特集:都市と水景

chapter 3: interview 水辺の魅力
水辺が人を惹きつけるのはなぜか。
ここでは空間としての水辺の魅力を探るべく,ヴェネツィアと江戸・東京と,
ふたつの「水の都」を知る,法政大学教授・陣内秀信氏にお話を伺った。



水辺の変わらぬ価値
 6月の初め,東京・お台場で,品川の荏原神社の海中渡御(荏原天王祭※)を見てきました。かつて品川は港をもつ宿場町,漁師町で,ずっと海中渡御が行われていました。品川の開発で,最近までは羽田の沖合いに移っていましたが,近年はお台場海浜公園が舞台となっています。船でお神輿を運び,17艘もの船が高層ビルをバックにお台場に入ってきました。1艇目には神主さんが,2艇目にはお神輿と町会の顔役・・・以降の船に,男衆がいて,舳先からはしごを下ろし,海に入る。その後,神輿を下ろし,交代交代かつぎます。現代的なロケーションのなかでも,伝統が途切れず脈々と続いているんですね。
陣内秀信 陣内秀信(じんない・ひでのぶ)
法政大学デザイン工学部教授
1947年福岡県に生まれる。
73年〜75年にかけてイタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に留学,都市史の研究方法を学ぶ。
翌年にはユネスコのローマ・センターに留学した。
帰国後,83年東京大学大学院工学系研究課博士課程修了。その後,東京大学工学部助手・法政大学工学部建築学科助教授を経て,現在は法政大学デザイン工学部建築学科教授。特定非営利活動法人歴史建築保存再生研究所理事。
東京都中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)館長。

“遊水”――水辺を取り戻そう
 日本人は“遊水”の心をもっていました。川辺に料亭をつくったり,舞台にしたり,花見,酒盛り,屋形船・・・。かつては水辺が信仰の対象,聖なる場所だったゆえに門前の賑わいが生まれ,市民が集まる遊びの場所となりました。とはいえ,時代の流れで遊びがなくなっていき,結果,信仰としての行事は残っているけれど,一般市民の生活のなかでは水への関心が失われていきました。
 でも1920年代のモダニズムの時代になるまで,東京の水辺には“かっこいい”建築や橋がたくさんつくられていました。今は江戸橋のたもとの三菱倉庫などを除いてだいぶなくなってしまいましたが,江戸時代より,近代のほうが水辺に美を求めていたといえます。おそらくヨーロッパの影響でしょう。日本人は“使う”空間には美を意識するし,お金もかけてきたのです。
 ただ,高度経済成長期の開発の流れに押されて,川や運河が埋められ,高い堤防をつくるなど,水害からの防御機能のみになり,人々と水辺の関係が遮断されてしまいました。
 こうして,都市の水面はかなりのダメージを受けてしまいましたが,また最近になって,水辺を取り戻そうという動きが出てきていますね。

ヨーロッパの“親水”
 もちろん,水と人との深い関わりは,日本,アジアだけでなくどこの国でも古くからありました。ギリシャ,ローマ時代,水の神様,港の神様の存在が信じられていて,岬の近くに神殿をつくったり,イタリアのポルトヴェーネレでは,ローマ時代にヴィーナスの神殿が岬の先端につくられ,今は教会となっています。
 しかし,ヨーロッパではルネッサンス以後,海や水に神聖な意味を見出さなくなってきます。イタリアには聖母マリアの水上パレードがまだ残るものもありますが,近代になると一般に水との結び付きは減っていきます。
 でも一方で,環境思想が生まれてきたり,使用していない運河沿いの倉庫群をアトリエやギャラリー,住宅に変えるとか,プラグマティック(実用的)に水と付き合っているんですね。水を制御しながら大切に使う付き合い方に長けているといえます。
 アムステルダムでは,荷を運ぶ船が通らなくなり,荷揚げ機能がなくなった運河に沿って,新しい時代のニーズに応じ岸辺にボートハウスを浮かべたり,カフェテラスをつくったり・・・かつての人たちより積極的に利用し,エンジョイするようになりました。
 ヴェネツィアではかつて東方貿易で使っていた運河を,今も市内の交通にみごとに使い続けている。かつての貴族の屋敷には,このような船着場がついていて,それがホテルになっていきました。このように,かつてより有効活用された,遊び心のある使い方をするようになっています。

アムステルダム。ボートハウスとコンバージョンされた倉庫群* ヴェネツィア。運河沿いのホテルの水上テラス*
東京・天王洲 TYハーバー。フローティングレストランも実現(左)*ウォーターフロントブーム再び
 日本では80年代に入り,隅田川の環境がよくなってきました。X字型をしたさくら橋が架けられたり,80年代初頭にスーパー堤防ができたり,リバーシティ21もできましたね。
 大川端,深川,月島,芝浦・・・倉庫がたくさん並ぶ場所で,コンバージョン(用途変更)をしてスタジオをつくったり,アート・イベントが行われるなど,これを機に若い人たちが集まるようになりました。
 いわゆるウォーターフロントブームが起きて急激に水辺が注目され始めたのです。私も当時,佃島から船に乗って,隅田川から飯田橋河岸まで入り込み,日本橋の下をくぐって水の空間を周遊しました。御茶ノ水駅界隈では,たくさんの見物人から見下ろされた憶えがあります。
 やがてバブル時代に入り,そうした土地がまだ低利用であるということで,大型資本に狙われ,大型開発に代わり,ウォーターフロントブームがさらに過熱します。
 それからまた時代が変わりましたが,近年の湾岸のマンションブーム,そして東京都の運河ルネッサンス開始,ベイエリアでのオリンピック開催案などでまた注目されていますね。
楽しさをつくる「多様性」
 東京の観光客の少なさはもったいないと感じています。その原因のひとつとも言えるでしょうが,水辺の魅力を生かしきれてないと思うのです。そんななかでの都の運河ルネッサンス構想は,エリアを限ってですが,もっと自由に使える船着場,水上レストランなどを民間でつくってよいという許可がより簡単に出るようになりました。
 芝浦アイランドのように,水辺を回復し,生態系を取り戻す動きも含めて,面白い空間ができてきているのは好ましいことです。東京湾アクアラインでは,「海ほたる」ができてから,海中の構造物に藻が生えて,魚が集まるなど,その回りに生態系が生まれたと聞きました。生物の集まるところには人間も集まれるわけですから,そうした技術は活用すべきです。生態系を取り戻すことは,人間にとっても重要なことと思います。
 ただ,大規模開発でも根本的なグランドデザインがされていない印象があります。特徴となるシンボルもない。一部分だけ雰囲気がいいだけで,全体的に魅力的とは言えないのではないでしょうか。
 たとえば,水際の土地はもともと倉庫や工場などの産業基地だったわけですから,アトリエ,デザイナー,プランナーの事務所,企画事務所などクリエイティブインダストリーの要素をもっと入れるべきと思います。そうした用途の多様性に限らず,つくる側にしても設計する人をもっと細かく分ける――細かい要素を集めて,街をつくりあげる感覚です。大きなプロジェクトのなかにもっと多くの人を巻き込んで,多様性をもたせることが大切だと思います。
 とはいえ,最近の水辺は本当に面白くなってきました。   (2007年6月19日インタビュー)
品川・荏原神社の海中渡御(お台場海浜公園にて)*
※ 荏原神社の氏子区域である天王洲が昭和初期までは海であり,京都の祇園祭に倣う「神興洗い」の神事が1,300年前から行われている。江戸時代には大江戸夏祭りの花形として盛大を極めた。現在も都内で唯一,海中渡御が行われており,荏原天王祭〜かっぱ祭りとして,全国に知られている。

* 写真提供:陣内秀信

 chapter 1 水辺の復権
 chapter 2 水辺の風景
 chapter 3  interview――水辺の魅力