震災からの復旧を終えて
神戸は,北に六甲山,南に大阪湾を配し,北から順にJR山陽新幹線・阪急神戸線・JR神戸線・阪神電鉄・阪神高速道路と,大阪方面〜明石方面の東西を結ぶ交通ラインが並行して走っている。湾岸には,東に六甲アイランド,西にポートアイランドがある。集合住宅・オフィス・レジャー施設などが建つ埋立地で,現在も開発が進められている。港町として栄え,北野町や南京町,旧外国人居留地などをはじめに異国情緒の漂う街である。
阪神・淡路大震災がもたらした被害は,震源地が都市の直下にあったために,甚大なものであった。阪神高速道路・JR山陽新幹線の橋桁は落下し,各地の道路や鉄道が寸断された。また,港湾施設にも被害が及び,ポートアイランドや六甲アイランドなどの埋立地では液状化現象が起こった。住まいを失った多くの人々は,冬の寒さや余震に脅えながら公園や学校などの公共施設に避難した。さらに,広範囲にわたる停電や都市ガスの供給停止,断水,電話回線不通のために,人々は厳しい生活を余儀なくされた。
このように都市の機能が壊滅的になった状況から,多くの困難を乗り越えながらの復旧作業が進められた。震災から1〜2年の間に,ライフライン・交通機関の全てが復旧された。現在の神戸の街には,震災の跡はほとんど見られない。震災直後に撮影された写真の現場を訪れてみたが,どこもきれいに復旧されていた。ただ移動する途中,新築の集合住宅やプレハブ住宅が建ち並び,所々に更地や駐車場があるのが目立ったことが,5年前に震災があったことを静かに物語っていた。
震災直後(左)と現在(右)の様子
神戸交通センタービル(神戸市中央区)解体中の様子
当社の施工で1997年7月に竣工した
阪神高速道路3号神戸線(神戸市東灘区)
635mにわたって高架橋(ピルツ形式)の橋脚が転倒した。
阪神高速道路は震災翌年の9月末に全線開通した
ポートターミナル 第四突堤(神戸市中央区)
震災直後は鹿島のチャーター船「よどがわ」の船着場として利用された。
97年の3月末には神戸港の復旧工事がすべて完了した
阪急神戸線夙川駅の東側(西宮市若松町)
震災で高架橋は崩壊し,線路も曲がってしまった。
震災の7カ月後にはすべての私鉄が運行を再開した
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