「あのパワーをもう一度」
当社の中で,自らも被害を受けながら神戸の復興に向き合ってきた関西支店神戸営業所。現在,営業所長を務める石川矩寿さんに,復旧当時の様子と今後の取組みについて,お話を伺った。
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関西支店神戸営業所 所長
石川 矩寿
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私は,当時は本社の土木技術本部にいました。ちょうど休み明けの1月17日に大阪支店(現関西支店)で会議が予定されてまして,前日から神戸の自宅に戻っていたのです。あの時私の自宅も半壊しました。当日ようやく本社と連絡が取れ,私はこのまま神戸に残り震災対策本部を設置するように言われました。翌日は朝6時に家を出て,電車もまったく使えなかったので,バイクで神戸営業所に向かいました。営業所は今と同じ貿易センタービルの19階にあって,ビルそのものに被害は無かったのですが,停電のためエレベータは使えず,真っ暗な階段を19階まで息を切らして昇りました。営業所の中は,机や棚がぐしゃぐしゃで,足の踏み場もなく,とても震災対策本部を置けるような状況ではありませんでした。ちょうど,元町の地下駐車場の現場事務所(3階建のプレハブ)が震災を免れて残っているという情報が入り,そこに本部を置くことになったのです。
私たちは,社員をはじめ協力会社も動員して,あらゆる救援活動を行いました。次から次へと応急復旧の要請が被災地の各所から入り,その対応に苦労しました。しかし,本社と他支店の絶大なる支援を得て,多くの社員がかけつけてくれたので,とても助かりました。緊急事態であったために,来た順からどんどん現場へ配置していったので,経歴にそぐわない仕事に就いた社員もいて今思うと申し訳ない気持ちと,感謝の気持ちでいっぱいになります。
火事場のバカ力とでも云うのでしょうか,震災から復旧するパワーには,ものすごいものがあります。1年であれほど復旧するとは,おどろきでした。その過程には被災地の努力はもちろん,他地域の支援が欠かせなかったと思います。鹿島の社員も,誰もが個々人の持つ能力と意欲を100%以上出していました。個人の底力は鹿島にとってかけがえのない財産だということを実感しました。
現在の神戸は,震災と日本全体の長引く不況が影響して,市民の生活もまだ明るいとは云えない状況にあります。神戸の活性化を図るべく,自治体や学識者の方々も懸命に模索しています。当社も「何か良いアイディアがないだろうか」と,相談を受けることもあります。私たち営業所も,智恵を出し合って「神戸のために」努めています。私たちに今必要なのは,震災の時のあの底知れないパワーです。今は,社員の一人一人が自分の力を100%出し切っていないような気がします。何か発揮できるようなチャンスを作ることも必要でしょう。あの時あれほどのパワーがあったのだから,必ず今の困難も克服することができると信じています。(談)
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