特集:鹿島新時代を拓く

Chapter III 社長を退任するにあたって

代表取締役会長梅田 貞夫 1996年5月に当時の宮崎社長から指名を受け,思いがけずに社長に就任以来,20世紀末の4年半と21世紀初頭の4年半,計9年間,社長を務めてきました。
 今,思い返してみますと,この9年間の社長時代は日本経済にとって激動の時代であったと言う事ができると思います。
 私が社長に就任したころは,バブル崩壊後の影響を受けて,企業を取り巻く経営環境が年々厳しくなり,翌年の1997年には同業を始めいくつかの会社が次々と会社更生法の適用を申請する中で,当社の経営も極めて厳しい状況に陥り,大きな決断が求められていた時でした。
 財政構造改革による公共投資の削減,コスト縮減対策,更には民間設備投資の減少という環境下にあって,厳しい価格競争を強いられ,期間利益の低下を余儀なくされていました。そのような収益環境下において,当社の保有する土地や有価証券もまた含み損を抱え,このままではその後の期間収益の向上を図る事は困難と判断し,1998年に保有資産の含み損を一括前倒し処理をする事を決断しました。その結果,1961年の株式上場以来,初めてという赤字決算を余儀なくされたのです。私は役員・社員の一人ひとりに手紙を出して不安の解消と理解を求めました。
 同時に,必要利益を安定的に確保できる企業体質の確立を目的として「新3ヵ年計画」を策定し,財務構造の改善,管理部門のスリム化・効率化を中心に期間利益の確保を目指しました。この為に,役員・社員の皆さんには賞与削減や月例報酬の抑制,株主には配当を下げるなど大きな痛みを伴う処置を講ずる事となり,社長として断腸の思いでの決断でありました。
 それ以降,日本経済の長期的な低迷もあり,当社の業績の回復には私の予想を遥かに越えた長い期間を要しましたが,先の2004年度決算において単体ベースでは,2005年度を最終年度とする「中期経営計画」の目標を1年前倒しで達成し,収益面でも目に見えて成果が上がるようになってきました。また,財務構造の改善も今後目標どおりに向上していく目処がたったことから,人心一新を含めて「守りの経営」から「攻めの経営」に移行する時期と判断し,中村新社長にその任を託すことを決意した次第です。
 あわせて,「攻めの経営」には経営課題に関する意思決定機能の強化,迅速性,効率性の向上が不可欠である事から,今般,一連の経営機構改革を実施し,新しい体制を整えることができました。
 皆さんには本当に長く厳しい時代を強いてまいりましたが,これからは新体制のもとまさに攻めに打って出る時が来ました。将来に向けて更にコスト競争力,技術力を優位なものとし,社会に貢献する企業としての役割を積極的に果たしていってもらいたいと思います。
 特に,これからの5年間は財務基盤の一層の向上を図り,業界を代表するエクセレント・カンパニーとして,名実ともに称されるように努力してもらいたいと思います。
 今後,私は中村新社長を全面的にバックアップし,やり残した事に道筋をつけるのが使命と思っています。
 9年間の長い間,私を支えていただいた多くの役員,社員,関係者の方々にこの誌面を借りて心からの御礼と敬意を表するものであります。
梅田会長が日建連会長に就任
梅田会長 5月25日,ホテルニューオータニ東京(東京都千代田区)で開催された日本建設業団体連合会(日建連)第44回通常総会で,当社梅田会長が会長に就任した。
 就任にあたり梅田会長は「企業体質の改善が進んだ今こそ,社会のニーズを具現する技術とノウハウを駆使し,建設インフラの充実に邁進すべき時。業界が一丸となって英知を結集しよう」と挨拶。また総会終了後の記者会見で「昨今の自然災害の惨状を見ても,国民が安全で安心して暮らせる国土として,日本の社会資本は十分に整備されているとは言い難い」と述べ,社会資本整備を通じた国づくりに取り組む決意を示した。



Chapter I   インタビュー 中村新社長に聞く
Chapter II  取締役会の改革,執行役員制度の導入
Chapter III 社長を退任するにあたって
Chapter IV 新役員のプロフィール
Chapter V  組織の再編