特集:都市と水景![]() |
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水辺が人を惹きつけるのはなぜか。 ここでは空間としての水辺の魅力を探るべく,ヴェネツィアと江戸・東京と, ふたつの「水の都」を知る,法政大学教授・陣内秀信氏にお話を伺った。 水辺の変わらぬ価値 6月の初め,東京・お台場で,品川の荏原神社の海中渡御(荏原天王祭※)を見てきました。かつて品川は港をもつ宿場町,漁師町で,ずっと海中渡御が行われていました。品川の開発で,最近までは羽田の沖合いに移っていましたが,近年はお台場海浜公園が舞台となっています。船でお神輿を運び,17艘もの船が高層ビルをバックにお台場に入ってきました。1艇目には神主さんが,2艇目にはお神輿と町会の顔役・・・以降の船に,男衆がいて,舳先からはしごを下ろし,海に入る。その後,神輿を下ろし,交代交代かつぎます。現代的なロケーションのなかでも,伝統が途切れず脈々と続いているんですね。 |
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“遊水”――水辺を取り戻そう |
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ヨーロッパの“親水” |
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![]() 日本では80年代に入り,隅田川の環境がよくなってきました。X字型をしたさくら橋が架けられたり,80年代初頭にスーパー堤防ができたり,リバーシティ21もできましたね。 大川端,深川,月島,芝浦・・・倉庫がたくさん並ぶ場所で,コンバージョン(用途変更)をしてスタジオをつくったり,アート・イベントが行われるなど,これを機に若い人たちが集まるようになりました。 いわゆるウォーターフロントブームが起きて急激に水辺が注目され始めたのです。私も当時,佃島から船に乗って,隅田川から飯田橋河岸まで入り込み,日本橋の下をくぐって水の空間を周遊しました。御茶ノ水駅界隈では,たくさんの見物人から見下ろされた憶えがあります。 やがてバブル時代に入り,そうした土地がまだ低利用であるということで,大型資本に狙われ,大型開発に代わり,ウォーターフロントブームがさらに過熱します。 それからまた時代が変わりましたが,近年の湾岸のマンションブーム,そして東京都の運河ルネッサンス開始,ベイエリアでのオリンピック開催案などでまた注目されていますね。 |
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楽しさをつくる「多様性」 東京の観光客の少なさはもったいないと感じています。その原因のひとつとも言えるでしょうが,水辺の魅力を生かしきれてないと思うのです。そんななかでの都の運河ルネッサンス構想は,エリアを限ってですが,もっと自由に使える船着場,水上レストランなどを民間でつくってよいという許可がより簡単に出るようになりました。 芝浦アイランドのように,水辺を回復し,生態系を取り戻す動きも含めて,面白い空間ができてきているのは好ましいことです。東京湾アクアラインでは,「海ほたる」ができてから,海中の構造物に藻が生えて,魚が集まるなど,その回りに生態系が生まれたと聞きました。生物の集まるところには人間も集まれるわけですから,そうした技術は活用すべきです。生態系を取り戻すことは,人間にとっても重要なことと思います。 ただ,大規模開発でも根本的なグランドデザインがされていない印象があります。特徴となるシンボルもない。一部分だけ雰囲気がいいだけで,全体的に魅力的とは言えないのではないでしょうか。 たとえば,水際の土地はもともと倉庫や工場などの産業基地だったわけですから,アトリエ,デザイナー,プランナーの事務所,企画事務所などクリエイティブインダストリーの要素をもっと入れるべきと思います。そうした用途の多様性に限らず,つくる側にしても設計する人をもっと細かく分ける――細かい要素を集めて,街をつくりあげる感覚です。大きなプロジェクトのなかにもっと多くの人を巻き込んで,多様性をもたせることが大切だと思います。 とはいえ,最近の水辺は本当に面白くなってきました。 (2007年6月19日インタビュー) |
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※ 荏原神社の氏子区域である天王洲が昭和初期までは海であり,京都の祇園祭に倣う「神興洗い」の神事が1,300年前から行われている。江戸時代には大江戸夏祭りの花形として盛大を極めた。現在も都内で唯一,海中渡御が行われており,荏原天王祭〜かっぱ祭りとして,全国に知られている。
* 写真提供:陣内秀信 |
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■ chapter
1 水辺の復権 ■ chapter 2 水辺の風景 ■ chapter 3 interview――水辺の魅力 |