分にとってあります。管理会社も計画当初から参加させました。長く住まうために管理運営がとても重要だと考えていたからです。
 これらは今では当たり前のことですが,20年前に先駆的導入を図ったのです。その証拠に今でも,ニュータウン内の中古住宅は人気が高く品不足で値崩れしていません。
 今から考えると,素人だったからできたのかもしれません。プロだったら理想を追求するというより手っ取り早く商売になるやり方を選んだでしょう。渥美社長の「良いものとは何ぞや?社員のトレーニングとして新分野に挑戦するべし」この問いかけと意気込みに応えるべく一所懸命取り組んだ結果 なのです。

沼里 秀一郎
(現・当間高原リゾートベルナティオ取締役)
1974(昭和49)年不動産管理部(現・管財部)から,志木ニュータウンプロジェクトチームに。以降開発総事業本部で数々の住宅事業にあたる。昨年10月より現職
沼里 秀一郎





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